蝉の鳴きしきる木立のなかを、勘を頼りに突き進んでいく。暑さに空を仰げば、木漏れ日がきらきらと降りそそいだ。
 あんまり遠くに行っちゃだめだからね。
 まるで子どもに云い聴かせるみたいに、苦労性の彼は念を押した。しかしながら、きょう集まった友人たちはみんな、悲しいかなそんな云い付けをしっかり守るような質ではない。
 夏涼みにやって来た、ほとんど見知らぬこの土地で、いま、わたしたちは本気も本気の隠れ鬼をしている。

 川の流れる音をすこし遠くに聴きながら、ちょうどいい隠れ場所を探す。簡単には見つからないような、それでいて難しくはない、適度な場所がいい。早くしないと、そろそろ『鬼』に仕立て上げられた佐助くんが動き始めてしまう。
 奥へと進んでいくにつれ、緑はその色を、においを濃くしていった。自然の圧倒的な美しさに魅了されていると、視界の端にひと際映える赤を捉える。よくよく見てみれば、木々の奥にひっそりと、大きな鳥居が建っているようだった。
 こんな木立のなかに、神社があったとは知らなかった。少々驚きながらも、好奇心に胸が疼く。まるで引き寄せられるように、静謐な空気を纏う石段を上って行くと。そこには古びた神殿が重々しく佇んでいた。
「おいでませ、ってね」
 どこからともなく声が降ってきた。よく聴き慣れた声。他でもない、『鬼』の声だ。心臓がどくりと大きく脈打つ。
 つぎの瞬間、ほとんど反射的に踵を返して、上ってきた石段を駆け下りた。まさかもう回り込まれていたなんて。じわりと額に汗が滲む。
「どうして逃げるのさ。自分から此所へ入り込んだくせに」
「わっ、ま、待って!」
「待て、って云われて待つ莫迦がどこにいるかっての」
 ごもっともである。それでも逃げるべく足を踏み出そうとしたのだけれど、しかし、身体がまったく動かなくなっていた。指の先まで強ばってしまってぴくりともしない。まるで、金縛りにでもあったように。
 恐る恐る視線のみを廻らせれば、傍らにあった祠の屋根に、狐面に和装という出で立ちの青年がしゃがみこむようにしてこちらを窺っていた。
「びっくりさせちゃった?」
 目がまんまるだよ、と『狐』は楽しげに口にした。どうやら笑ったらしかった。と云うのも、顔の半分を覆う奇妙な面のせいで口もとしか表情がわからないのだ。
 しかしながら、声のみならず、笑い方も、夕焼けに溶け込む髪の色も、『鬼』と瓜二つ。三角の耳と九本の尻尾を除けば、佐助くんそのものなのである。どうしたものか、判断がつかない。
「此処、いい隠れ処だろ?」
 アンタがうろうろ隠れる場所を探し歩くから、俺様がいざなってあげたのさ。
 『狐』はわたしのすべてを見透かしているらしく、その薄いくちびるを歪めたのだった。

