オレがあの、未来とも別世界ともつかない生活から戻ってきたとき、奥州は未だ雪に閉ざされていた。なにか変わりはなかったか、とそれとなく小十郎に訊けば、三日ものあいだ何処へお出掛けになっていたのですか、と問いに問いで返されてしまった。
 どうやら、オレがあちらで過ごした幾月は、こちらではたったの三日ほどであったらしい。城を開けていたのが僅かな日数だったことに安堵しつつも、説明のつかないその空白の三日間が、あの穏やかな日々が夢ではなかったことを物語っていた。
 いままでにも冬のあいだは勝手に城を開けることがままあったため、小十郎や周りの者たちにはいつもの気まぐれとして処理されたのだろう。無論、あれほど出掛けの際には供を云々などと小煩い説教は頂戴したが、ひさしぶりに聴く小言も悪くなかった。

 そんな奇妙な冬から一年後、オレは再び彼女のもとへと飛ぶこととなる。それで、これからもずっと、冬になれば毎年未来への扉が開くものだと、すっかりそう信じ込んでいたのだ。
 ところが、その二度目の冬からもう三年余りが経つ。
 その間で、豊臣秀吉を打ち、石田軍との戦や徳川との和睦を経て、九州・四国・中国・越後と諸国を順に落とすと、最後は武田を降伏させて、世は事実上、伊達の天下となった。
 とは云え、目の届かぬ国々はそれぞれ支配下の諸国大名に任せてあり、遷都する気もないオレは相変わらず奥州に城を構えている。ただ、徒に命を消費するような戦はもう無い。真田との決着もつかないままだが、それはそれで、いつでもあの刃を楽しめるというものだ。
 そうして幾つも季節は巡り、泰平の世となっては初めての冬が来たのだった。

「かっ、片倉様、大変です! 片倉様ー!」
 部下の者がばたばたと廊下を駆け回っている。どうやら小十郎を探しているらしい。障子越しにそれを聞きながら、オレは小さく息をついた。まったく、騒がしい奴らだ。懐かしい夢を見ていたというのに、すっかり邪魔されてしまった。
「どうした、おめえら」
「ゆっ、雪女です!」
「雪女あ?」
「雪のしたから、手が生えてたんすよ!」
「それが、かろうじて引っ張り出したら、ここらでは見たことのねえ格好の女でして!」
 口々に喚く部下たちに、小十郎が眉間に皺を寄せるのが目に浮かぶようだった。苦笑を零しかけて、ふと、とある女の顔が脳裏に浮ぶ。たったいま夢に見ていた、彼女の顔だ。
「おい、その女、どこにいる」
 障子を開け放ち、回廊の突き当たりでざわつく奴らに問う。怪訝そうな小十郎が口を開くより先に、部下のひとりである文七郎がまっ青な顔で答えた。
「城の裏のほうで、いま、良直たちが雪のなかから掘り起こしているところです……意識が、ないようで」
 最後まで聴く前に駆け出していた。その女が彼女であると、確信にも似た妙な予感がこの頭のなかを支配する。城の裏に回ると、良直と左馬助に蜂合わせた。左馬助の背にはやはり見覚えのある女が背負われていた。
「ゆきめ……!」
「筆頭? お、お知り合いで?」
「……女は任せろ、お前らは薬師を呼んでくれ」
「わ、わかりました!」
 彼女を、ゆきめを預かり、ここからいちばん近い私室に向かう。ふたりの部下は薬師を探しに駆けていった。

 薬師によれば、体温がかなり下がっているものの、かろうじて命は取り留めたとのことだった。なぜ雪の下に生き埋めになっていたのかは知らないが、早くに助け出されたのが不幸中の幸いだったようだ。
 眠る彼女の、冷えきった手を握る。逢いたかった。ずっと、逢いたかった。
「ゆきめ、」
 ひさしぶりに口にする名前だった。あの冬のことは、誰にも、小十郎にも話していない。彼女の名前もそこで過ごした時間もすべて、この胸の奥にずっと仕舞い込んでいた。
 空いているほうの手で、柔らかな頬をそっと撫でてやる。すると、ぴくりとその青白い目蓋が震えた。
「ゆきめ?」
 再度、名前を呼ぶ。それに応えるかのように、彼女は薄く目を開けた。視界にオレを捉えると、数度、ゆっくりと瞬く。
「政宗くん……」
 鼓膜を揺らした懐かしい声に、たまらず彼女を抱き起こした。あったかいね、などと、彼女は他人事みたいに笑う。
「どうして、こんなところにアンタが居る。しかも雪の下からとか、ふざけんなよ」
「……ここは、政宗くんの『城』なの?」
「そうだ」
「乱世はつづいてる?」
「約束どおり、オレが天下をとったさ。泰平の世になって初めての冬だ」
「そう、素敵だね。おめでとう。元気だった?」
「見ての通りだ。話を逸らすんじゃねえ」
 次第に別方向へと向かう会話を修正する。もう一度、どうしてここに居るのか、と訊ねた。
「どうしてと云われても……私、さっきまで雪掻きをしていたはずなのだけれど」
「雪掻き?」
「そう。それで、たしか屋根から雪が崩れてきて……下敷きになってしまったのかな」
「……なにやってんだよ、」
 細い背に回した腕に力をこめた。その身体にすこしだけ温かみが戻ってきたことに安堵する。無事でよかった。本当によかった。
「助けてくれたのは、政宗くん?」
「オレの部下たちだ」
「そう、あとでお礼を云わなければいけないね。部下ってことは、きみを支えてきたひとたちだもの」
 甘やかすようにゆきめはオレの髪を撫でる。そういうところは変わっていない。と、云うよりも、外見も含めて彼女には変わったところがほとんど見受けられなかった。
「アンタ、ついに正真正銘の魔女になったか」
 身を離して、改めてその顔を見つめてみる。やはり、三年も経ったとは思われない。
「なにを云っているの」
「まったく歳をとってねえじゃねえか」
「ひと月足らずだもの、そんなものでしょう。政宗くんは、すこし大人っぽくなったね」
「ひと月だと?」
「そうだよ。きみが帰ったあと、すこしして季節外れの大雪があったんだ」
 それで、とつづけようとするゆきめのことばを、溜め息で遮る。
「莫迦、こっちは三年も待った」
 これもまた、おそらくはこちらへ飛ぶ際に生じる時間のずれなのだろう。過去と未来を繋ぐ扉はどうにもひねくれているらしい。
「三年? そうだったの」
「ああ、追い付いちまったな」
「ほんとう」
「なに笑ってんだ」
 どこか楽しそうに肩を揺らすゆきめの額を、握った拳で軽く小突く。だって不思議な感じがするんだもの、とやさしい声が耳をくすぐった。
「実を云えば、ぼうっとしてしまっていたんだ」
「Ah?」
「政宗くんが帰ってしまったあとは、最初のときも、二度めだって、なんだか夢から醒め切らないみたいで」
 苦笑するゆきめの後頭部を引き寄せて、その額を自分の肩口に押しつける。なるほど浅い夢を見ているような気分だった。三年間想いを馳せつづけた相手が、ほとんど変わらぬ姿でいま、この腕のなかにいるのだ。




雪下に潜る花

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