朝餉のあと、いつきが村に帰るということで、政宗と小十郎といっしょに、つゆりも見送りに門まで出た。
 雨は止まないものの雲は薄く、陽のひかりが仄かに差し込めている。葉が乗せる雫がきらきらとそれを反射していた。
「つゆり、西に行くんだってな?」
「はい」
 つゆりがうなずけば、いつきは笑って、
「なんだか大変そうだけど頑張ってけろ」
 と両の手で握手をしてくれた。
「いつきちゃんも、頑張って下さい」
「雨神様が見守ってくれてるからな、怠けらんねえべ」
「おお、そうだぜ、いつき。うまい米作れよ」
「政宗様が年貢の延納を許して下さったんだ、間違ってももう、一揆なんて起こすんじゃねえぞ」
「任せるべ! それから、ありがとうな。いろいろ世話になっただ」
 そう眩しいほどの笑顔で、いつきはぺこりと政宗たちにお辞儀をする。
 小十郎のことばどおり、政宗はいつきの頼みを聞き入れ、年貢の延納を許してくれたらしい。凶作で一番苦しいのは、それを丹精込めて育ててきたあいつらだ、とそう云って。
 平時とは違った優しい隻眼に、つゆりは民想いの主の姿を垣間見た気がした。また、それを見守る右目もひどく優しいものだった。
「つゆり、また会えるだか?」
 そんな政宗と小十郎からつゆりに視線を戻して、いつきが問う。
 会えたらいい。けれど、いい加減なことは云えなかった。どちらにしても、しばらくはここへ戻って来られそうもないのだから。
「もし今度会えたときは、いつきちゃんの村を案内、してほしいです」
 肯か否か、答えは濁してつゆりはそうとだけ返した。明るい笑顔が、ぱっと花が咲いたように色づく。自分の住む村が本当に大好きなのが、ひしと伝わってきた。
「わかっただ。そんときは旨い米たんと食わせてやっから楽しみにしててけろ」
「はい」
「離れてても、おらとつゆりは友だちだべ」
 じゃあな、と元気よくいつきは村への道を戻っていく。時折、振り向いて手を振ってくれるたびに、つゆりも手を振り返した。
「friendか。よかったじゃねえか」
「はい、嬉しいです」
 呆れるでも莫迦にするでもなく、薄く笑った政宗につゆりがうなずく。どこかくすぐったいような、むず痒いような、そんな感覚が胸を占めていた。
「さて……これからやることが山ほどあるぜ」
 政宗が踵を返した。つゆりはその一歩後ろを付いていく小十郎の隣に並んで歩く。
 つゆりと幸村は昼頃、奥州を発つことになっていた。一先ず甲斐へ戻って、事のいきさつを信玄に報告したのち、四国へ赴く準備のために一度信濃の上田城へ帰る。出発は長曾我部元親からの便りを待ってからになる。
 佐助は昨日の夜にもうここを出ていた。今ごろ四国へと文を届けに走っているのだろう。
「悪かったな」
 振り向きもせず、唐突に政宗が呟いた。小十郎が僅かにその目を見開く。つゆりにしても思い当たる節がないので、失礼を承知ながらも訊き返した。
「……なにがですか?」
「了承も得ずにアンタを取り引きのダシに使っちまって」
「……ちゃんと、確認、とってくれたじゃありませんか」
「あれじゃあ断れる雰囲気でもなかっただろ」
「断るつもり、ないので、構わないですよ」
 正直に答えるも、次に返ってきたのは呆れたような溜め息。低い声が重苦しく空気を揺らす。
「アンタ、ずっとそうやって生きてきたのか」
 切れ長の左目が苦々しげにつゆりを捉えた。どうしてそんな目をするのか、理解できなかった。なにか、気に障るようなことを云っただろうか。
「自分の意志も持たずに他人にホイホイ付いて行って。今までもいいように利用されてきたんじゃねえか」
「……そんなこと、」
 ないですよ、とは、云いきれなかった。あまり深くは考えたことがなかったけれど、指摘されてみると何度かそういうことがあったかもしれない。
 学校で持久走大会がある日の前日、明日は絶対に休まないでね、と念を押されたことがある。逆に体育祭や文化祭の日は、来ないでと云われていたけれど、そういう捉え方もあるのだ。
「今まで気付いてなかったのか」
「そう、だったとしても、これからもきっと気付かないと、思います」
 政宗の眉間に微かに皺がよる。それでも、それでいい。それがいいとさえ、思う。知らないふりをしていたほうが幸せなことだってある。余計な勘繰りなど、必要ない。逃げているだけだとわかっていても、だ。
 所詮、その時限りの紛い物。気にしていたら切りがないし、つゆりはそこまでお人好しじゃない。
 もし仮に幸村や佐助にそういったことを云われたなら、それはやはり悲しいと思う。けれど、彼らはそんなことをしないこともまたつゆりは知っているのだ。
「……でも、今回のは、そういうのじゃ、ないですから」
「同じだろ」
「違います、よ。……たとえ、幸村さんたちが私を甲斐に置いて西に行くと云ったとしても、私は、お願いしてでもついて行くと思います」
 これは、私の意志です。
 つゆりは少しだけ口調を強めて云った。政宗の、力強い色を孕んだ瞳が、つゆりをまっ直ぐと見据える。本当だな、とことばには出さなくともそう問われているような気がして、つゆりはこくりとうなずいた。
「なら、いい」
 目線を前に戻して、依然、歩みは止めないまま政宗が零す。
「アンタを見てるとガキの頃の自分を見てるみてえでな」
「伊達さんの……?」
「だが、違った。つゆりは大丈夫だ」
 政宗はそれ以上、なにも云わなかった。政宗の幼い頃などつゆりは知るはずもないけれど、彼にとってはあまりいい記憶ではないのだろう。つゆりを見てその面影を重ね、顔を歪めるくらいだ。
 政宗は初対面でつゆりにしたことを、からかっただけだ、とあしらったけれど、それは嘘なんじゃないかと思う。ことばにされたとおり、本当に「気にくわない」と思っての行動だったのだろう。それも、おそらく衝動的に。
 政宗にそこまでさせるなにかが、彼の胸の内に黒く深く潜んでいる。その過去を知りたくないと云えば嘘になるけれど、つゆりには到底踏み入ることのできない空間だった。
「政宗様は幼い頃から苦労なさっているんだ」
 小十郎が前を歩く政宗に聴こえないくらいの小さな声で、つゆりにそう教えてくれた。重々しい声色に、つゆりは相槌さえ打てない。
「おまえも、無理はするなよ」
 見上げれば、優しい眼差しがそう零した。