 日は、確実に傾き始めている。『狐』はなにをするでもなく、その後、神殿の奥へわたしを案内すると、お茶とお菓子を出して、他愛のない話をした。
「俺様、ひとを騙したり何なりして、驚かすことが大好きなんだよね。あ、食べていいんだよ」
 なるほど、『狐』に違わぬ性根だ。おことばに甘えて大福を頬張るも、わたしは顔をしかめた。それがわかったのか、『狐』はへらりと笑ってかわす。ふさふさの九尾がゆらめいた。
「でも、美味しそうな娘はもっと大好き」
 これ見よがしな舌舐めずり。ぞぞぞ、と背筋に冷ややかなものが走る。それがまた『狐』には面白いらしく、今度はくつくつと笑ってみせた。
「なあんて、誰が人間なんざ食べるかよ」
「嘘なの?」
「嘘も嘘。俺様、天狐だぜ? そんな下級のするようなこと、しないって」
 だから安心して隠れていたらいいよ、と、『狐』は茶を啜った。それはとても有り難いのだが、もうそろそろ日が沈んでしまう。いくらなんでも、『鬼』の出るのが遅くはないだろうか。勘のいい佐助くんにしては時間が掛かりすぎている。
「そうやって、あからさまに不安がるから、俺様みたいなのに漬け込まれるんだぜ、アンタ」
 爪の尖った獣らしい指が、わたしの頬をゆるりと撫でた。思わず、びくりと肩を跳ねさせる。そんなにもわかりやすかっただろうか。
「すぐに驚いたり、怖がったり、感情を露にしてくれる人間が、俺様たちは大好物だからね」
 意識的に視線を逸らす。夕陽で長く伸びた影が、ひとつ、わたしの分だけ落ちていた。
「影が、ないんだね」
「ん? ああ、俺様自身が『影』だからね」
「……わたし、そろそろ行かないと、」
「行くって、どこに」
「もう、日も暮れるし、みんなが探してると思うから」
「そりゃあ、探してるよ。鬼事ってのは、捕まるまで終わらないんだ」
 まあ、ここに居たら、一生見つけてもらえないと思うけどね。『狐』は自嘲気味に笑う。
「どういうこと?」
「結界が張ってあるのさ。他のあやかしや人間が近づけないようにね。アンタのためにそれを一時緩めてあげたんだ」
 要するに、絶対に見つからないこの場所へ、彼はわたしを匿ってくれていたらしい。けれど、それではやはり、いつまで経っても隠れ鬼は終わらないのだ。
「それなら、わたし、もう自分から出ていくよ」
「そう? 残念」
「最後に名前、訊いてもいい?」
 狐の面に手をかける。その下に隠れていたのは、思ったとおり『鬼』とよく似た顔だった。
「妖怪が名を名乗るってのは、そのひとに支配されることを赦すってことだ」
 はしばみ色の瞳が、悪戯っぽく細められる。わたしもようやく、笑みを返すことができた。
「わたしは、名前」
「名前、ね。特別に憶えておいてあげる」
 存外、やさしく囁かれる。耳元に触れる空気がくすぐったくて、首をすくめた。
「俺様の名前はね、」
「いいよやっぱり、わたし、知ってるから」
「知ってる?」
「うん、知ってる」
「じゃあ、名前も俺様のこと、ちゃんと憶えておいてね」
 額に手のひらが翳されて、自然と目蓋が落ちていった。ひとから滅多に見つけてもらえない影は、おそらく、寂しかっただけなのだ。

 目が覚めるとそこは、深い木立のなかだった。蝉時雨が降りそそぎ、濃い夕陽の色が葉と葉の透き間から零れている。川のせせらぎも遠くから聴こえていた。
「あ、起きた?」
 声の主が、わたしを心配そうに覗き込む。どうやら、膝枕をしてくれているらしかった。
「佐助、くん」
「もうびっくりしたよ。いつまで経っても見つからないと思ったら、寝てるんだもん」
 真田の旦那も竜の旦那もとっくに見つかってるのにさ。そう、困ったように眉を下げる佐助くんは、紛れもなくわたしのよく知る佐助くんだった。狐の耳も、尻尾もない。髪を撫でてくれる人間の手に、よかった、とすこしほっとする。
「わたし、神社に居たはずなんだけどなあ」
「神社?」
「そう。大きくてまっ赤な鳥居があって、」
「ここら辺に神社なんて無かったと思うけど」
「それで、佐助くんによく似たお狐様がいた」
 髪を撫でる手をぴたりと止めて、目をまるくした佐助くんは、それから数秒ののち、やだなあ、と可笑しそうにへらりと笑った。
「狐に化かされたんじゃないの?」
 きっと、そうに違いない。わたしも笑ってうなずいて、佐助、と彼の名前を呼んでみた。影はふたつ伸びている。




夕闇とかくれんぼ
御題:三さま
夏、神社、妖怪

20120728
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