「日直て、なんでこんなめんどいんやろ…」
そう呟けば、シャーペンを動かす名前の手が止まる。 同時にじとりと睨まれて、居心地の悪さを感じた。 なんでそんな顔すんねん。笑っとったらそれなりに可愛いくせに。
「なんや?」 「…めんどいって、何もしてないくせに」 「え、黒板消したやん!」 「それだけでしょ!」
言い返せばすぐに返ってくる言葉。俺は、これが好きや。 名前と全力で話してるっちゅう感じがして。(財前に話したら意味わからんて言われたけど) もう、とぶつぶつ言いながら名前は日誌に目線を落とす。 隣の席。かと言って名前の方を向いて会話できるはずもなく、窓の外を眺めた。
二人っきりとか、久しぶりすぎて何喋ればええかわからん。 いつも白石と名前と俺とで話すのが、普通で。
「…うっわ、雨降ってきとる」 「あ、やっぱり」
空を見れば遠くの方までどんよりとしていて、厚い雲が一面を覆っている。 梅雨が抜け切らない空模様に、自然と溜息が零れる。 ベランダを打つ雨音が、なんとなく気持ちを焦らせた。
夏直前と言っても、まだ日が短い。 それに、今年は冷夏や。教室の中は、だんだんと暗くなってきている。 名前がそれに気付いたのか、席を立つと教室のドア近くの電気をつけにいった。 ぱちり、と軽い音がしてすぐに明るくなる。 教室の白い壁に反射した光が目に慣れず、何度か瞬きをした。
名前はそんな俺を遠目で見て、笑う。
「(俺に向けて、笑っとる)」
赤くなる頬を隠そうと、窓の外を見つめた。 さっきは小降りだった雨も、次第に地面を叩きつけるように降っている。
……あ。傘、持ってきてへん気ぃする。
土砂降りの雨を恨めしげに眺めて、はあ、ともう一度溜息をついた。
「どしたの?」 「いや…傘忘れてきてん…」 「朝のニュース、降水確率80パー越えてたよ」 「そんなん見てへんわ!」
そう告げると苦笑いする名前に、むっと眉を寄せる。 大体堅苦しいニュースとか、中学生で見ぃへんやろ。あ、わんこのやつは見とるけど。 頭の中で朝に見たダックスフンドを思い浮かべながら、名前の手元にある書きかけの日誌を眺めた。
名前がシャーペンを走らせる音と、雨音。 それ以外は何の音もしない、静かな教室。
人が近くに居ると、なんやあったかい気がする。 名前の静かな呼吸音に、丁度いい薄暗さが相俟って、瞼が重くなった。
「…謙也?」 「おん」 「なんか、近い」 「………あ、」
無意識のうちに近付いていたのか、名前の頭と俺の額がぶつかりそうになる。 慌てて仰け反ったら、椅子の背凭れが思いきり背骨に当たった。…めっちゃ痛い。
それから、近すぎる距離を誤魔化すように、「字!綺麗やな」と声を張り上げる。 名前は目を丸くしてから俯いてしまった。
高鳴る胸が、ひどく痛い。 呼吸をしようとしても、緊張して息がつまる。
何かを話すこともできず、同じように俯くと、名前の吐息が俺の右手にかかった。
背筋がぞくりとするのを感じ、思わずぱっと顔をあげたら、あまりにも近距離で。 名前の澄んだ瞳が、情けない顔をした俺を映していた。 それにまた胸がぎゅっと苦しくなる。
「(、やば)」
高鳴る鼓動の音が聞こえないように唇を噛んでから、顔を背けて外を眺めた。 あのままでいたら、何か、口走ってしまいそうやった。
「(…好きな奴の顔目の前にあったら、誰でもびびるっちゅうねん)」
日誌でも何でも、面倒なこと引き受けるお人よしなとこが好きで、 優しくて世話焼きなとこも好きで…、なにより笑った顔が、好きや。
次第に落ち着いてきた心音に安堵して、小さく息を吐き出した。 あ、空光った。雷やろか。 それ以外は変わり映えのしない景色から視線を戻し、そっと名前の様子を窺う。
「……え、名前?!」
名前は瞳から涙を零し、そのせいで日誌の紙がすこし濡れていた。
「な、何で泣いてるん」 「……っ…」 「俺なんか…し、た?」
不安になり問い掛ければ首を振り、名前は小さく「ごめん」と呟く。 状況がどうしても掴めずに、震えている名前の指先を握ることしかできない。
「………、雷が、こわくて」 「…カミナリ?」 「うん…」
首を傾げれば、また空が光った。 名前の肩が揺れた拍子に、机に置いてあったシャーペンがからからと床に落ちる。
ほんの少し遅れて、ものすごい雷鳴が聞こえた。
今の、絶対近いわ。 そう思った瞬間、教室の電気が消えた。
「て、停電?」 「そうやな…名前、平気か?」 「……微妙かも」
「なら、」
握っていた名前の細い指先を、引き寄せる。
![](//static.nanos.jp/upload/g/gelsemium/mtr/0/0/20110603162006.jpg) ( きみを抱き寄せた )
「(めっちゃええ匂いする、…って、何考えてんねん俺!)」 「…謙也ありがと、落ち着く」 「っいや俺のが礼言う側っちゅうか…!!」 「え?」
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