宴の準備が整ったと呼びに来た小十郎のあとを、三人は綺麗に磨かれた廊下の木目を踏みながらついていく。宛がわれていた客間からこの大広間までそれ以外の会話はほとんどなく、つゆりはどこか気を張っていた。
「政宗様、連れて参りました」
 襖が開かれると、たくさんの兵士たちの目が一斉にこちらにそそがれ、どよめきを見せる。あの、柄が悪くて怖い人たちだ。
「入れ、partyの始まりだ!」
 にい、と笑った政宗のひと言に、どよめきが歓声に変わる。わいわいと騒ぐ中、こちらへどうぞー! と兵士のひとりが膝立ちになって手招きしてくれているので、つゆりは恐る恐るながらも広間へと踏み込んだ。
「つゆりちゃん、緊張してるの?」
 佐助が笑みを含みながら小声で云う。隠すこともないので素直にうなずけば、無理もありませぬ、と幸村がその口を開いた。
「しかし、伊達軍はみな素晴らしい方ばかりにござりますれば。ご安心くだされ」
 そうは云うものの、どう接したらいいのか勝手がわからない。現代基準で考えるべきことではないが、なにか少しでも相手の癪に触るようなことをしてしまえば、確実に“シメ”られるような気がしてならないのだ。
 呼ばれた席は当然ながら政宗のすぐ近くで、つゆりは先ほどひどく無礼な態度をとったあげく、まだ謝っていないという後ろめたさに身体をさらに強ばらせた。
「ささ、雨神さんもどうぞ呑んで下せえ」
 他の者たちに比べたら少しだけ優しそうに見える兵士に、気立てよくお酒を進められる。予期せぬできごとに一瞬固まるも、すぐに理解した。
 そうだった。この時代は、未成年でもお酒を呑むものだ。
 それをすっかり忘れていたつゆりは断る口実などを考えているはずもなかった。
「どうしました?」
「あ、あの、」
 断ったら気を悪くはしないだろうか。もしくは、俺の酒が呑めねえってのか! という展開には、などとつゆりの脳はあらゆる可能性に思考をめぐらせる。ちらりと隣を見遣るも幸村は当たり前のようにお酒を仰いでいて、ますます居心地が悪くなってしまった。けれど、呑めないお酒をつがせるのはもっと失礼だ。
「わ、私、お酒、駄目なんです……」
「まあまあ、そう云わずに。一杯だけでも!」
「え、いえ、その……」
「そうだぜ、つゆり。Drink it」
 政宗までもが加わって、酌を迫られる。あまりの威圧感に、ここはやはり一杯くらいは呑むしかないのか、とつゆりが半分諦めかけた頃、
「勘弁してやってよ、竜の旦那」
 そういつもと何ら変わらない口調で佐助が助け船を出した。内心ほっとすると同時に、佐助にはいつも助けられてばかりだと少し反省する。
「Ah...?」
「つゆりちゃんはお酒飲まないんだって」
「そんなはずねえだろ。神や仏には極上の酒を供えるもんだ」
「つゆりちゃんは神様でも雨の神様だ。要するに水を扱う神様だから、自分は酒を飲まないで雨を降らすために使うんだよ。そうだったよね、つゆりちゃん」
 確認をとるように話を振られてつゆりは慌ててうなずく。神道には詳しくないため実際のところがどうなのか知る由もないが、佐助の云ったことはまったくのデタラメだろう。
 けれどここは、どうにかそれらしく繕うしかない。
「その……お、お酒に使われている水は、もっとも清い水です。私は、そんな水を皆さんから、奪うことはできません。そういう、決まりなので」
「そうか……なら仕方ねえな」
 しかしそのデタラメを、政宗は信じてくれるらしい。納得したようにうなずいて酒はいいから食え、とつゆりに促す。
 よかった、とつゆりは安堵の息をついた。なんとか気を悪くさせることもなければ、お酒を飲む必要もなくなったようだ。政宗のことばに甘えて目の前に並ぶ和食たちを味わって頂くことにした。
「しかし、なるほどな」
「なにがでござろう、政宗殿」
 ぽつりと呟いた政宗に、今まで静かに会話を聴いていた幸村が問う。
「雨が降らなきゃ米ができねえ。米ができなきゃ酒も作れねえから、もちろん供えも粗末になる。そんなもんだからさらに雨が降らなくなる。悪循環ってこった」
