野菜の入ったかごをうしろに乗せて、バイクを走らせる。ひとりで市場に残してきてしまった政宗くんが、なんだか心配だった。思い返せば、あんなにひとがたくさんいる場所は始めてだったはずだ。
 駐車場へバイクを停めて、かごを抱えて市場通りへと入っていく。すでに人びとが集い始めていた。私の売り場スペースはひどく奥まったところにある。しかしそれも仕方のないことで、人通りの多いスペースには大きな農家の見世などが配置されるのだ。
 けれども、私の売り場であるそこには、どういったわけかすでに小さな人だかりができていた。
「ゆきめ!」
 その中心から、聴きなれた声が飛んでくる。表情には若干の疲れが見てとれたものの、どうやら心配は杞憂であったらしい。
「政宗くん、準備ありがとう。お疲れさま」
 周りを囲む奥さまたちに軽く挨拶をしてから、売り場へ入る。新たに持ってきた野菜たちを政宗くんが並べながら云った。
「買って行ってくれるらしいぜ」
「え、あの方たちみんな?」
「Yes」
 よかったな、なんて口ずさむ彼に、きょうは早くに売り切ることができそうだと思った。この辺鄙な田舎街には若い男の子なんてあまり居ないうえ、政宗くんのような恰好いい子とあらば、目がいってしまうのもわかる気がする。

 見世を開いているあいだも、政宗くんはいろいろなひとに話しかけられた。
 名前はなんていうの。何処に住んでいるの。何歳なの。その右目はどうしたの。
 政宗くんは実に賢く答えた。
 政宗だ。しばらくコイツの家に世話になっている。数えで十九になる。右目? ものもらいでな。
 右目のことについて、私は内心、落ち着かなかった。無神経な好奇心に、すこしの憤りも感じなかったかと云えば、嘘になる。政宗くん本人は至って平然としているからなおさらだった。
 その内側では、あらゆるものを抑え込んでいるに違いないのだ。それがもう彼にとっては慣れた行為であったとしても、精神への負担は大きなものだろう。
 気丈なひとだ、と思った。いつだって強く気高いその裏には、しかし臆病さを隠している。
 また、私と政宗くん、ふたりはどんな関係なのか、という質問に、政宗くんはこう答えた。
 オレとゆきめは同居人だ。
 なんの不都合もない、適切な回答。そう思う。それなのに、私の胸はいたずらに痛んだ。
 理由はわかっている。
 私は、彼とそれ以上になることを望んでいるのだろう。それで勝手に傷つくなんて、随分と独りよがりな感情を拾ったものだ。
 そんな具合で、私は終始どこか浮かない気持ちでいた。ひとの変化に敏感と見える政宗くんがそれに気づかないはずもなく、幾度か心配そうに話しかけてくれたけれど、曖昧に返すことしかできないのだった。

 予期したとおり、野菜たちはみるみる売れていった。専業農家の見世よりも安く売っているため、いままでもそれなりではあったけれど、きょうは段違いだ。恐るべし美青年、とでも云うべきか。
「なに見てんだ」
「いや、きみはやっぱり、恰好いいのだなと思って」
「なんだ、妬いてんのか」
「すこし」
「……jokeだ」
 まじめに答えてんじゃねえ、と呆れられる。その頬が微かに色づいているのを見て、私は密かに安堵した。政宗くんの興味が、視線が、こころが、私のもとから離れて行ってしまうことを、寂しいと感じていたのだ。

 まだ昼前。もう売るものもなくなってしまったので、片付けを始める。ビニールシートを政宗くんに手伝ってもらいながら畳んでいると、不意に身体に軽い衝撃が走った。
「わっ」
 私のものではない、甲高い声が上がる。小さな男の子がぶつかってきたのだった。追いかけっこでもしていたのだろう、そのうしろにはもうひとり友だちを連れていた。
「ま、魔女……!」
 青ざめた顔でその子が云う。
「魔女だあ?」
 私より先に政宗くんが顔をしかめた。ぶつかった子は背後を振り向くとびくりと細い肩を揺らした。
「うわ、吸血鬼!」
「それはオレのことか」
「だっ、だってみんな云ってるよ。雑木林の奥の家には魔女が住んでるんだって!」
「しかも、吸血鬼の仲間が増えたって。兄ちゃんのことでしょ?」
 近所の子どもたちのあいだで、そんなことを云われているとは露ほども知らなかった。子どもの無垢な瞳には、入り組んだ木々の深くに佇む小屋は、お菓子のお家に見えるらしい。
 政宗くんはそれを聴いて、にっと悪そうな笑みを浮かべた。
「No, オレと魔女は仲間じゃねえ」
「じゃあ、吸血鬼は魔女の血を吸いに来たの?」
「bloodねえ……そうしてやりてえのも山々だが、オレたちは恋人だ」
「えっ」
「おまえらもいい女見つけろよ」
 ほら、行け。もう余所見すんなよ。手で払って子どもたちを促す。呆気にとられながらも小さな足はぱたぱたと駆けていった。またひとつ可笑しな噂が囁かれることになるのだろう。
「怒るなよ」
 子どもに話しかけるのとは違う、低い声が云った。
「怒ってはいないよ。彼らは子どもだもの」
「そうじゃねえ、ゆきめ」
「なに?」
「オレはきょう、ずっとこう云いたくて仕方なかったんだ」
 ひとつしかない彼の瞳が、私のほうを向く。
「オレたちは恋人だ、ってな」
 その眼差しには、さまざまな色が見え隠れしていて、彼の感情を察することは難しかった。
 ただ、おそらく。私は笑って見せればいいのだろう。だって、こんなにもうれしいのだから。
「子どもたち相手にからかっているのだと思ったよ」
「あのなあ、オレは」
「私も、そう云ってほしかった」
「ゆきめ?」
「そうなりたいって、望んでいたよ」
 政宗くんは私のことを考えて、同居人だ、と答えてくれていたのだろう。けれど、そんな気遣いはふたりのあいだにはもう必要ないのだ。
「……そうか、それで、」
「うん、たしかに嫉妬、していたんだ」
 もう、胸のどこにもわだかまりなんて在るはずがなかった。政宗くん、と名前を呼ぶと、彼は仄かに赤くなった頬を隠すように顔を背けた。
「片付け、済ませるぞ」
「そうだね」
 畳み掛けのビニールシートを手にとる。微かに春を含んだ風が、ふわりとその端を舞い上がらせた。




霜解けの市場

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