 日が高くなった頃、奥州を発つ準備を始めた。最初は慣れなかった広い客間も、今では少しだけ名残惜しく感じる。
「つゆり殿、準備はよろしゅうございますか」
「はい、できてます」
「では参りましょうぞ。馬の準備をして下さっておりますゆえ」
 つゆりの部屋まで様子を見に来てくれた幸村は、さりげなくつゆりの荷物をさらっていってしまう。つゆりが慌てて追いかけて、持ちます、と手を伸ばしても、幸村もまた譲らなかった。
「こっちですー」
 伊達軍の兵士がひとり、馬を引きながら手を振って呼んでくれる。つゆりと幸村の後ろからは、本日二度目の見送りに政宗がついてきてくれていた。もちろん、その隣には添うように控える小十郎もいる。
「道中気を付けろよ」
「ご心配には及びませぬ。この幸村、必ずや長曾我部殿を説得し、締結を果たして見せまする」
「Ah, 頼んだぜ。くれぐれも魔王のおっさんに見つからねえようにな」
「あいわかった」
 荷物を馬にくくり終えると、幸村は馬に飛び乗った。今回の計画のこともあり、どことなくふたりの雰囲気は引き締まっている。
「つゆり」
「はい」
「すべてが終わったら、また奥州に来いよ。いつでも歓迎するぜ」
 まさかそんなことを云ってもらえるとは思ってもみなくて、一瞬ことばに詰まった。なにか不満か? と笑う政宗に慌ててつゆりは首を横に振る。
「いえ……ありがとうございます」
 お世話になりました、と一礼してから、つゆりも馬の背に引き上げてもらう。これだけは何度繰り返しても恥ずかしいことこの上ない。
「good bye,真田幸村。甲斐のおっさんにもよろしく伝えてくれ」
「うむ。政宗殿もご達者で」
 では、と幸村は軽く頭を下げると馬の腹を蹴った。ひと声上げて、馬が駆け出す。つゆりはどんどん遠ざかる米沢城を振り返り、腕を組んだまま静かにこちらを見送る政宗と、隣に佇む小十郎に、もう一度こころの中でお礼を云った。
「少々、急ぎまするぞ」
「あ、はい」
「あまり時間がありませぬゆえ」
 幸村が鞭を打つ。ごうごうと鳴る風とともに柔らかい雨が吹き付けた。つゆりは先日謙信から賜った羽織の合わせ目をきゅっと握る。こればかりは抗えないので仕方がない。
 なにはともあれ、久しぶりに甲斐へ帰ることになったのだ。信玄はいま頃どうしているのだろう。
 そんな風に、自分の家ではないのに『帰る』という感覚を当たり前のように持っていることがつゆりにはひどく不思議に思えた。
 いってきます、と云って出ていった甲斐の館は、第二の故郷と称してもいいほどに、つゆりの中で大切な場所になっていたのだ。




密かに動き出す

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