温め直したチャウダーをスープ皿に移し、伊達政宗と名乗る彼の前に静かに置いた。スプーンも添えて、どうぞ、とうながす。
「なんだ、これ」
「チャウダーです。ええと……ミルクのスープ、です」
「Hmm...これは、spoonか」
「そうですね」
「書の中でしか見たことねえ」
 物珍しそうに銀色のそれをもてあそぶ。ひっくり返してみたり、指でなぞってみたり。初々しい反応に、まるで小さな子どもを見ているような気分になった。
「お口に合うかは判りませんが」
 そんな常套句をかざせば、彼は節だった大きな手と手をいただきますの挨拶の代わりにぴたりと合わせた。ぎこちない手付きだったけれど、スプーンを口元に運ぶゆるやかな動作には、思わず見惚れてしまうような気品がたしかにあった。
「……旨い」
 ひと口飲み下したその唇から零れる、至って好意的な感想。自分の作った料理を他人に食べてもらうのは久しぶりだったから、褒めてもらえたことに心底ほっとした。

 それから彼はひたすら無言で手を動かして、最後にはお皿の中を空っぽにしてくれた。私もとっくに食べかけだったトーストとコーヒーを平らげていたから、そのソーサーやカップといっしょにスープ皿もキッチンへと持っていく。
 お世辞にも大きいとは云えないこの家は、私ひとりで暮らしていることもあって、私室以外のほとんどの扉を取り外してしまっていた。つまり、どこにいても全体が筒抜けに把握できる。
 なにが気になるのか、私が洗い物をしているあいだ、彼は終始こちらに片方しかない目を向けていた。
「水が出るのか」
 ややあって、唐突に投げかけられた。
「そうですよ」
 ただひと言、そうとだけ答える。私にとっては当たり前すぎて、それ以外に答えようがなかったのだ。
「伊達政宗さん」
 今度はこちらから問いかける。
「……なんだ」
 しばらくの沈黙を置いてから低く答えが返ってきた。それもどこか、警戒の色が滲み出ている。
「今、おいくつですか」
「あ?」
「お歳です」
「ああ……19だ」
「あ、やっぱり年下でしたか」
 安堵が声にでてしまった。しかも思ったより離れている。認識したとたん、肩の力が抜けてしまって、私は危うくお皿を取りこぼしそうになったほどだ。
 洗った食器を目の前の壁に取り付けてある小さな窓辺に立てかけてから、テーブルへと戻る。
「その、私、敬語は苦手なんです」
「あ?」
「構わないですか」
「……好きにしろ」
「どうもありがとう」
 口調を崩したことで、本来の自分が帰ってきたような気がした。こころが広い殿様のようで良かった、と冗談めかして笑うと、彼は彼で、小馬鹿にするようににやりと笑んだ。
「アンタ、年上には見えねえがな」
「それは、褒めことばかな」
 これでも5、6歳は私のほうが上なのだ。若く見られていたことに少なからず嬉しくなった。そんなこと、口にはださないけれど。

 彼は、一国の主と云うだけあって、その雰囲気は今の19歳とは比べものにならないほどの風格がある。妙な威圧感さえ覚えるくらいだ。
 けれど、そう怖じ気付いてばかりもいられない。これからのことを考えるためにも、まずは今の状況を把握してもらわないと。
「政宗くん、でいいかな」
「ああ」
「私はきみの云ったことをすべて信じる。だから、政宗くんもこれから私の云うことをすべて信じてほしい」
「用心深いな」
「そういうわけではないんだ」
「まあ、いいだろう。回りくどいのは好きじゃねえ、云え」
 切れ長の瞳が私をどこか興味深げに映す。彼にとってこれが楽しいお話であるかはわからないが、ご希望どおりとりあえずは余すことなく伝えることにした。
「もし、本当にきみが戦国時代の人だと云うのなら、私にとってきみは過去の人になる」
「……どういう意味だ?」
「今この時から見たら、戦国時代は500年も前の時代なんだ」
 政宗くんが眉をひそめる。私は思わず苦笑を漏らしてしまった。あからさまな不快感を彼は隠そうともしないのだ。
「オレはつまらねえ嘘は嫌いだ」
「信じるってことを前提で話しているのに」
「限度があんだろ」
「それなら私が、きみが『伊達政宗』であることを否定しても、文句はない?」
「……本当なのか」
「嘘はついてないよ」
 そもそも、つく理由がない。私は早々にこの問題を解決してしまいたかった。
「正直な話、きみが殿様であろうと何であろうと、私にはあまり関係のないことだけど」
「敬語じゃなくていいとは云ったが、少しは慎めよ」
「今の世は誰もが平等なんだ」
「Ah?」
「とくに、ここは私の家なのだから、なんのルールもない。上も下もなし」
 そういうものが嫌で、私はこの地に逃げて、まるで社会から隠れるようにひとりで暮らしているのだ。それなのに、赤の他人によって制限されてしまうなんて冗談じゃない。
 だからこそ、さっさとこれから先のことを決めてしまいたいのだ。自分のテリトリーに他人が入り込んでいるということ自体、私にとっては多大なるストレスだった。
「もし我慢ならないというなら、すぐに出ていって。ここは、政宗くんの生きていた時代や場所とは違うんだ」
「...OK, 判った。ここはアンタの城だ。アンタに従おう」
「そういう、従うなんてのもなしだよ。政宗くんも好きなように振る舞ってくれていいから」
「そうかい」
 あしらうような口調ではあったものの、さっきまで見せていた不快の色は消えているようだった。これでもし万が一、彼に帰る術がなくともお互い気分よく同居人としてやっていけるだろう。
 そうひとり頷いてから、自分がそこまで想定していることに少し驚く。我ながらおかしくて笑えた。

