越後から広がった雨雲はすでに奥州の地に雨を落としていた。わざわざ此処まで足を伸ばす必要もなかったかね、なんて道の途中で合流した佐助が面倒そうに云った。
「文を頂いたのだ、雨は降ったにしても顔を出さねばなるまい」
「まあそうだけどさ。できればあんまり会いたくないじゃない」
「何を云うか、失礼だろう。政宗殿と刃を交えることの出来る大切な機会なのだぞ」
「だから嫌なんだって」
 呆れたような溜め息が零れる。それだけで佐助はあまり伊達政宗をよく思っていないのだろうことがつゆりにもわかった。それとも、ただ気苦労が増えることが憂鬱なだけなのか。けれどそんな佐助を気にもとめず、幸村は本当に楽しみにしているようだった。

 すっかり日が暮れた頃、それでも思っていたよりは早く米沢城に到着した。出迎えてくれたのは頬に傷の痕を残した怖面の男。
「すまねえな、政宗様の気まぐれで」
「いえ、お呼び頂き光栄にござる」
 口調もなんだか荒々しい。つゆりはふたりの会話に耳を傾けつつも、隣を見上げる。気付いた佐助が、怖いでしょ、なんて耳打ちしてきたが、さすがに本人を前にしてうなずくことはできなかった。
「それで、その娘が」
 突然話を振られてびっくりする。男へと顔を向ければ鋭い眼光に射抜かれるようで無意識につゆりの身はすくんだ。
「いかにも。彼女が雨神殿にござる」
「片倉小十郎だ。そんなに固くならなくていい」
 困ったように云われて、緊張していることがバレているのだと少し気まずくなる。つゆりは慌ててごまかすように頭を下げた。
「つゆりと、申します」
「この雨を降らせてくれたのもお前と云うわけか」
「……は、はい」
「そうか。礼を云わなければならねえな、感謝する」
「……いえ、」
 声が震えているのが自分でも判ってひどく情けない。それに、勢いで「はい」なんて云ってしまったけれどこれで良かったのだろうか。
「政宗様がお待ちだ。無礼のないようにな」
 そう踵を返した小十郎につゆりたちは付いていく。城内へ入ると物珍しそうな目線が所々から突き刺さってきた。隠れているつもりなのか、戸の隙間から覗いているような者もいて少し居心地が悪い。
 それに、こんなことを云っては失礼かもしれない、とつゆりは思うのだけれど、とにかく兵士と思われる人たちの柄が悪いのだ。リーゼント頭なんてひと昔前の不良を思い起こさせる。
「政宗様、真田たちがいらっしゃいました」
「入れ」
 襖の向こうから低い声が云う。失礼致します、とひと言断ると小十郎は襖を開けた。
「Welcome, よく来たな」
 つゆりは少々驚いた。にっ、と口角を上げる伊達政宗は幸村よりも少し年上というくらいで想像よりもずっと若い。片目は隠してしまっているけれどとても端正な顔立ちをしている。
「お久しぶりにございまする、政宗殿」
「久しぶりだな、真田幸村」
 仲の良い友達のように挨拶を交わすふたりに、本当に互いに認め合う好敵手なのだということがつゆりにも見てとれた。幸村の口調はいつも通りひどく丁寧だが、佐助に向けるそれとはまた別の親しみや尊敬といったものが滲み出ている。
「で、アンタが雨神か」
 鋭利な隻眼が品定めでもするかのようにつゆりを見据えた。その慧眼に耐えられなくなって目線を逸らそうとした時だ。立ち上がり近づいた政宗がなにを思ったか片手でつゆりの顎を捕らえた。
「普通の小娘にしか見えねえがなあ」
「ちょっと、竜の旦那!」
「政宗様、」
 佐助と小十郎が咎めるように声を上げるも、政宗は一瞥しただけですぐにつゆりへと視線を戻す。突然のことに固まるつゆりの身体は云うことなど聴いてくれず、身動きすらできない。
「それにしても、随分とcrazyな目をしてやがる」
 なんて、失礼な人なのか。スッと細められた切れ長の瞳に映るつゆりは、それでも思いきり嫌悪を露にしていた。眉間にしわが寄っているのが自分でもわかる。
「気に入らねえな、なにか云ったらどうだ」
「離して、下さい」
 挑発に乗って無理やり喉から出した声はほとんど空気のようだった。どうして、初対面の人にこんなことを云われないといけないのだろうか。
 それでも以前だったらきっと、どんなことを云われたってつゆりは何も感じなかった。気にしないふりをして、諦めていた。
 けれど今は、なぜかひどく悔しいのだ。揶揄され、見下されていることに腹が立つ。
「……あなたに、狂ってるだなんて、云われたくない」
 つゆりが睨み返せば、驚きからか怒りからか一瞬だけその左目が見開かれた。状況が良くないと判断したのか、幸村がすぐに政宗とつゆりの間に割って入る。
