昨夜、政宗くんがそのまま眠ってしまってから、私は自分の寝室へと戻った。
 はらはらと降っていた雨は夜中のうちに雪へと変わったらしい。朝、目が覚めて、起き抜けに窓の外を覗くと、景色はまた一段と白を深めていた。

 足音を鳴らして階下へ降りる。いつもなら慌てたように起き上がって眼帯を着ける政宗くんは、きょうは未だに眠りつづけている。その寝顔は穏やかだ。
 着替えたり顔を洗ったりと身支度を整えてから、きのう摘んだ木の実でジャムを作ることにした。軽く水洗いした猿梨と冬苺をそれぞれ別の鍋に開けて、砂糖を加えて弱火で煮詰める。
 焦げ付かないようにゆるゆると鍋をかき混ぜていると、不意に右肩に重みを感じた。思わずびくりと肩を揺らす。間を置かずに面白そうに笑う声が耳をくすぐった。
「Good morning, ゆきめ」
「……政宗くん。おはよう」
「jam, つくってんのか」
 甘いにおいがする、と云いながら政宗くんは私のお腹へ手を回すと、肩のあたりに顔を埋める。背中から抱きすくめられるようなかたちに、私はすこし落ち着かない。それでも、これが彼なりの甘え方なのだろうと理解する。
「なあ、」
「なに?」
「なんか、手伝うことねえのか」
「じゃあ、団栗を暖炉で煎ってくれるかな」
「OK, 任せな」
 すっと背中からぬくもりが離れていく。ボウルに入っていた団栗をフライパンに開けると、政宗くんはリビングのほうへと戻っていった。私が頼んだというのに、軽くなった背中を淋しく感じる自分がいて、こっそりと人知れず苦笑を零した。
「それ、殻が割れ始めたら持っておいで」
 暖炉に薪を焼べる後ろ姿へそう投げ掛ける。おー、なんて間延びした声が返ってきた。

 煎った団栗は殻を割ってすり潰した。以外と力の要るその作業はぜんぶ政宗くんが請け負ってくれて、私はその傍らででき上がったジャムを瓶に詰めていた。
「きょうはまた、雪降ってんのな」
 クッキーを作るためのバターや砂糖をボウルに混ぜながら、政宗くんが呟く。
「きっと、最後の大雪になるよ」
「……だろうな」
 春めく前の、最後の冷え込み。この雪が熄んだらおそらく、冬は徐々に遠ざかっていくのだろう。暦ではあとひと月と半分もしないうちに春である。
「春になったら、」
 お花見にでもいこうか。そう云いかけて、やめた。政宗くんが不審そうな目を私へ向ける。
「なんだ」
「ううん。なんでもない」
 政宗くんが混ぜるボウルに卵白をすこしずつ加えていく。
 約束など、できなかった。それで政宗くんを縛ることを、私は望まない。
「ただ、庭にさ、たくさん花が咲くんだ」
「それは楽しみだな」
「小鳥のお墓の辺りなんて、小さなお花畑になる」
「なら、アイツも寂しくねえな」
 隻眼がやさしく細められる。私は政宗くんがすり潰した団栗の粉と、小麦粉をさらに投入した。大きな手はヘラを握ってそれらをさっくりと混ぜ合わせていく。粉は玉になって、なかなかクリーム状には馴染まないのだった。

 作った生地をふたりで手を汚しながら丸めて、あたためたオーブンで焼いていった。
 焼いているあいだ、政宗くんはソファに横になって本を読んでいたし、私はチェアに座って適当なラジオを聴いていた。同じ空間に居るのに別々のことをしているのはなんだか可笑しかったけれど、彼が視界に居るだけでひどく居心地がいいので、それでよかった。
 政宗くんも、そうであったらいいと思う。
 すると、彼の左目がゆるりと私を見上げた。目がしっかりと合ってしまう。しばらくそのまま見つめ合ったのち、耐えかねて首を傾げたのは私のほうだった。
「どうしたの」
 問えば、政宗くんはしばらく考えるような素振りを見せたあと、自分が被っていた毛布を持ち上げた。
「来いよ」
 ふいと目を逸らされる。
「寒いだろ」
 どこかぶっきらぼうな云い方に、私は思わず頬を緩めた。なに笑ってんだ、と拗ねたような声が飛ぶが、どうしようもなかった。
「ありがとう、お邪魔します」
 震える声で云いながら政宗くんの隣に潜り込む。すでに彼の体温で温められたそこは、ふわりと私を迎い入れてくれた。
「笑ってんじゃねえ」
 パタン、と本が閉じられたかと思えば、ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜられた。大きな両手からは微かにバターの香りがする。
「うれしかったんだよ」
「嘘つけ」
「ほんとうだって」
 乱暴だった手つきがだんだんとやさしくなっていって、次第に髪を梳くように撫でられる。その心地好さに目を細めると、猫みてえ、と呟きが降ってきた。
「それは政宗くんのほうだと思う」
「Ah? 誰がcatだ」
 政宗くんが眉をひそめたところで、オーブンがチンと高い音を鳴らした。
「あ、焼けたみたい」
「branch timeだな」
「珈琲と紅茶、どっちがいい?」
「coffee」
 毛布から抜け出して、ふたりでキッチンへ向かった。政宗くんはミトンを嵌めてオーブンから焼きたてのクッキーを取りだし、私は珈琲を淹れるためのお湯を沸かす。
「政宗くん、ジャムも持っていって」
「jam?」
「乗せて食べると美味しいんだ」
「なるほどな」
 政宗くんはうなずくと、バスケットに移したクッキーを片手に、もう片方の手でジャムの瓶ふたつを掴んだ。ほんとうに大きな手だ。
「ゆきめ」
「なに……?」
 名前を呼ばれたかと思えば、頬にやわらかな感触が降ってきた。小さなリップ音を残して離れたそれに驚いて振り返ると、政宗くんは得意気な表情で私を見下ろしていた。
「Unguarded」
 こつん、と瓶を持った手の甲で頭を小突かれる。微かに鼻歌なんて唄いながらリビングへ戻っていく後ろ姿は随分と上機嫌らしかった。私は自分の頬にそっと触れてみる。ずるい、と思った。
 彼の瞳に、もう怯えが宿ることはない。




霜夜の明けに

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