 窓の外に目をやれば、木々の見境もつかないほどの白。四角く切り取られた世界は限りなく無に近かった。昨日の雨とはうって変わって、本格的な冬が来たみたいだ。
「すっかり冬だね。政宗くんが連れてきてしまったみたい」
「オレは冬は嫌いだ」
「そうなの。さっきから嫌いなものばっかりだ」
「寒いわ雪降るわ、最悪じゃねえか」
「それがいいと私は思うけれど」
「戦もねえから、退屈だしな」
 云い訳のようにそう付け足した彼に、なんとなく、ほかにも冬が嫌いな理由があるんじゃないだろうかと思った。当然、根拠なんて微塵もない。
「それにしても、これからどうするの?」
「アンタの云うことが本当なら、ここはオレにとって未来なんだろう」
「そうだね」
「いくらオレでも時代を超える力はねえからな」
「でも実際、来てしまったじゃない。ここに来る前は何をしていたの?」
「部屋にいた。冬になると外に出るのも億劫でな」
「そう」
 彼を見つけた時間までぐるりと記憶をさかのぼる。いま思い返しても、それはひどく異様な光景だった。
「政宗くんを見つけたときは雨が降っていて、雷も酷かったんだ」
「雷か、」
「なにか心当たりがあるの」
「いや……」
「そう? で、雷が近くに落ちたんじゃないかっていうくらい大きな音がしたから外に出たら、そこにきみがいた」
「雷の落ちたところに、か?」
「うん。死んでると思って近づいたのに、意識がないだけでぜんぜん綺麗だったからびっくりしたよ」
 たぶん、一生あの驚愕は忘れられないだろう。あの雷と、彼が過去から飛んできてしまったこと、なにか特別な因果があるのだろうか。
「もう一度、雷に撃たれたら戻れるかもしれないね」
「どうだかな……」
 半分ふざけて云ったものだったけれど、政宗くんは思いのほか深刻に捉えているようだった。無理もない。国ひとつ置いて、自分の身ひとつでこんなところに飛ばされたのだ。
「……しかしまあ、罪深いことだね」
「なにがだ」
「未来を見てしまったことに決まってる」
 500年も先の世を見ても、あまりの現実味のなさに、むしろ夢のような心地を抱くのかもしれない。それでも、彼の天下取りには少なからず影響するはずだと思うのだ。
「戦国時代に生きる者のなかでただひとり、きみは未来の行く先を知ってしまったってことでしょう」
「まあ、そうなるか」
「私はきみに、なにも話せないよ」
「It is natural. 話さないでくれ」
「それでいいなら、帰れるまでここにいたらいい」
「……Thank you」
 なめらかに紡がれたことばはどこか面映ゆげだった。私まで少し照れてしまって、彼がつくやる気のない頬づえをひたりと眺めながら、どういたしましてと呟いた。

 私にできることは、彼を絶望させないことだろう。もし、この未来に希望を持てなくなってしまったら、生きていく意味を失ってしまうかもしれない。
 そのために私は、今のこの日本の情勢はできる限り隠してあげよう。行きつく先がこんな世界だと知ってしまったら、私だってやるせなくなってしまう。
 彼のような人が天下を取っていたら、また違った世界があったのかもしれないな、と窓の外で塵のように舞う雪に目を向けた。




銀世界に想う

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