雨の音で目が覚めた。
 いつの間にか寝てしまっていたらしい。足下でゆらめく暖炉の火が随分と小さくなっていた。
 大きな木製のチェアから降りて窓の外を見れば、外は風が吹き荒れ雨が横に凪いでいた。ひどい夕立だ。雷まで鳴っている。冬に居場所を取られてしまった秋が、まるで最後の悪あがきをしているようだ。
 今日はもう外に出ないほうがいいだろう。

 ふわりとあくびを漏らしてチェアへと戻る。ふかふかの座布団が温かい。幸せだ、と思う。こんな生活、半年前までは考えられなかった。
 それなりの大学を出て、それなりの会社に就職して。それが一番安定していて幸せなのだと、その頃は信じて疑わなかった。
 けれど、現実はどうだ。やりたくもない仕事を押し付けられて、謝りたくもないのに頭を下げる日々。毎日のように入る残業のせいで食べて寝て仕事をするだけの生活に、すぐ嫌気が差した。

 会社を辞めてしまおう。そう決意させたのは、不条理な社会に疲れてふとなんの気なしに買った宝くじが当たったことから。
 これまでの人生、特に大きな波もなく平淡に生きてきた私にとって夢にも見ないことだった。ツキが回ってきた、と思った。
 たった半年足らずで退社して、当選したお金で買ったのがこの小さなイングリッシュガーデンだ。好きなことだけをして、ひとりで気ままに生きていく。これが私にぴったりの生活だった。
 今の社会は私の肌には合わなかっただけのことだ。いくら安定していても、人の顔色ばかりを伺って、本当の自分を隠して生きていかなければならない生活なら、そんなものは要らない。

 奥まった田舎の緑に囲まれて、たぶん、今が人生の中のどの時よりも幸せだと云える自信がある。そしてこれからも、誰にも邪魔されることのない、私の時間はこの心臓が止まるまでずっと続いていくのだ。
 そう確信してやまなかった。

 もうひと眠りしよう。そう思ったとき、鼓膜が破れてしまうのではと思うほどの雷鳴が轟いた。一瞬だけ異様に明るくなった空が仄暗い部屋を照らし出す。
 これは、近くに落ちたんじゃないだろうか。ばくばくと落ちつかない心拍に、息を深く吸ってから立ち上がる。確認しにいかなければ。冬の雷は危険だ。

 この周辺には背の高い木が規則性なく並んでいる。そのどれかに雷が落ちただなんてことになったら、たちまち炎上して辺り一帯が火の海になってしまう。
 寒いのでコートを着て、傘は危ないのでその上からさらにレインコートを着込む。フードをきっちり被ってレインブーツを履いてから、やけに重たいドアを開けた。
 冷たい風とともに雨が吹き込む。慌てて外へ出てドアを閉めた。視界は悪く、風でレインコートがバタバタとはためくものだから歩きにくい。整備されていない地面は色濃い土をぐちゃぐちゃに溶かしている。

 つん、となにかが焦げたような匂いが鼻を刺した。奥に進むにつれて濃くなっていくその匂いに不安が募る。
 葉をすべて落とした寒々しい木々たちが開けたところ、その光景に私は思わず目を瞠った。
 周りの木立が一切焼けていない代わりに、その開けた中心がぽっかりと丸く焦げているのだ。そして、立ち上る煙の中心に、人ひとり。
 身体の芯がすっと冷えていくのを感じた。もし、雷が人間に直撃したとして、その生存率はどのくらいなのだろう。
 曇る視界の中を恐る恐る近付く。うつ伏せに横たわるその人は、思っていたよりも全然、綺麗だった。まっ黒焦げの死体なんかじゃなくてよかった、と心底ほっとする。
 身体つきから見ても、その人が男だということはすぐに判った。今どき珍しい、袴を履いている。シンプルではあるけれど上品で、とても高級そうだ。
「あ、あのー……」
 しゃがみこみ、その肩を揺すりながら声をかけてみる。突っ伏していては苦しいだろうと、仰向けに転がしてみれば、存外、整った顔をしていた。見た感じ、歳は私より同じか少し下くらいだろう。右目にはなぜか眼帯を付けている。
 彼の口元に頬を寄せると、微かな呼吸を感じることができた。どうやら気を失っているだけらしい。
 この寒い豪雨の中、このまま放っておくのはさすがにこころ苦しく思えた。遠ざかっているとは云えまだ雷も鳴っている。
 そもそもこの周辺には私以外、人が住んでいないのだ。少し下れば小さな街があるくらいで、何の用があってこんなところまで足を運んで来たのか興味もあった。
「失礼しますよっ……と」
 彼の片腕を自分の首に回して、背中を支えながら立ち上がる。さすがに大の男とあって重い。
 それでも家に帰らないことには救急車も呼べないし、だからと云って先に帰って置き去りにするのもなんだか気が引けた。救急車を呼んだとしても、こんな辺鄙なところへ来るまでどれくらいかかるのかも判らないのだ。

 煙る視界の中、歩き出す。力の抜けた体躯がずり落ちないよう、かじかむ手で必死に支える。まるで鉄の塊をそのまま背負っているみたいだ。ここまで五分と掛からなかったはずなのに、家までの距離が何十分にも感じられた。
 帰ったら暖炉に薪を焼べ直して部屋を暖めよう。それから、砂糖をうんと入れて甘くしたホットミルクを飲もう。
 そんなことに考えを巡らせながら男を引きずる私はまだ、今までの日常がこれからも変わらず続いていくのだと、そう盲信していた。

 まだ、どこかで雷が唸っている。きっと明日あたりには大雪が降るのだろう。ふ、と吐き出した息は凍るように白かった。




雪起こしの雷

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