高遠さんの大きくて暖かい胸板に顔を埋めて、ぎゅうと抱きしめてもらっている時間が一番幸せだ。高遠さんは忙しい人だから、いつまでも一緒にいれる訳ではない。だから今、こうやって一緒にいれる時間を一分一秒大切にしたいのだ。 今日だって数週間ぶりに帰って来たかと思ったら、また明日には出かけてしまうらしい。高遠さんがどんな職業についてるか知らないけれど、本当に忙しない人だ。けれどお仕事が終わると必ずこうやって私の元へやって来てくれて、大きな薔薇の花束をくれる。そして直ぐに去ると、薔薇が枯れる頃に帰って来るのだ。綺麗な薔薇が枯れるのは辛いけれど、その反面もうすぐで高遠さんに会えると思ったら心が跳ねる。 「貴女も薔薇の香りがしますね」 「だって、いつも薔薇に囲まれてるんだもん」 「だもんって。貴女、自分の年齢分かってますか?」 そう言うと高遠さんは喉で笑いながら、私の髪の毛に指を滑らす。なんだか今日の高遠さんは上機嫌なようだ。見た目や様子に変わりはないけれど、女の感は鋭いって言うから間違いない。そう言ってみれば高遠さんは垂れ目がちな目を少し見開いたかと思えば、口元に手を当て笑い始めた。 すると「貴女が女の感ですか」なんて言うから、頬っぺたを少し引っ張る。すると軽く謝りながら私の頭を撫でてくれたから、頬っぺたから手を離す。 「ねぇ、次はいつ帰って来るの?」 「さぁ…。ただ少しばかり遠くに行くので時間がかかるかもしれません」 「どこ?海外?」 「いえ、国内ですよ」 本当は何をしてるのだとか、聞きたい事は山ほどある。けれど、それを聞いたらもうニ度とこうして高遠さんと会えなくなるのではないかと不安になって問うとこが出来ない。私はただ、こうして高遠さんといれるだけで幸せなのだ。 そう、幸せなのに何故だか心が満たされない。このぽっかりと空いた空間を埋める日は来るのだろうか。 「…もしもの話ですが、私がニ度と貴女の前に姿を見せなくなる日が来たらどうしますか?」 「、え?」 「もしもの話ですから、そんな顔しないでください」 普段こんなことを聞かれないから驚いたと同時に、心の中がざわめいた。何故急にこんなことを言うのだろう。高遠さんは私の元からいなくなってしまいのだろうか。そう思っていたことが表情に出ていたようで、私の頭を撫でながら優しく額に唇を落とした。 「こんなこと、私らしくないですね」 「…いなくならないよね」 「当たり前です。私が帰る場所は貴女の所だけですよ」 そう言うと、強く強く抱きしめてくれた。私はそれに返事をするように抱きしめ返す。相変わらず細い身体は、いつになっても私の心配の元だ。けれど一体この体にどれだけのものを詰め込んでいるのだろう。そしてそれを私に教えてくれる日は来るのだろうか。 月の光に照らされて光る、左手薬指に付いた指輪を見る。すると何故か自然と涙が溢れ出た。 20130108 企画サイト「欠伸」様へ提出 |