 がしがしとその黒髪を掻きながら、政宗は隻眼を開け放たれた障子の向こう側に移した。
 雨は渇いた地にしとどと染み込み、木々や草花たちを潤す。さらさらと大地が生き返る音が聴こえてくるようだった。

 次第にお酒が回ってくると、皆好き勝手に騒ぎだす。佐助はそうでもないが、幸村は先ほどから結構な量を飲んでいた。そんな幸村を見て、政宗が思い立ったように勝負をつきつける。
「Hey, 真田幸村! オレと飲み比べしろ!」
「む、その勝負お受け致す!」
 ちょっと旦那あ! と佐助が声を上げるも、幸村はもうすでに戦闘体勢。聴く耳をもたない。
「それでこそオレのrivalだ。おい、大杯持ってこい」
「か、片倉様! 筆頭が……!」
「まったく、仕方のないお方だ。持ってきて差し上げろ」
 伊達軍の者たちは主の突然の思いつきにひどく慌てているようだ。その当惑ぶりにつゆりは内心、首をかしげる。なんだか変だ。もしや酒癖が悪いとか、なにかよからぬことがあるのだろうかと色々考えてしまう。
「では筆頭、真田の兄さん、準備はいいですかい」
 リーゼント頭の兵士が指揮を執る。
「ああ、いいぜ」
「いつでも構いませぬ」
 うなずくふたりの手には両手で抱えるほどの大きな杯。その傍らにはお酒をつぐ人が緊張した面持ちで備えていた。一瞬の静寂につゆりまでもそわそわと落ち着かない。
「よーい、始め!」
 威勢のいい掛け声を合図に、ふたり同時に杯に口を付けた。周りの人たちも相当酔っているのか、手を叩いたり叫んだりして一斉に煽り出す。
「幸村さん、お酒強いんですね」
「まあ、強いと云えば強いんだろうけど」
「……なんですか?」
「いや、まあそのうち判るって」
 濁すように佐助が苦々しく笑った。
「ところで、竜の旦那はどうなわけ」
 口を真一文字に結んで政宗を見守っている小十郎に問う。難しい顔をしながら、そうだな、なんて小十郎は答えた。
「それほど強いというわけではないが、如何せん無理をし過ぎる」
「負けず嫌いだもんなあ、竜の旦那も」
 はあ、と困ったような溜め息ふたつに、つゆりは従者の苦労を垣間見た気がした。
「なんだあ、もうしまいかあ?」
「むう、まだまだああ!」
 幸村を挑発する政宗はすでに呂律があやしい。こころなしか顔にも赤みが差している。比べて幸村はことば通りまだまだいけそうなくらい涼しい顔をしていた。
 気持ちのいいくらいにお酒を嚥下していくふたりに、だんだんとお酌する人たちのほうが疲れてきているようだ。杯が傾くたび、ごくりごくりと男の人特有の喉仏が豪快に上下する。
「うっ、」
 先に杯を置いたのは政宗のほうだった。気分でも悪いのか口元を手で抑えている。やれやれ、と零しながらも、それを待っていたかのように小十郎が立ち上がった。
「政宗様、」
「く、おれあまだいけるぜ、こじゅうろ……ううっ」
「無理を仰らないで下さい」
「きもちわりい……」
 政宗のその様子に指揮を執っていた兵士が声を上げる。
「この勝負、真田の兄さんの勝ちい!」
 わああ、と周りが騒ぎだす。再び楽しそうにお酒を飲み出す者もいれば、筆頭が負けた! と嘆き出す者もいた。
「俺は政宗様を部屋まで連れていく。てめえらはまだ好きに飲んでろ」
 身体に力が入らないのであろう政宗の腕を、小十郎は自分の肩にかけて支えるとそのまま引きずるようにして広間を出ていった。何人かの兵士もそのあとを追いかけていく。
「幸村さん、すごいですね」
 彼らを見送りながら、つゆりはそう本人に声を掛けた。けれどなんの反応もなく、幸村は固まったままだ。
「幸村さん……?」
 あれだけお酒を飲んだのだ。つゆりが心配になってその肩を軽く揺すると、ばたん、とそのまま声もなく幸村は倒れてしまった。さああ、とつゆりの全身から血の気が引く。まさか、まさか急性アルコール中毒なんてことは。
「さ、ささ、佐助さん」
「ん? どうしたの……って、あちゃー」
 別の酔っぱらった兵士を介抱していたらしい佐助は、幸村を見るなり呆れたように溜め息をついた。そんな場合ではない。
「ど、ど、どうしましょう。ゆ、幸村さん、」
