今宵の月はたいそう美しく、目が焼け焦げてしまいそうだ。こんな夜には縁側に腰を掛け、静かに空を見上げるのが日課になっていた。

嗚呼、彼女は元気にしておるだろうか。泣いてはおらぬだろうか。そのような心配は必要無いと分かっている。彼女は嫁ぎ先でそれはそれは大切に愛でられ、寵愛されているのだと佐助から聞いているのだ。

彼女は人当たりが良く、気が使え、心が優しく、愛嬌のある女子であった。そんな彼女に某が惹かれるのは必然的であった。女子と接するのが苦手であった某に対して無理強いはせず、常に穏やかに触れてくれた。付き合う年月が長くなるほど、某は彼女に惹かれ、気付いた時には恋焦がれていた。

だが、そんな彼女は武将の娘であった。見た目も美しかった彼女は年頃になると他国からの求愛が絶えなかった。女とは国同士を友好に結ぶための道具なのだと彼女は知っていた。それが姫として生まれた運命なのだと寂しげな表情で言っていた。

もし、自身に彼女の手を引き、共に鎖から逃げれる程の勇気があれば運命は変わっていたのだろうか。某は彼女が煌びやかな着物を身につけ、籠に揺られ城を去っていく姿を拳を握りながら見ることしか出来なかった。


──幸村様はとてもお優しい人。私よりもきっと素晴らしい方に巡り会え、その方と恋に落ちます。どうか、私の事は早く忘れて下さい。


彼女はそう言った。某の事を思い言ったのなら、何故そのような悲しげな表情をするのだ。何故俯いているのだ。何故、頬に涙が伝っているのだ。言いたい事はたくさんあった。なのに、何故、某の口は縫い付けてしまったかのように閉じてしまっているのだ。

それから某も他国の姫と縁を結んだ。そこに愛はあるかと聞かれたら首を振るしかない。ただ、その代わりに情があった。そして室としての情けもあった。某が守っていかねばならぬと使命感もあった。だが、やはり愛情だけは生まれなかった。

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大きく息を吸った。あれから何百年の時が過ぎたのだろう。こうして文明が発達し、鉛が空を飛ぶ時代に生まれても、某の脳内からは彼女が消えることはなかった。目を瞑れば別れるときに見た、彼女の最後の笑みが姿が思い浮かぶ。時を越えても、某は彼女を愛していたのだ。


「旦那、早くしないと遅刻するよ!」
「分かっておる!」


ぼんやりとしていたようだ。佐助に名前を呼ばれ、慌ててユニフォームを鞄に詰め込み教室へと急ぐ。席に着いたと同時に鳴り響いたチャイムの音。ギリギリ間に合ったようだ。ふぅ、と一息付いた所で担任がドアを開け入って来た。それはいつもと変わりない風景だった。なのに今日はその後ろに少女が付いて来ていたのだ。


「知ってる人もいるかもしれないが、転校生が来たぞ」


担任のその声が聞こえ、少女が顔を上げる。その仕草がスローモーションに見えた。照れくさそうに笑うその姿には見覚えがあった。何百年も前の記憶が一瞬にして蘇る。嗚呼、会いたくて会いたくて仕方なかった彼女だ。「、あ」佐助が声を上げた。すると彼女の目線がこちらへと向き、某と交り合う。彼女の瞳が大きく開かれたかと思えば、涙で滲んだのが分かった。彼女の涙はもう見たくない。そう思うと自然と、足が動いた。

20121122
企画サイト「僕の知らない世界で」様へ提出