政宗くんを迎えるにあたって、困ったことがひとつだけあった。ほかでもない、寝床の用意だ。当然、ここは私ひとりが住むことしか想定されていないから、ベッドはひとつしかない。
 お客さまにソファをあてがうのも難だから、ここはベッドを使ってもらおう。そう政宗くんに伝えると、いや、と彼は予想に反してノーを出した。
「オレはここでいいぜ」
「いや、でも……」
「これが気に入った」
 ポンポンと座っているソファを叩く政宗くんは、たしかに居心地よさそうにしている。けれど、それでは私の気がおさまらない。
「ソファよりベッドのほうがふかふかだよ」
「そうなのかもしれねえが、こいつが傍にあるのもいい」
 こいつ、と指さされたのはぱちぱちと火の燃える暖炉。それについてはなにも云うことができなかった。ベッドのある屋根裏には当然ながら暖炉はおろか暖房器具すらないのだ。私はもう寒さにもだいぶ慣れてしまっていて、毛布と羽毛布団があれば平気だけれど、政宗くんはそういうわけにはいかないのだろう。
「でも、窮屈ではないかな」
「充分だ」
「なら、いいのだけど」
「Thank you」
 満足そうに政宗くんが答える。彼にとっては異文化のかたまりであろうこの家を、少しでも気に入ってもらえたのならよかった。ここでの生活は慣れてしまえば、便利なことはたくさんはあっても、不便に感じることはあまりないだろう。
「それにしても、そんな寒がりでよく奥州なんて治められるね」
 皮肉というか、からかいのつもりだった。500年前の東北と、田舎とはいえ、地球温暖化だなんだと騒がれている今の時代。どちらが寒いか、だなんて考えるまでもない。だけども政宗くんは、まったくだ、なんて可笑しそうに笑った。

 しばらくして政宗くんが、あ、と小さく声を漏らした。
「どうしたの」
「なんか落ち着かねえと思ったら、匕首がねえ」
「あいくち?」
「Ah...短刀だ。なかったか」
「ああ、あれ」
 彼の服を脱がしてしまったとき、いっしょに持ち出してしまった懐刀のことか。そこまで思い出して、ひとりで莫迦みたいに赤面してしまった。本当、ひきこもりすぎるのもよくない。
「ちょっと、待ってて」
「あ? ああ……」
 怪訝そうにこちらを見やる政宗くんから逃げるように背を向けて、いそいそとサイドボードを開ける。危ないからと、しまっておいたのだ。そう、うっかり手を伸ばしかけて、はっとした。そうだ、これは危ない。
「……政宗くん」
「どうした」
「これは、危険だから、ここにしまっておくよ」
「別にオレはアンタを斬ろうと考えてるわけじゃあねえぞ?」
「物騒なこと云わないで」
 にい、と口の端をつり上げる彼はさも面白そうに云った。私を脅してなにが楽しいのかはわからないけれど、とにかく、洒落にならない。
「こんなものは、ここでは必要ないよ」
「それはオレが決めることだ」
「ごめんね。けれど、こんなもの持ち歩いていることがバレたら、お役所行きだから。それは政宗くんも、嫌でしょう」
「そんな決まりがあるのか」
「あるのです」
 わずかに目を瞠った政宗くんに、私は頷いた。帯刀が当たり前の時代にいたのだ、無理もない。けれど、郷に入れば郷に従え、だ。
「いまは、こういうものを持つ必要がないから、禁止されているんだ」
「アンタの云う、必要がねえ、ってのは、どういう意味なんだ」
「使う理由がないんだよ。銃も、刀も。娯楽でたしなむ人はいるけれど、人を傷つけることはしない。この国はもう、ずいぶん前に戦争を放棄しているからね」
「……そうか」
 サイドボードの扉を閉めて、私は振り返る。政宗くんは淋しそうな、痛そうな、でもどこか嬉しそうな、よくわからない、薄く陽の透ける灰色の曇り空のような表情をしていた。
「平穏なんだ、とても。きみたちの時代に比べたらね」
「泰平の世、か」
「これ以上は話さないよ。とにかく、いまはこういうものを持ち歩く理由がない。いいかな」
「OK, I understand」
 一度だけ頷いた彼に、私もまた、頷き返した。

 雪は、夜まで降りつづけた。
 夕飯を食べたあと、枕と毛布、羽毛布団を用意して、ソファの背を倒して簡易ベッドをつくった。あまりに簡単すぎて、ベッドメイキングだなんて大層なものではなかった。枕は大きめのクッションを代用、毛布と羽毛布団は予備用にあったもの。
「本当にこんなのでいいの」
「少なくとも薄っぺらい蒲団よか上等だ」
「そんなこと云っても、いいものを使っていたんでしょう」
「まあな」
 さらりと笑われる。自慢というよりは、それが当たり前なのだという口ぶりに、清々しささえ感じた。たしかに、謙遜するところでもないけれど。
「……あったけ」
 布団に潜り込みながら政宗くんが呟く。
「もう寝るの」
「悪いか。オレはもう眠い」
「それはべつにいいのだけれど、眼帯はしたまま?」
「Ah...」
 歯切れの悪い、呻きのような声。あまり触れられたくないことなのだろうか、左目を気まずそうに逸らされる。
「私ももうすぐ部屋に上がるから、見られたくないのなら、そのあとで外せばいい」
 返事はない。その代わりに、私の瞳へと視線が戻ってきた。ゆるりとした動きに、本当に眠たいのだということがわかる。
「でも、私よりはやく起きて、眼帯を付けなおさなければいけないよ」
「……わかってる」
「なら、いいんだ」
 私の返事を聴くと、その隻眼が閉じられる。細い血管の通る瞼は薄青く、綺麗な鱗のようだ。意識のあるうちに私がいなくならないと、眼帯を外せないまま眠ってしまうだろうと、わざと足音を小さく鳴らしてソファから離れた。
「good night, ゆきめ」
 背後から追いかけてきた、なめらかな声に足をとめる。誰かに名前を呼ばれるのも、こんな風におやすみを云われるのも、とても久しぶりで、不意をつかれた気分だった。やっぱり、ひきこもりすぎるのもよくない。
「やっと名前、呼んでくれた」
「……そうだったか」
「そうだよ」
 はぐらかされてしまったけれど、彼は意図して私の名前をいままで呼ばなかったのではないかと思うのだ。理由はわからないし、本当のところがどうなのか、知るよしもないけれど。
「おやすみ、政宗くん」
 布団のなかでうずくまる背中に投げかけて、私は屋根裏までの階段を上がる。暖炉の火がぱちりと鳴いた。




曇り夜の羽毛

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