甲斐に、雨神様が降ってこられた。
 先ほどの少女を幸村は思い出す。まだあどけなさが残る彼女は目を閉じてはいたものの佐助の腕の中でたしかに息づいていた。
 なまめかしく晒けだされた細い御脚は人のものとは思えぬほどに白く滑らかで、一瞬でも触れてみたいと思ってしまった己の不粋さに思わず逃げ出してしまったのだ。
 脳裏に焼き付いて離れない残像を幸村は頭をぶんぶんと横に振ることで無理やり掻き消し、廊下を足早に進む。
 ともかく、今は女中を呼ばねば。
 たまたま廊下を歩いていた若い女中を呼び止め、急ぎ事情を説明する。女中の目が驚きと興奮の入り混じった色を帯びた。
「なんと、雨神様にございますか!」
「うむ、そうなのだ。そなたに彼女の世話を頼みたいのだが」
「こっ、光栄にございます……!」
 二つ返事で承諾してくれた女中に礼を云う。神様の世話を頼まれて断る者はなかなかいないだろうとは思うが、呼び止めたのが彼女で良かった。では早速付いて来てくれと客間へ急ぐ。
「佐助え! 女中を連れて参った!」
「しっ失礼致します!」
 雪崩れ込むようにして部屋へ入った幸村と女中に、佐助が呆れた顔で溜め息をついた。
「あんまり騒がないで下さいよ」
「う、すまぬ」
「来て貰って早々悪いけど、着替えさせてやってくれる?」
 頼んだよと女中に云い残すと、佐助は姿を消してしまった。
「某も一度出て行くが、よろしくお願いお頼み申す」
「かしこまりました」
「ひとりでは手が足りぬのなら他の女中を呼んでも構わぬゆえ」
「はい。お任せ下さいませ」
 緊張した様子の女中にその場を任せて客間を出る。後ろ手に襖を閉めて一息ついた。大丈夫だろうか。相手は神様であられるのだ。そう不安に思いつつも幸村は自室に戻り、再び縁側へ腰を下ろす。
「佐助」
「はいはいっ、と」
 己の部下を呼びつければ、案の定近くにいたのか幸村の背後に降り立った。外に目をやると降りしきる雨の音が耳に流れ込んできて、自然と笑みが零れる。
「まさに恵みの雨よ」
「そうだねえ」
「これで甲斐の民も農業に励むことが出来るというもの。誠、ようござった」
 あと少し日照りの日が続けばどうなっていたことか。お館様もこれで安心なさるだろうと、ほっと胸を撫で下ろす。
 む? お館様……?
「さっ、佐助!!」
「ちょっ、いきなり大声出さないでよ。今度は何?」
「お館様へ報告に参るぞ!」
「あ、任務報告もあるんだ。すっかり忘れてた」
「そうと決まれば善は急げだ。行くぞ佐助!」
「もうっ、廊下走らないでよ!」
 雨神が他でもないこの甲斐の地に降りたったと聞けば、お館様はさぞお喜びになるだろう。それ以上に自身が浮わついていることは否めぬが、なんと云っても数月振りの雨である。
 なんとお礼を申したらよいものか。彼女が目を醒まされた時には真っ先に感謝のことばを述べようと、幸村は胸のうちに決めた。

「お館様、幸村にござります!」
「猿飛佐助でございます」
 頭を下げて信玄の部屋の襖を滑らせれば、気立てのいい声が返ってきた。
「おお、どうした」
 入れと促され、幸村は居住まいを正す。佐助がその後ろに控えた。
「それにしても、ようやっと雨が降りおったわ」
 その声音からもひしひしと喜びが窺えて、幸村も自分で表情が和らぐのがわかる。
「そのことでございますが」
「む?」
「この甲斐の地に雨神様が降りられたのでございまする」
「雨神、とな?」
「某が実際にその場に遭遇したわけではございませぬが……佐助、頼む」
 振り返り佐助に目を寄越せば、いかにも興味津々といった具合に信玄もそちらを見やる。佐助が伏せていた面を上げた。
「任務の帰りに空から女が降ってきたんですよ」
「ほう、空から」
「はい。最初は鳥かなんかから落ちたのかと思ったんですけどね、辺りを散策してもそれらしきものは見られなかったので」
「なるほどのう。しかし、それと雨が降ったこと何が関係しておるのだ?」
「それが、ちょうど女の降ってきたところから雨雲が広がりだしたんです」
「なんと……。まこと奇怪な話よのう」
 ううむ、と思案する信玄に、幸村は、どうか、と頭を下げた。畳の目が幸村の視界一面に広がる。
「今、客間におられますその雨神様をご客人としてお迎え下さらないでしょうか」
 空から落ちてきたということは、この地には寝床がないということは明白だ。その申し出に一瞬の間を置いて頭上から豪快な笑い声が降りそそいだことに、安心したことは云うまでもない。




虎の若子の申述

- 3 -


×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -