日が昇るすこし前、急に目が覚めた。どういうわけか、隣には政宗くんが眠っていた。ぼんやりとした意識のなか、首を傾げる。ここは屋根裏部屋の私のベッドの上だ。
 慎重に身体を起こす。よく見れば、政宗くんの片手は一冊の本を開いたまま伏せるような形で置かれている。ベッドの脇にも本が数冊積み上がっていた。
 だいたいの状況を理解する。同時に、口もとが緩むのを感じた。
 彼は手もとの本をあらかた読み終え、新たな本を手にするために屋根裏へ上がってきたのだろう。そして、この場でついつい読み耽り、途中で寒くなって私のベッドへ入り込むと、そのまま眠ってしまったに違いない。
「政宗くん」
 小さな声で彼の名前を呼んでみる。艶のある黒髪を撫でてみる。眼帯は外されて、ベッドサイドに置いてあった。
「眠れなかったんだね」
 私はすこし、後悔する。春の気配を感じるにつれて膨らんでいく不安を、政宗くんにも少なからず移してしまったのかもしれない。ごめんね、と自分でも聞こえないくらいの小さな声で呟いて、彼の黒髪をそっと撫でた。
「それとも、眠りたくなかったのかな」
「……どっちもだ」
 掠れた声が答えた。しかし瞳は閉じられたままだ。
「ごめんね、起こしてしまったかな」
「眠れなかったし、眠りたくもなかった」
「けれど、眠っていたよ」
「ああ、ゆきめの傍なら、眠れるんだな」
 胸の奥がふわりとあたたかくなる。私ももう一度、起こしていた身を倒して、ベッドへ潜り込んだ。
「……ゆきめ?」
 政宗くんが不思議そうに瞼をすこしだけ上げた。
「起きねえのか」
「たまには、いっしょに寝よう。もうすぐ朝になるけれど」
「オレは眠い」
「うん。だから、寝よう」
 手を握る。大きくて節立った、あたたかい手。指を絡めるように、しっかりと握る。
「その手、」
「うん」
「離すなよ」
「政宗くんもね」
 目を閉じる。ゆっくりと微睡んでいく。相手の存在、という安心が欲しかったのだ。私も、政宗くんも。

 つぎに目が覚めたとき、陽はすっかり高く昇っていた。柔らかいひかりが窓から射し込み、床の木目をはっきりと浮かび上がらせている。
 当たり前だけれど、眠れば、時は知らない間に過ぎていってしまう。意識しないうちに経つ時間は、とてつもなく早く感じるものだ。
 だから、政宗くんは眠ろうとしなかったのだろう。
「そろそろ起きよう」
 片方の手は繋いだまま、空いている方の手で政宗くんの肩を揺する。政宗くんは微かに眉を寄せると、低く唸った。
「なんだよ、朝か」
「もう昼だよ」
 そのことばに驚いたらしい。がばりと勢いよく身を起こすと、彼はきょろきょろと部屋の隅から隅までを見回した。
「昼だと……」
 そして、落胆する。
「おい」
「なに?」
「なんだ、その手は」
 それから、ふたりの目の前に、この繋がれた手を掲げるのだった。
「一度起きたこと、覚えていないの?」
「Ah...」
「離すなよ、って云ったのはきみなのに」
「...Sorry, I don't remember」
 覚えていない、と云って彼は極まり悪そうにそっぽを向く。しかし、その頬や耳はこころなしか赤い。きっと、思い出して恥ずかしくなっているだけなのだろう。
「寝惚けてたんだね」
 思わず、笑いが零れる。
「うるせえ」
 突っぱねるように政宗くんは云う。そんな態度をとられても、ますます面白く思えるだけだった。いや、気恥ずかしいのは私も同じだ。笑うのは照れ隠しに他ならない。
 寝惚けて、ということは、それが無意識で紡がれたものであるということだ。つまり、離れたくないと、本心から彼も望んでくれていたと、そういうことだ。
 気づかない振りをするには、うれしすぎた。抑え込んでしまうには、尊すぎた。そうかと云って、この感情を口にできるほど私は素直でもない。
「政宗くん」
「なんだ」
「なに、食べようか」
 代わりに、そう問い掛けた。
「そうだな……」
 政宗くんは急に真面目な瞳になる。顎に手を宛てて思案する横顔は、これからの食事についてを考えているとは思えないほど秀麗だ。なにをやっても、彼は様になる。
「ああ、あれにする」
「どれ?」
「pancake」
「パンケーキ? 珍しいね、甘いものなんて」
「そういう気分なんだよ」
 がしがしと無造作に髪を掻くと、政宗くんはベッドから抜け出した。
 甘いものが食べたい気分。私は考えてみた。甘いものが得意ではないひとは、どんなときにそういう気分になるのだろう。
「なんだ、駄目なのか」
 私がなにも云わないからか、政宗くんが窺うように訊いた。
「ううん、どんなパンケーキがいいかと思って」
「classicなやつでいい。butter milkの、」
「わかった、そうしよう」
「オレ、先に下、降りてっから。着替えて来いよ」
 ぶっきらぼうにそう残して、政宗くんは屋根裏部屋を出て行った。私もベッドから這い出る。窓から差し込む陽が、暖かかった。

 着替えたあと、ベッドを整えようとして、そのままに取り残された読みかけの本に目が行った。
 Fairy Tales of The World.
 世界童話全集。
 伏せられているそれをひっくり返して、私はなるほど、と納得しながらも微笑ましい気持ちになった。本のページは『Runaway Pancake』の途中で止まっている。
 逃げ出したパンケーキ。ノルウェーの民話だ。美味しそうにできあがったパンケーキが、母親とその子どもやお婆さん、さらには道端で出くわしたアヒルや雌鶏、雄鶏たちから逃げるお話。
 彼は甘いものが食べたい気分だったのではなく、パンケーキが食べたい気分だったらしい。食べられないと知ると、途端に食べたくなってしまうのがひとの常である。
 しかし、政宗くんはこのお話の最後をまだ知らない。笑ってしまうような終わり方であるのに、よく見ればそれは痛いほど私たち人間の本質を映している。童話というのは、いつだってそうだ。夢のようでありながら、なによりも現実的だ。恐ろしいくらいに。




影凍る物語

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