「俺さ」
仁王くんが透き通った瞳でわたしを見つめた。その双眸がしっとりと潤んでいるから、余計にぎょっとしてしまう。 いつもは飄々とした声が、今はあまりにも幼く弱々しいことに、首を傾げて「どうしたの」と問いかける。
ふらふらとした足取りで近寄ってきた仁王くんは、長い手を伸ばしてわたしの頭を抱え込んだ。 唇が耳を掠めたのに、心臓がどくりと高鳴る。 結んでいる毛先が剥き出しの肩に触れて、くすぐったい。
「…ねむいから、ちょっと肩貸してくれん?」 「えっ?」
耳元で聞こえた仁王くんの声は軽やかで、拍子抜けしてしまう。
安定した呼吸が背中へとかかり、その途端、仁王くんの身体は重くなった。床に倒れそうになりながらも、体勢を整えて支える。頭に感じる仁王くんの重みに、どきりとした。
クーラーのきいた部屋。 ひとの体温は、こんなに熱いものだったっけ。
「仁王くん」 「ん」 「なんかあったの」
疑問文と言うよりは断定するように聞いてみる。仁王くんはそれきり黙って、わたしの首に回した腕の力を、強めた。
手持ち無沙汰の指先で、きれいな銀髪を撫でる。指どおりのいい其れはするすると流れていき、あっというまに首筋へ到達してしまった。
「(うーん…)」
無言の空間は気まずいわけじゃない。 けれど、決して心地好いものでもない。
中腰でわたしの頭を抱える仁王くんをだっこするように、腰を抱き寄せてみる。…仁王くんは、「ぐぇ、」と小さく唸った。苦しかったらしい。思わず笑みを漏らせば、仁王くんは頭をわたしの肩に乗せた。
緩やかな呼吸が聞こえる。
どこか近くの木に蜩がとまっているのか、カナカナ、と小さく鳴いていた。 それを聞いて、今が夕方と言うことに気付く。 テーブルが橙色に染まっていた。
「あのな……聞いて」 「うん、いいよ」
返事をすれば、ぎゅう、と強く抱き寄せられて、息がつまった。
「……名前が、俺を生んでくれたら、よかった」
仁王くんの肩が小さく揺れて、それから長く息を吐き、わたしの背中に腕を回した。
ああ、やっぱり。
以前にもこういうふうに、仁王くんが弱くなってしまうことがあった。愛情を注いでもらえないことを恐れる仁王くんは、ひどくかわいそうだ。弱さを思いきり晒け出せない仁王くんは、ひどくかわいそうだ。
――そして、愛しい。
仁王くん。 いつか、おかあさんにも、愛してもらえるよ。
「はは、ごめんな」
苦笑いとの混じった仁王くんの声。 だいじょうぶだよ、と、背中を撫でながら告げる。 生ぬるく薄っぺらい。それでも男のひとの、がっしりとした背中。
蜩の鳴き声は、フェードアウトしていく。
わたしの心臓に耳を寄せた仁王くんは、すこし泣いた。
(補足/母親に愛されていない仁王の話を書きたかったのですが、いろいろと消化不良…)
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