ああ、いたいた。

城の者は皆、寝静まる夜。そんな中、人ひとり捜し出すことなどそれほど苦労しないだろうに、目の前に降り立った男は疲れたとでも云いたげにぽきりと首を鳴らした。

「なにか用ですか、長」
「うん、実は紅子にどうしても頼みたいことがあって」
「お断りします」
「まだ何も云ってないじゃない」

云って貰わなくても判る。猿飛佐助直々からの頼まれ事にろくなものがないことはもう何度も経験済みだ。

「今回の任務はすっごく簡単!」
「……嘘臭いですよ」

じとりと睨み付けるもいつもの如く食えない笑みでかわされた。我らが隊長ながらまったく嫌な男だ。これでいて私と歳もそう変わらないのに技術だけは確かなのだから救われない。

「俺様は今日から任務のため地方に行きます」

急に改まった口調で頼んでもいない説明を始める。ここで素直に耳を傾けてしまったからいけなかった。

「長くて一月以上、上手くいけば半月ほどで戻れる。ただその間、紅子に弁丸様のお守りをして欲し」
「嫌です」
「いだけなんだけど、ってなんでよ」
「私、子ども苦手なので」

はああ、なんてわざとらしく盛大に溜め息をつく長。大体どうして私なのか。他に面倒見の良い者がたくさん居るだろうに。才蔵……はないにしても青海とか、小助とか。

「俺様たちは誰に仕える忍よ」
「真田様に仕える忍です」
「それで、弁丸様は誰の子よ」
「昌幸様の子です」
「そういうこって。頼んだぜ」
「いや、だから私じゃなくてもいいじゃないですか」

云いたいことは判る。いずれは真田の名を背負うことになる弁丸様をお守りするのも忍の役目だろう。けれど。
尚も渋る私に長はがしがしとその明るい色の髪を掻いた。それはもう面倒臭そうに。

「あのねえ、源三郎様だっているの。手が足りないの。わかる? それともなに。他に大事な任務とかあるわけ」
「……な」
「ないでしょ。はい、決まり」

口を挟む間もなく一気に捲し立てられた。そうとう顔に出ていたのか、そんな嫌そうな顔しないの、と眉間を指で弾かれる。

「それじゃあ、俺様そろそろ行かないといけないから」
「えっ、もうですか」
「弁丸様にもよろしく頼むわ」
「待って下さい、あの」
「あ、ご飯残さず食べさせてね。それから、これ」

懐から折りたたまれた紙を取り出すと、それを私に握らせる。詳しいことは全部書いておいたから、とにこやかに微笑まれた。

「弁丸様に怪我なんかさせた日にはどうなるか判ってるよね」

ひらりと手を振ったかと思うと不吉なことばだけを残して姿を消してしまった。ご飯残さず食べさせて、ってこれではまるでお母さんではないか。
長がそうしたようにわざとらしく溜め息をつく。長の幸せが逃げてしまえばいいというこれはまったくの当て付けだ。

夜が明ける前、弁丸様の部屋へそっと忍び込んだ。初めてそのお顔を拝見するというわけではないが、長が帰ってくるまでの間ほとんど知らないような幼子と共に過ごすのかと思うと気が重い。



「弁丸様、お早う御座います」

朝餉の用意が出来そうな頃を見計らって声をかけ、小さな肩をそっと揺さぶる。少しでも力を入れたら壊れてしまいそうで怖い。ううと寝惚けた呻きが上がり、花弁のような瞼が開くと曇りのない丸い瞳と出会った。その何もかもが未知のものだ。

「う、わああっ!」

数秒の沈黙を置いたあと、勢い良く身を起こす。こんな小さな身体からは想像出来ないほどの声量に思わず退けぞってしまった。恐ろしい。

「だっ、だだ、だれだおぬし……! さす、さすけはっ、さすけええ! であえ! であっ」

顔面蒼白で走りだそうとする弁丸様を慌てて引き留めてその口を無理やり手で塞ぐ。女中や他の忍が勘違いを起こしてはたまらない。餌を乞う魚のように、尚も助けを呼ぼうと唇が動くのを手のひらの内側で感じた。

「お、おち、落ち着いて下さい、」

ほとんど自分に云い聞かせるように呟く。こくこくと首が縦に振られると同時に腕を叩かれ、私は急いで口を覆っていた手を離した。すうっと大きく息を吸い込む音を聴く。

「なっ、なんなのだおぬしは!」
「申し訳ありません。今日からしばらく、猿飛佐助の代わりを務めさせて頂く者です」
「な、なに……?」

幼い顔が不安に揺らぐ。どうやら相当、長に懐いているらしい。それだけで私のこころはひやりといやに冷めていくのだ。子どもの扱いに慣れていない私と面倒見の良い長。これから、そんな風に比べられたりするのかもしれない。

「ご挨拶が遅れたご無礼、どうかお許し下さい」

膝を付き、頭を下げる。出来る限りの誠意を見せて、とにかくまずは警戒を解いてもらわなければ。

「真田忍隊、猿飛佐助が配下、東雲紅子と申します。猿飛に代わり弁丸様の警護を仰せつかった次第です」

唖然と固まってしまっている弁丸様に、大丈夫ですか? と内心ひやひやしながらも声を掛ける。我に返ったのか、はっとして私を見ると弁丸様はその口を開いた。

「さすけは、おらぬのか」
「はい。任務に出ており、最低でも半月以上は戻りません」
「そうか……」
「至らぬ所業もあるかとは思いますが、どうぞ宜しくお願い致します」
「う、うむ。よろしくおねがい、おたのみ申す」

