視界一面が鮮やかな色彩で溢れていた。京の夜祭り、まるで暗闇のなか宝石箱をひっくり返したみたいだ、とつゆりは思う。建ち並ぶ屋台の行灯。きらきらとした笑い声。やさしいひかりに照らされる街は、雨に濡れるのも気にせず、むしろ嬉々として老若男女楽しげに賑わっていた。
 いつの時代もお祭り独特の雰囲気は変わらないらしい。

 そんなひかりに濡れた道を、つゆりはひとりで歩いていた。知っているひとは誰もいない。考えたくないけれど、幸村とも慶次ともはぐれてしまったようなのだ。
 不安や焦りを唐傘の柄ごと抑えこんで、とにかくふたりを探すことに集中する。さっきまできらびやかなお神輿をいっしょに見ていたはずなのに、いつの間にか人混みに見失っていた。聞こえてくるのは浮き立つような喧騒ばかりで、それがいっそう孤独を浮き彫りにさせる。
 ひとりなんて慣れていたはずなのに。見知らぬ道をひたすら歩きながらつゆりは思う。迷子になっただけだというのに、こんなにも怖いだなんて。つゆり自身が思う以上に、つゆりは幸村たちといっしょにいることが当たり前のようになってしまった。

 ふたりを見失ってからどのくらい経っただろうか。歩きすぎて足が痛い。目は自然と紅を探していた。似たような色が視界を掠めるたびに振り返っては違うと落胆する。その繰り返しだ。
 一体、どこに行ってしまったのだろう。自分が向かっている場所さえわからなくて、途方もない淋しさに胸がつまった。むやみやたらに歩き回らないほうがよかったのかもしれない。そう思い、少しだけ歩調を緩める。
 こんなとき、携帯電話があれば便利なのに。そんなどうしようもないことを考えはじめた頃、後ろのほうで急にざわめきが上がった。驚いて振り返れば、なにを避けているのか人の波がわらわらと割れていく。状況が読み込めず動けないでいると、そのなにかがつゆりをめがけて飛びついてきた。
「う、わっ」
 突然のことになんの準備もできず盛大によろめく。ああ、いたいた! なんて云いながら遅れて駆け寄ってきた黄色に腕を引かれた。危うく尻餅をつくところだった。
「大丈夫かい?」
「ま、前田さん……」
「ずいぶん探したよ。夢吉もありがとな」
 キキッ、と嬉しそうに頭上で鳴いた小猿が、慶次の肩へと跳び移る。つゆりを見つけたのはどうやら彼のペットである夢吉だったらしい。
「び、びっくりしました」
「急にいなくなるほうがびっくりだよ」
「すみません……」
「見つかったからいいけどさ」
 何事もなくてよかったよ、と慶次はからりと笑った。その笑顔につゆりはほっとすると同時に、心配させてしまったのだなと申し訳なくなる。それから、見知った紅がいないことにも気が付いた。
「あ、あの、」
「幸村なら大丈夫だよ」
 訊ねる前に返されてしまう。無意識に探しているのを見透かされてしまったようで少し恥ずかしくなった。思わず俯くと慶次はつゆりの手を引いたまま歩き出した。
「手分けして探したほうが早いと思ってさ」
 そういうことか、と納得する。それならいまも幸村はつゆりを探しているということだ。本当に申し訳なさすぎてことばも出ない。
 慶次はどこへ向かっているのか、人混みを縫うようにして歩みを進める。その後ろ姿は、しかしちゃんと目的を持っているようだった。しばらくして大きな甘味処の前で立ち止まると、慶次は「座りなよ」とつゆりを促した。
「ここにいたら、そのうち見つけてくれるって」
 赤い縁台に、同じく赤い野点傘。たしかに、と思う。慶次はつゆりが思っていたよりも幸村のことをよく知っているようだった。それから、つゆりの足の痛みに気付いてしまうくらいには、ひとの行動に敏感らしい。空気を上手に読み取れるひとって、きっと慶次みたいなひとのことを云うのだろう、とつゆりは思った。