 竜の手から解放されたつゆりは急いで政宗から目線を逸らした。そして事の重大さを噛みしめる。相手は殿様なのに、一番偉い人なのに、自分はなんてことを口走ってしまったのか。佐助がふたりから遠ざけるようにしてさりげなく腕を引き寄せてくれたけれど、つゆりの頭の中はそれどころではなかった。
「お辞め下され、政宗殿。貴殿と云えどおなごに斯様な仕打ち、」
「Oh, sorry. ちぃとばかりからかいたくなっただけだ」
 悪かったな、と冗談めかすように笑みを浮かべる。ほっとするも、人を小馬鹿にするようなそれがいちいち癪に触るのだった。どうして佐助が彼に会うのを嫌がったのか、つゆりはわかった気がした。
「アンタ、名は」
「……つゆりです」
「OK, 覚えておく。オレのことは好きに呼べばいい」
 それより、と伊達政宗は続ける。
「南蛮語が判るのか」
「……少し、だけなら」
 南蛮語が英語のことを指しているのだとすぐには理解できなかった。よく考えれば、今は戦国時代だ。英語が判る人などそうそう居ない。つゆりにしたら、かの伊達政宗が英語を混じえて喋っていることのほうが驚きだ。
「へえ、頭の良い女は嫌いじゃねえぜ」
 にやりと悪どい笑みを向けられる。私は伊達さんを好きになれそうにはないけれど、とつゆりはこころの中でだけ呟いた。本当にからかうだけのつもりだったのだとしても第一印象が悪すぎた。
「政宗様、あまり、」
「Ah, 小十郎、partyの準備だ。雨も降った、盛大に持て成せよ」
「……御意」
 ことばを遮られたことに溜め息を漏らしながらも、小十郎はひとつ頭を下げると部屋から出ていった。当たり前だけれど政宗に対してはとても丁寧な物云いをするのだな、とつゆりは虚を突かれた気分だった。
 目の前の彼がどんな風にこの奥州を統べてきたのかなどつゆりは知らない。しかし家臣からは深く慕われていることは容易に窺えた。佐助はともかく、幸村も一目置いている人物なのだ、やはりどこか尊敬すべきところがあるのだろう。
「長旅で疲れただろ。客間を用意してやっから宴の準備が整うまで休めばいい」
「かたじけのうございまする」
 ついてきな、と云われて部屋を出る。庭に面した廊下を歩きながら政宗がぽつりと零した。
「……いいもんだな、久しぶりの雨は」
 隻眼が外に向く。雨に濡れる日本庭園はどこの城へ行っても本当に綺麗なものばかりだ。季節とか自然とか、そういったものを大切にする日本人らしさがありありと出ている。
 この米沢城の庭には奇妙なかたちの石像がいくつか佇んでいるが、西洋に関心のあるらしい政宗の趣味なのだろう。
「危うく作物が駄目になっちまうところだった。収穫は少ないだろうが、これで農民たちもなんとか食っていけんだろ」
「甲斐も少し前までは同じ状況で御座ったゆえ、心中お察し致しまする」
「そうだったな。なにも奥州だけじゃねえ」
 その瞳はとても、優しい色をしていた。ああ、こういうところに家臣たちは惹かれるのか、と不本意ながらもつゆりは納得する。一国の主として民を思う気持ちは信玄も政宗もなにも変わらないのだ。
「ここだ。宴の準備が整ったら小十郎に呼びに来させる。それまで好きにしててくれ」
「わかり申した。おことばに甘えて休ませて頂きまする」
「アンタもだ。ゆっくり休めよ、つゆり」
「あ、ありがとう御座います」
「夜は別々の部屋を用意してやっから要らない心配はしなくていいぜ」
「なっ、政宗殿……!」
「jokeだ、joke」
 ひらりと手を振って自分の部屋に戻っていく政宗に幸村は顔をしかめた。まったく、なんて佐助が疲れたように溜め息を漏らす。
「つゆりちゃん、大丈夫? よく頑張ったね」
 政宗とのことを云っているのだろう、労るように優しく頭を撫でられて、つゆりはやっと強ばっていた肩の力を抜いた。本当はどうしようもなく、怖かったのだ。
「相変わらずでござるな、政宗殿は」
「本当、右目の旦那ももっとバシッと叱ってやって欲しいよね」
「右目の旦那……?」
「ああ、片倉の旦那のこと。竜の右目って呼ばれてんだ」
「そうなんですか」
「片倉殿は政宗殿が一番の信頼を置く側近にござれば」
 いろいろ云っても結局はすごい人なのだ、政宗も、また彼に認められている小十郎も。
 宛てがわれた客間は妙に広くて落ち着かない。それでもどうしたってお腹は空くので、雨の音を聴きながら宴の準備ができるのを待った。




蒼竜とその右目

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