戸惑いながらも返ってきた返事にほっとする。丁度その時、朝餉の準備が出来たというようなことを襖の向こうから女中に呼びかけられた。

「えっと……お部屋でお食べになられますか」
「そうしてくれ」

蒲団を畳み仕舞ってから、どうぞと女中に投げ掛けた。襖が開き、挨拶をして入ってきた彼女はてきぱきと膳の用意をする。時折、不思議そうにこちらを伺うのはきっといつもとは違う者が居るからなのだろう。
女中が出て行くと弁丸様はきちんと正座をしていただきますと手を合わせる。躾はよく行き届いているらしい。ただ、とても云いづらいのだが、ひとつだけ気になることが。

「おことばですが、弁丸様」
「……なんだ」
「その、人参がお嫌いですか」

声を掛けるべきか迷ったのだが、ぽいぽいと味噌汁の具である人参を器用に小皿へと避けていく様はさすがに見逃せない。あとで長に怒られるのは私なのだ。弁丸様が箸を止めて気まずそうに私の表情を伺う。

「べにこ、だったか」
「はい」
「おぬしもさすけのように好ききらいはいけないと申すのか」
「長から、そう云いつけられておりまして」
「くっ、ぬかりのないやつめ!」

ここには居ない憎き忍にそう吐き捨てて、それは嫌そうに避けた人参を箸で摘まんだ。口元まで持っていって、しかし、やはり無理だと箸を置いてしまう。

「どうしてもだめなのだ」
「それでは、いつもはどうされているのですか?」
「……ておる」
「すみません、よく聞こえな」
「っ、こっそりすてておるのだ!」

半ば叫ぶようにして打ち明けられ、しばし呆気にとられた。当の本人と云えば可哀想なことに涙目になっている。さああっと血の気が引くのが自分で判った。お願いだから泣かないでくれ。

「お、長には気付かれなかったのですか?」
「じいっと見られると食べにくいと云ってうしろを向いてもらうのだ。そのうちにこう……ぽいっ、とだな」

そう云ってシュッ、と畳に滑らせる真似をした。それ多分、気付いてますよ弁丸様。とは流石に云えず、適当に相槌を打つ。なぜ長も叱らなかったのだろう。

「さすけはおこるとおそろしいゆえ……」
「で、では弁丸様、紅子に案が御座います」
「なんだ?」
「長が帰って来るまでに人参を克服して、長を見返してやれば良いのです」
「だから食べれぬと、」

急いで箸を取って薄く切ってある人参をさらに割った。口元まで運んであげて、鼻をきゅっと摘まむ。そのあまりの柔らかさに驚いて手を引きそうになったのはおそらく気づかれていないはず。

「えっと……鼻を摘まむと、味が判らなくなるそうですから」
「まことか」
「はい」

確か。とこころの中で付け加えて、おずおずと開いた口に橙の欠片を落とした。これで食べてくれたら私は長に怒られないし、弁丸様も長に褒められる。良いこと尽くしだ。
鼻は摘まんだままなので、少し苦しそうに咀嚼していく。ごくりと細い喉が鳴った。

「う、うそを申したな。わかるではないか」

いっぱいの涙を溜めた目で睨みつけられた。ぎくりと心の臓が嫌な跳ね方をする。間違ってはいないはずなのだが。

「う、嘘など、滅相もありません」

べ、と顔を歪めて舌を出す弁丸様に慌てて弁解した。本当にそういうつもりではなかったのだ。どうしたものかと右往左往していると、しばらくして弁丸様がその小さな手で私の箸の持つ手を掴んだ。喉が引きつる。

「でも、食べるぞ」
「え、え?」
「さすけを見かえすのだ」

今度は自分できゅっと鼻を摘まんで、目まで瞑って口を開ける。どきまきしながらも舌の上に人参を乗せてあげると凄い勢いで噛み砕き飲み込んだ。

「う、ええ」
「大丈夫、ですか?」
「だっ、だいじょうぶだ」
「無理しないで下さいね」

そうして、どうにか全ての人参を胃へと送り込んだ弁丸様はなんだか誇らしげだった。そんなところはさすが子ども、単純。

「ぜんぶ食べたぞ!」
「偉いです」

とりあえず全力で褒める。ぱちぱちと手を鳴らせば満足げに笑ってくれた。

「べにこ」
「どうしました」
「だんごが食べたい」
「だ、団子、ですか」

そういえば長からの「弁丸様攻略法」にいつもの団子の作り方も書いてあったことを思い出す。初めに見たときはどうしてと首を傾げたのだが、なるほど、そういうことか。
しかし、団子など作ったことがあるはずもなく、本当に長は何でも出来る忍なのだなとつくづく差を感じてしまう。私は廚に立つことさえ滅多にないというのに。

ご褒美のはずのお団子はひどく不格好なものになってしまったが、弁丸様は何も云わずただおいしいと平らげて下さった。
案外、子どもと云えど素直で優しいお方なのかもしれない。惜しみなく向けて下さる笑顔に、どうにかやっていけそうだと思えた。




一、ご飯は残さず
  食べさせる

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