 さらさらとした赤い布の被さる縁台にふたり並んで腰を下ろした。夜の熱気にあてられた風が生ぬるくつゆりの頬を撫でる。
「恋してるって顔だよな」
 慶次が云った。「幸村も、つゆりちゃんも」
「恋……ですか」
「うん、恋」
 思わず首を傾げる。つゆりにはしばらく縁のないことばだった。恋なんてもうずっとしていない。どんなものだったかすら憶えていない。そんなつゆりが、いま、恋をしていると慶次は云う。
「どっちも自覚してないだけでさ。見てるこっちが歯がゆいよ」
「はあ……」
「幸村なんて俺に敵対心剥き出しだしな」
「敵対心?」
「あきらかに態度が冷たいだろ? もともと恋だの愛だのには疎いやつだからさ、無意識なんだろうけど」
 はしゃぎ続ける人びとを目で追いながら、つゆりは慶次の云っている意味を考えた。態度は、たしかに幸村にしてはそっけなかったのかもしれない。でもそれはただ、幸村が慶次のことを苦手に思っているだけなのではないだろうか。そうつゆりが慶次に伝えると彼は困ったように笑った。
「それも併せて、なんだろうな。俺、こんな性格だからさ、尚さら警戒してるんだよ」
「警戒?」
「俺から教えても仕方ないと思うからあんまり詳しくは云わないよ」
 そう濁したあと、だけどこれだけ、と内緒話でもするように慶次は声を潜めた。
「自分の気持ちを認めるってことも、第一歩だと思うよ」
 認める。それだけではあまりに抽象的だ。よくわからず慶次の瞳を見上げてみるも、なにも答えてはくれない。それどころかつゆりの背中をぱんっと軽快に叩いて立つように促した。
「ほら、行きな。あっちだ」
「え、あの」
「また後でな。祭り、楽しんでくれよ」
 俺と会ったって云っちゃ駄目だぜ。
 それだけ告げると、慶次自身もひらりと手を振って、つゆりに示した方向とは逆のほうに歩き出してしまう。彼はとても空気を読むのが上手なひとだけれど、自分の読んだその空気を他人に伝えるのは下手なのだと思った。つゆりにはまったく彼の意図が掴めない。

 雑踏へと呑み込まれていく広い背中を唖然として見送ったあと、つゆりは云われたとおりその場を離れようとした。そのときだった。
「つゆり殿……!」
 思わずあたりを見回した。騒がしい道でもひと際通る、聴き慣れた大きな声。人混みを掻き分けてこちらに向かってくる紅がたしかに見えた。
「……幸村さん」
「探しましたぞ……!」
 もう離れていかないようにと云わんばかりにつゆりの手を握ると、幸村は急に俯いてしまう。
「あまり、某を心配させないで下され……」
「ご、ごめん、なさい」
「もしもつゆり殿の身になにかあったらと、某、気が気ではござらんかった」
 握った手に僅かだけれど力がこめられる。思った以上に心配をかけてしまったらしい。あれほど、佐助からも幸村の傍を離れないようにと云われていたのに。つゆりは自分の注意力のなさを悔いる。
「しかし、ご無事なようで何よりにござる」
 ゆるりと幸村が顔を上げた。ひどく安心したようなその表情につゆりの胸が痛んだ。
 けれど同時に、ほんの少しだけ嬉しいと感じる自分がいるのだった。心配してもらえて、見つけてもらえて。安心感を通り越した別のなにかがふわふわとつゆりの心臓のあたりをくすぐった。
「慶次殿とはお会いになりませなんだか」
「あ、えっと……はい」
「左様でござるか……あの御仁は一体どこを探しておられるのだろうか」
 顔をしかめて疑問符を浮かべる幸村につゆりは内心ひやひやとする。それに、慶次は自分と会ったことを云っては駄目だなどと念を押して、あとからどうやって顔を出すつもりなのだろう。
「慶次殿を探しながら、少し見て回りまするか」
「あ……はい」
 つゆりがうなずくと、幸村は握った手をそのままに歩き出した。
 夜の街に浮かぶひかりがゆっくりと流れていく。手を引きながら一歩前を歩く幸村の広い背中を見ていると、つゆりはとくとくと鳴る自分の心音だけがやけに響くように感じた。
 誰かの楽しげな笑い声も、傍を通った子どものはしゃぐ足音も、ぜんぶぜんぶ、聴こえなくなる。ただ繋がれた手だけはやけに熱くて、いろんな感覚が麻痺してしまいそうだった。

