もう幾月も日ノ本に雨が降っていない。もちろんそれは甲斐も例外ではなく、このままでは田も畑も枯れてしまうと農民たちは困り果てていた。
 しかし、こういった自然現象については流石の甲斐の虎もその若子も、ましてや忍である佐助など手も足も出ない。民たちが苦しんでいる姿を見ていることしかできないのかと、やきもきしているのも皆同じだった。
 森の中、佐助は溜め息をひとつ零した。早く帰ろう、もうすぐ主の甘味の時間だ。そう思って速度を上げた瞬間、空に染みのようなひとつの黒い点を見つけた。呼んでいないから己の鴉ではないだろう。じゃあ、何だ?
 よく目を凝らしてみれば、ああ、これは面倒ごと以外のなにものでもない。あれは人間だ。しかも、紛れもなくいま現在落下の最中で、このままいくと死ぬだろうことは間違いない。いや、もうすでに死んじゃってるのかも。
 大方、鳥か何かに掴まって空高く飛んでいたところを襲撃、或いはドジを踏んで手を滑らせたかだ。いつもの佐助ならば気にせずほうっておくのだが、今回はそうもいかない。ここはもう武田の領地だ。
「まったく、余計な仕事増やさないでよね」
 ただでさえ既に任務で疲れてんだ、とだんだんと地上に近づいてくるそれに毒づきながらも、佐助はその真下で立ち止まり、手を伸ばした。
 ふわりと横抱きのかたちで受け止めた、随分と体格の小さなその者はどうやら女のようで、わりと綺麗な顔をしている。薄い瞼は開かないものの、呼吸はしているから気を失っているだけだろう。
 ただ、可笑しいのはその身なりだった。はしたなく足を晒けだす変な着物を身に纏って、両手で大事そうに布に包まれた細長い棒を抱えていた。たぶん、弓だ。それから、どさっ、とあとから着地した何か。これも彼女のものなのだろう。
 これらが降ってきた空を見上げるが、鳥らしきものは佐助の目には見当たらない。その代わりと云うのも難であるが、丁度彼女が落ちてきた辺りから黒く、禍々しい雨雲がじわじわと広がってきた。一体、何なんだ。
 まさかと思った刹那、雨は降りだした。予想外に大粒なそれは容赦なく佐助や彼女、周囲の木々を叩きつける。けれどそれすら懐かしく、喜ばしい。やっと、甲斐に水が戻ってきたのだ。
 意識のない小さな少女を抱え直し、荷物も拾ってできる限りの急ぎ足で城へと走る。もしかして、もしかしなくとも、この雨は彼女が降らしてくれたのではないか、なんて佐助は自分でも莫迦げたことを思った。

 城へ戻り、任務報告のためにそのまま主である幸村の部屋へと向かった。この少女もなんとかしなければならない。拷問部屋に繋げておくことも考えたが、どうにも間者とは思えなかった。
「ただいま戻りました」
「おおっ、佐助!」
 縁側から外を眺めていた幸村が、それはもう嬉しそうに振り返った。しかしそれも一瞬で、佐助の腕の中を見ると血相を変えて走り寄ってくる。
「どっどうしたのだ、そのおなごは!」
「それが、空から降ってきたんですよ」
「……空から?」
「信じられないと思うだろうけど、俺様、嘘は吐いてないからね」
「佐助が嘘を吐く等、思っておらぬ」
「あら、嬉しいこと云ってくれるじゃない」
 その素直すぎるところが玉にキズだけどね、ということばは呑み込んで、佐助は話を続ける。
「実は、この子が落ちてきたところから雨雲が広がりだして雨が降ってきたんだ」
「なんと!」
「まぐれかなとは思うけど、なんせずっと雨の降らない日が続いていたわけだし、一応報告」
「そうであったか。しかし、うむ……もしやその者、雨の神などでは……」
「え、ええ?」
「そうだ、そうに違いない!」
 この事態に甲斐へとわざわざ降り立って下さったのかもしれぬ! とかなんとか、きらきらと目を輝かせて興奮する幸村に、佐助は苦笑を漏らす。でも、あながち間違いではないのかもしれない。
「さあねえ。まあ、目が覚めたらいろいろ訊き出せばいいさ」
「そうだな。ともかく、ずいぶん濡れてしまっておるゆえ、そのままでは風邪を召すやもしれぬ。女中を呼んで客間に寝かせおいて貰おう」
「うん、そうしますかね」
 じゃあ、俺様が客間に運んでおくから、旦那は女中さん呼んでおいてね、と佐助は立ち上がる。
「うむ。……それにしても、いとも面妖な恰好を……」
 ぴしり、幸村が固まる。その視線は晒された白い太腿に一点張りで、そのまま爆発するかのごとく一気に赤面した。ああ、まったく。佐助は呆れたように息をつく。
「は、破廉恥でござるうう!!」
 叫び声とともに、バタバタと廊下を駆ける音が遠ざかっていく。ちゃんと女中を呼んでくれるならいいのだが。走り去った赤い背中を見送り、佐助は短い着物から滑らかに延びる細い脚に目を落とす。
「……でもまあ、たしかにこの恰好はよろしくないね」
 適当に箪笥から幸村の着流しを拝借して彼女の腰から下にかけてやる。早いとこ着替えさせなければ本当に風邪を引きかねないと、忍は主の部屋を後にした。




雨といっしょに

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