もうどれくらい歩いたのだろうか。慣れない暗闇のなか、ひたすら歩いたつゆりは、まるでいま動かしている足が自分のものではないように思えてならなかった。ほとんど感覚がないのだ。
 つゆりは来た道を振り返ってみた。決して方向音痴というわけではないと思うのだけれど、どうしてだろうか、いつまで経っても森を抜けられないでいた。
 雨が降っているため野宿することもできず、夜通し歩き続けた結果が迷子とは。溜め息すら出ない。
 とりあえず、少し休むことにする。このままでは身体が持たない。
「お腹空いた……」
 誰もいない空間にぽつりと呟く。風だけが木々の間を自由に泳いでいた。自分も空を飛べたらよかったのに、とつゆりはぼんやりと思った。

 あまり地面の濡れていない、大きく葉が広がる木の根本に座り込む。
 こんなことになるのなら意地を張らずに一晩泊めさせてもらえばよかった、とつゆりは後悔した。見ず知らずの人に拾われたあげく、一泊させてもらうなんて情けないことこの上ないけれど、確実にそのほうが頭のいい選択だっただろう。
 利用できるものは何でも利用するべきだ。もう何時間も前の自分に毒づく。
 気休めにもならないが、湿った鞄から大きな飴玉をひとつ取り出して口の中へとほうりこんだ。つゆりは甘い味を舌で転がしながら、背中を大きな木の幹に預けた。
 学校に行かない鞄には辛うじてノートが1冊と筆箱が入っている。あとはお気に入りの小説、お菓子やゲーム機など、勉強とは無縁のものばかり。教科書の類は一切なし。
 しばらくそうしていると、辺りがほんの少し白み始めてきた。夜明けが近いのだ。立ち上がり、つゆりは葉の傘下から出る。折り畳み傘のビニールにバツバツと大粒の雨が打ち付けた。
 道と云うには少々心もとない細い筋を左右に見やる。一体どっちの道から来たのだったか。
 まあ、いい。どうせ迷子なのだ。成るようにしか成らない。

「う、わっ」
 分厚い雨雲の向こう側で太陽が昇り始めた頃、急に開けた場所に出た。よそ見をしていたつゆりは足を滑らせそうになって慌てて急停止する。足下は落ちたらそれなりの怪我を負うだろう急斜面。
「……え、」
 危なかったと一息吐くと同時に、つゆりは眼下に広がる風景に唖然とした。どうやら出発したはずの城の反対側に行き着いてしまったらしい。
 ぐるりと半周してしまったということか。それもかなりの大回りで。やはり自分は方向音痴なのではないかとさすがに疑いたくなる。
 雨で視界が定かではないなか、縁側から人が庭へ降りたのが確認できた。モノクロの世界に映える紅、あれは真田幸村だろうか。
 こんな雨の、それも早朝に2本の槍を振り回している。ご苦労なことだ。
 刹那、槍の尖端に赤い光が灯る。光というより、炎だ。華麗に振り回される二槍が赤い軌跡を描いて燃え上がる。それはとても幻想的で、同時にやはりこの世界はどこかおかしいのだとも思った。少なくともつゆりのいた世界では今も昔も槍に炎は灯らない。
 無駄のないしなやかな動きにつゆりが見蕩れていると、その視界の端で小さな殺意がキラリと光った。
 紅が舞う庭の奥の繁み。身を潜める黒づくめがつゆりにはたしかに確認できた。真田幸村はおそらく、鍛錬に夢中になるあまり気付いていない。
 雨は一層酷くなるばかりで、一抹の不安がつゆりを掻き立てた。きっと、雨のせいで音も気配も感じとることが困難なのだ。
 キラキラと雨に濡れて底光りする殺気が強くなった気がした。隙あらば飛びかかりかねないような黒の体制に、どうしようもない怒りが込み上げる。
 その手に持っているのは短剣のような、小さな刀。それでも刃は身を貫けるくらいの長さはあって、一発で確実に仕留めたいことが窺える。
 つゆりは傘を放り出して、ほとんど無意識に弓に矢を番えていた。古来のような尖った鏃(やじり)は付いていなくとも、ここから当たれば動きくらいは封じられる。生身の人間を貫通させられるくらいの殺傷能力はあるのだ。
 大嫌いだ、とつゆりは思う。こそこそと人の靴をどこかへ隠すみたいに、陰湿で汚いやり方が赦せなかった。
 この世界のことはよくわからない。しかし、いつの時代でも勝負ごとは正々堂々とやるものではないのか。ましてや、命に関わることならなおさら。
 人を殺して良いのは、死ぬ覚悟がある者だけだ。
 矢羽を持った手はそのままにキリキリと弓を押し出す。霞む視界でなんとか狙いを定めた。
「当たれ……!」
 黒点に向かって矢を放つ。それとほぼ同時に、脇腹に電撃のような衝撃が走った。つゆりの身体は横薙ぎにされ、近くの木に打ち付けられる。
 なにが起こったのか、すぐには理解できなかった。黒づくめに見張りの仲間がいたのだろうか。ぼんやりと滲む視界の中、振りかかる刃を和弓を横に構えることで辛うじて受け止めた。
 グラスファイバー製の弓は滅多なことでは折れないが、ぎしりぎしりと上からの圧力に歪んでいく。
「本当、」
 ああ、もうだめだ。そう思った途端、ふっとつゆりの身体からすべての力が抜けてしまった。その隙を見逃さないとばかりに鳩尾の辺りを踏みつけられる。
「う、あ……ッ」
「余計な仕事増やしてくれちゃって」
「……はっ、」
「まあ一応、殺さないでおいてあげるけどさ」
 聞き覚えのある低い声が歌うように囁く。あ、と思う間もなく、首の後ろをいやに硬く冷たい手刀が追撃した。力の入らなくなった身体はそのまま前に倒れて難なく担ぎ上げられる。
「雨神様がうちの旦那を狙うなんて、一体どういうつもり?」
 薄れていく意識の中で雨よりも冷たい声が降りそそぐ。
「これから全部吐いて貰うけどね」
 覚悟しとけよ、鋭利なことばにつゆりは抗うことを止め、静かに目を閉じる。
 せめて自分の放った矢が、標的に当たってくれているようにと願って。




彷徨い歩いた先

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