 ちりん、ちりん。
 星が瞬くみたいに涼しげな音を、大小さまざまな風鈴が繊細に奏でる。澄んだ音色を耳に、つゆりは幸村に買ってもらった林檎飴を眺めていた。隣では幸村が同じその赤をかじっている。
「京の祭りもようござるな」
「みんな、楽しそうですよね」
「つゆり殿は楽しんでおられるか?」
「楽しいです、よ」
「ならば、ようござった」
 つゆりの答えにゆるやかに笑って、硝子細工のような林檎飴に幸村は口をつける。綺麗でもったいないな、と思いながらもつゆりもひと口なめてみる。存外、甘い味が濃く舌に絡みついた。
 つゆりは想像してみる。きっと、恋ってこういうものだ。憶測にすぎないけれど、甘くて甘くて、胸焼けするような。
 つゆりはまだ、それを知らない。
「……幸村さんは、」
 恋、してるんですか。そう云おうとして、やめた。つゆり自身が答えられない質問を幸村にしたところで、彼を困らせてしまうだけだ。
「いかがしたのだ? つゆり殿」
「……いえ、」
 琥珀の瞳をぱちくりと瞬かせる幸村に、つゆりは小さく首を横に振った。
「やっぱり、なんでもない、です」
「なにか気がかりなことがあれば、どのような些細なことでも仰って下され。つゆり殿のためとあらばこの幸村、全力でお助け致す所存」
「そ、そんなんじゃ、」
「それに、」
 つゆりのことばは遮られる。いつもより数段真剣な幸村の様子に少し緊張しながら、次に紡がれる音を待った。
「それに某は、もっとつゆり殿のことを知りたいのだ」
 つゆりは危うく林檎飴を落としそうになる。驚いて幸村を見上げれば、ちょっとだけ気まずそうに目を伏せられた。
「み、身勝手なのは重々承知の上にござるが……つゆり殿はあまり、ご自分からお話しにならぬゆえ」
「幸村さん……」
「う、すみませぬ。忘れて下され」
「あ、ち、違うんです。その……」
「つゆり殿……?」
「う、嬉しい、な……って」
 あんまり恥ずかしくてつゆりは幸村の顔が見られない。自分のことをもっと知りたいだなんて、そんなこと云ってもらったのは、初めてだった。なにより、幸村がそんな風に思ってくれていたことが嬉しくて、どうしようもなく落ち着かなくて苦しいくらいだった。
「私も、幸村さんのこと……もっと知りたいって、思うんです」
「ま、まことにござるか」
 つゆりは小さくうなずく。幸村が胸を撫で下ろすのがわかった。こういうことを誰かに伝えるのは、とても緊張するものだと知っているから、なんとなく共感できる。つゆりも、気付かれないように息を吐き出した。

 ふいに、かすかに風が強くなった。ちりりん、と風鈴が冷たく細く鳴く。
「幸村、つゆりちゃん!」
 耳管をまっすぐ突き抜けるような、元気のいい声がふたりを呼んだ。前を見据えた幸村が弾かれたように一歩踏み出す。
「慶次殿……! 貴殿は一体どこを」
「いやあ、ごめんごめん。遅くなっちゃって」
 パンッと両手を合わせて謝る慶次に、幸村は困ったように口をつぐんだ。たぶん、どこを探していたのだということを云いたかったのだろう。でも、つゆりには慶次を責めることなどできなかった。慶次は慶次で、つゆりにきっかけを与えてくれたのだ。
「じゃあ家まで案内するよ。利もまつねえちゃんも歓迎してくれるはずだ」
「かたじけのうござる」
「……あ、ありがとうございます」
「着いて来な!」
 慶次が踵を返す。ちょいと通るよ、なんて道行くひとたちに声をかけながら大股で歩く彼の後ろを、つゆりは幸村と慌てて追った。お祭りは夜が更けてもまだ続くようだ。




宵祭りと林檎飴

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