大がかりな雪掻きをした日から数日、雨が降ることもあったものの、ようやく気候は穏やかなものになっていた。
 そんな朝、いつもより早くに政宗くんを起こす。きょうはやりたいことがあるのだ。
「珍しいな、こんな刻に」
 窓の外に目を向けると、政宗くんは掠れた声で云った。空はまだ夜明けを迎えたばかりで、淡い藍色をしている。
「頼みたいことがあって」
 私が切り出せば、彼はすこし首を傾げた。
「なにをすればいい」
「畑の冬野菜をすべて収穫してしまいたいんだ」
「OK, I'll help you」
 手伝ってもらえるかな、と問う前に流暢な返事が返ってくる。政宗くんはぐぐっと一度伸びをしてから、すっかり板についたソファーベッドを抜け出した。
「小十郎の手伝いをたまにするからな。ある程度はわきまえてるぜ」
「ありがとう。頼もしいよ」
 口の端を上げる政宗くんに、私も笑ってみせた。それぞれ、支度に取りかかる。

 早朝の空気は冷たい。けれど、いままでのような、刺すほどの痛さや張り詰めた鋭さは幾分か和らいでいた。
「それでもまだ、寒いな」
 政宗くんが云う。口もとを隠した青いマフラーからは、淡く白い息が微かに上がった。
「いつの時代も冬は長い」
「でも、きっともうすぐ暖かくなるよ」
「……そうだな」
 同意の声を聴きながら、畑に積もって凍りついている雪を手で払い退ける。すぐに、したたかに広がる緑の葉が見えた。冬の野菜はとても強い。
「元気そうだ」
 政宗くんも、そう云って葉に触れた。
「そしたら、レタスから」
「I see. 任せな」
 立ち上がるや否や、彼は両手で雪からレタスを掘り起こしていく。そうして、腰を落とすと、根のほうからその葉の塊を一気に引き抜いた。ぱらぱら、と根から剥がれ落ちた土が白の上に斑模様をつくる。
「お見事」
「It's a snap」
 そんな調子で、ふたりで野菜を収穫していった。レタス、ブロッコリー、カリフラワー、ニラ、それから、葱やセロリ。どれも綺麗に、また健康に育っていた。

「で、こんなに採っちまってどうすんだ」
 政宗くんが汚れた腕を胸の前で組む。目線はいくつものかごに山積みとなった、たったいま収穫したばかりの野菜たちにそそがれていた。
「市場へ、売りに出すんだ」
「市場?」
「これなら、朝市に間に合うね」
 太陽は山々から顔を出した頃だ。もうすこしかかるかと思っていたけれど、政宗くんのお陰か、作業は随分と早く片付いた。いまから市場へ降りて準備をすれば、いちばん人通りの多くなる時間に見世を出すことができる。
「市場まではバイクで降りるから、政宗くんには野菜のかごを持てるだけ持ってもらいたいのだけれど」
「持てるだけ、って、両手塞がるだろ」
「だって、手綱は握らない主義、なんでしょう?」
 初めて政宗くんをバイクに乗せたときのことを思い出す。たしかに、彼はそう云ったはずだ。もっとも、そのときの私は危ないからやめてほしいと頼んだのだけれど。
「……上等だ」
 都合のいい私の科白に、政宗くんは左の口角だけを僅かに吊り上げた。
「アンタには敵わねえな」
 くつくつと喉を鳴らす、その瞳も悪戯っぽく笑っている。彼が楽しそうに笑む表情は、なんだかひどく安心した。
「bikeの準備をしろよ。missして振り落としたりしたら承知しねえぞ」
「政宗くんこそ、バランス崩して落ちたりしないようにね」
「Ah? 誰がbalanceを崩すって?」
 大きなかごを三つも抱えた政宗くんとそんな軽口を叩きながら、バイクの停めてある小屋の裏に回る。ここにはまだ、先日つくったかまくらが綺麗なかたちで残っていた。
「あっ、ちょっと待って」
「なんだ?」
「これ、これもお願い」
 バイクにキーを差したところで思い出して、慌てて傍の倉庫から折り畳まれたビニールシートを引っ張り出す。広げればけっこうな大きさになるそれを、政宗くんの腕に積み上がったかごの、さらにその上へ乗せた。
「くれぐれも、落とさないように」
「容赦ねえな」
「手加減されても、きみはうれしくないでしょう」
 両手が不自由なまま顔をしかめる政宗くんに、ヘルメットを被せてあげる。自分も被り、バイクに跨がって、政宗くんが後ろに乗ったことを確認してから、私はアクセルを回した。

 冬のにおいが立ち込める雑木林を抜けて、広い通りへと出る。そのまま進めば、この道は市場へと繋がっているのだ。
「なるほど、きょうは賑やかだな」
 普段、閑散とした街しか見ていない政宗くんは、準備に勤しむ人びとを見て意外そうに声を漏らした。
「一日二回、朝夕に開かれるこの市が、此処に住むひとたちの楽しみでもあるからね」
「平和だな」
「そうでもないさ」
 ぽつりと呟かれたことばに、敢えて冗談で返す。市場だって戦争であるよ、と。そのことばに、しかし政宗くんはしっくりとこないのか、首を捻るだけだった。
 市場にはすでに準備を終えて商売を始めている見世もあった。その、市場通りの入り口で一度停車し、政宗くんにバイクを降りるよう促す。
「場所はもう私の名前でとってあるから、そこにビニールシートを広げて、野菜を並べておいて欲しいんだ」
 彼のヘルメットを外しながら、場所や手続きの説明をする。
「アンタはどうするんだ、ゆきめ」
「まだ、持ってこられなかった野菜が残っているでしょう。これから戻って、運んでくるから」
「I see. わかった」
 うなずく政宗くんに、私もうなずき返した。
「ありがとう、よろしくね」
「You're welcome」
 たくさんの野菜と政宗くんを残して、私はもと来た道を引き返す。遠ざかる市場の活気を背に、彼をひとりにしたことをすこし申し訳なく思った。




氷原の下で

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