「落ち着いてつゆりちゃん、寝てるだけだから」
 いつもこうなんだよね、と零しながら佐助が幸村の身体を起こす。
「い、いつも……?」
「そ。この人、自分がどれだけ飲んだらぶっ倒れるのか判ってないんだ」
 聴いて、つゆりは唖然とする。幸村らしいと云えば幸村らしいけれど、あまり驚かせないで欲しい。死んでしまったのかと、思ったのだ。
「つゆりちゃん?」
「……よかった、です。びっくりしました」
「まったく、つゆりちゃんにまで心配かけて。手の掛かる主だよ、本当」
 困ったように笑う佐助のその目はとても優しくて、つゆりは安心すると同時にどこか満たされた気持ちになった。美味しいものを食べて、楽しく騒いで。こんなこと、現代にいた頃には感じられなかった。
 佐助とともに客間まで幸村を運んで、蒲団を敷いたうえに寝かせる。心地好さそうに寝息を立てて、深く眠っているその瞼は当分開きそうにない。
「もうほとんどみんな酔い潰れちゃってるし、俺様は片付け手伝ってくるよ」
「え、私も、手伝いますよ」
「つゆりちゃんは旦那のこと見ててやって。まあないとは思うけど、もし起きたら水飲ませてあげてね」
「わかりました。あ、あと、」
「ん、なに?」
 よろしく、と云い残して大広間へと戻ろうとする佐助を引き留めた。不思議そうにこちらを見下ろす佐助に、つゆりは軽く頭を下げる。
「さっきは、ありがとうございました」
「さっき?」
「えっと、お酒、の」
「ああ、あれでよかった? 余計なことしちゃったかなとも思ったんだけどさあ」
「いえ、助かりました」
 もう一度、ありがとうございますとお礼を云うと、佐助は、どういたしまして、とつゆりに笑ってくれた。

 静かになった部屋には雨の音だけが、ただ、しとしととつゆりの鼓膜を震わせる。時折それに重なるように幸村の呼吸の音が聴こえた。
 装束が窮屈なのか、幸村が少し眉を寄せて身じろぎする。さすがに着替えさせるのは無理だけれど、とりあえず髪を結っている紐だけでも解いてあげようとつゆりは腰を浮かせた。髪を結んだまま眠ると、翌朝起きたときにひどく痛むのはよく知っているところだ。
 起こしてしまわないように、そっと頭の後ろに手を差し込む。意外と柔らかい髪なのだな、なんて思いながら、そのまま少しだけ持ち上げて、もう片方の手で髪紐の結び目をほどいた。するりと抜きとれば、幸村の長い髪が蒲団に広がる。顔に掛かってしまった髪を払おうと再び手を伸ばすと、その手を突然捕らえられてしまった。
「あ、起きました……?」
 薄く開いた瞼から覗く瞳は、確かにつゆりを映しているようだ。佐助のことばを思い出し、お水持ってきますね、と立ち上がろうとしたのだが、逆にその手を引き寄せられた。
 急なことに抵抗もできず、つゆりはそのまま幸村の上に倒れ込んでしまう。
「ご、こめんなさっ、」
 寝惚けているとはいえこの状況はあまりよろしくない。そう思い慌てて身を起こそうとするも、がしりとその腕で抱きすくめられてしまった。
「わっ、わ、幸村さん?」
「つゆり、どの……」
「は、はい、」
「……」
 つゆりの名前だけ呼ぶと、また夢の中へ戻っていってしまったのか、幸村は再び寝息をたて始める。お酒の入っている身体はびっくりするほど熱くて、その熱が移るのか、じわじわとつゆりの体温が上がっていった。それに比例するように鼓動もとくとくと早くなっていく。
 このままではどうにかなってしまいそうだとつゆりは必死にもがくが、たくましい腕はびくりとも動かない。寝ている幸村の一体どこにそんな力があるというのか。
 脱出は不可能だと悟ったつゆりは、諦めてそのまま幸村に身を委ねる。そうしてしまえば、思いのほかその体温が心地好いものだと知った。
 お酒の匂いに混ざって、幸村からは日向の薫りがする。ほかほかと陽に包まれるような感覚に、規則正しいその息づかいに、ゆっくりゆっくりとつゆりは意識を落としていった。




呑んで呑まれて

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