桜の舞う夕暮れ時。淡い花弁の敷かれた道を、竹中くんと並んで歩く。途中まで帰り道が同じである彼は、いつも私を、先に家まで送ってくれるのだった。
 回り道はしない。まっ直ぐ、ほんとうに家に帰るだけだ。学校であまり話す時間がない分、このひとときを私はとてつもなく大切に感じていた。
「そういえば、竹中くんが貸してくれた本、もうすぐ読み終わるから、返すの、あとちょっとだけ待っていてね」
「ゆっくりでいいよ。面白いかい?」
「うん、とても」
 ミステリチックな、淡い小説。その選択が、いかにも竹中くんらしい。読み進めていくうちに解き明かされる過去や、さまざまな真実は、悩ませる頭をすっきりさせると同時に私の胸を締め付けた。
「私は、自分で推理しながら読むなんてこと、できないけれどね」
「それが推理小説の、醍醐味のひとつじゃないか」
「そうなのかもしれないけど、最後に納得できれば、私はそれで充分かな」
「最後に、ねえ」
 意味ありげに小さく呟く。ふわりと風が吹いて、竹中くんの透きとおった綺麗な髪が揺れた。
「あっ」
「なんだい?」
 前を向いていた瞳が、私のほうを見下ろす。竹中くんは身長が高いので、私も自然と彼を見上げるかたちになった。
「花びらがね、ついたの。髪に」
 まるで、まっ白な雪の絨毯に早咲きの桜が舞い降りたようだと思った。竹中くんは目線を上に向けると、髪を摘まんだり手櫛で梳かしたりしてみせた。
「取れたかな」
「ううん。まだ、あるよ」
「取ってくれないかい」
「ええ、すこし勿体ないなあ」
 綺麗なのに、とつづける私に、竹中くんは微かな苦笑を漏らす。
「僕には似合わないよ。桜なら、名前くんのほうがずっと似合う」
 一瞬、思考が停止した。他のひとの科白ならば笑って冗談とするところだけれど、竹中くんのことばとなると、なぜかそうはいかないのだ。
「相変わらず、お世辞が上手」
 結局、可愛げもない返しをする。
「僕は世辞なんて口にしない。きみになら尚更だ」
「……それは、どういう意味なのかな」
 恥ずかしさに耐えかねて、彼の髪に手を伸ばす。けれど、すぐに躊躇いへと切り替わった。ふたりの間には二・三歩ほどの距離がある。いまよりも近づかないと、背の高い竹中くんの髪には届かないのだ。
 それを察したのか、くすり、と笑う声が降ってきた。
「小さいね、名前くんは」
「す、すこし、屈んでくれると、助かるのだけど……」
「嫌だ、と云ったら?」
 ぴんと伸ばした背中のまま私を見下ろす竹中くんは、いつになく楽しげだ。思いもしなかった返事に、私は困った。
「……じゃあ、取らない」
「それはよくないな。僕はまたきみに『お世辞』を連ねなければならなくなる」
 心底、意地が悪い。わざとらしい科白は、完全に私を遊んでいた。そうやって、私が困惑する顔を見るのが、竹中くんは好きなのだ。
「だって、届かないよ」
「届くだろう、もっと近づけば」
 ぐい、と腕を掴まれ、引き寄せられる。そのあまりの近さに、私はことばも出ない。顔だって上げられない。
「ほら、取ってくれないと、いつまでもこのままだ」
 僕は一向に構わないけれどね、などと付け加えて、竹中くんは私のつぎの行動を待つ。腕を掴んでいた手が僅かに緩められた。
 いつまでもこうしていたら心臓が持ちそうにもないため、再度、空いているほうの手を伸ばした。必然的に小さく踵が浮く。
 雪色の髪をひと束、指先で掬うと、薄い花弁はひらりと空へ舞った。竹中くんの瞳が、そのゆく先を追う。私も追う。道の端に着地したところで、手を取られ、くちづけられた。
 唐突な行為に目を閉じることもできなければ、驚きに声を上げることすらできなかった。
「帰ろうか」
 なんでもなかったふうに唇を離すと、竹中くんはそのまま足を進める。
「たたっ、竹中くん、」
「なに?」
「いまのは、なに」
 ふたたび、歩みが止まる。手が取られたままのせいで、いつもより距離は近い。心臓は不必要なまでにとくとく急ぐ。
「じゃあ、訊くけれど」
「う、うん」
「どうして名前くんは、僕がきみとわざわざいっしょに帰って、そのうえきみを家まで送るのだと思う?」
「どうして、」
「まさか、下心が微塵もないとでも、思っていたのかい」
 私を射抜く彼の瞳は、いつもの、どこか中性的でやさしいそれではない。澄んだ葡萄色は、紛れもなく男の子のものだった。
「……私、は」
「僕の自惚れでなければ、名前くんも僕を好いてくれていると、思ったのだけどな」
 たしかめるような口ぶりのくせ、迷いや不安はかけらも感じられない。いつから、気づかれていたのだろう。いつから、気づいていなかったのだろう。
 繋がれた手を、握り返す。いまはこれが精一杯であり、最大限の意思表示でもあった。
「ふふ、やっぱり、桜は名前のほうが似合うよ」
 竹中くんはうなずくと、満足そうに私の手を引いて歩き出した。
「えっ、つ、ついてる?」
「可愛らしいよ」
「取ってよ」
「勿体ない、からね」
「……ずるい」
 不平をこめて睨み上げる。
「いいさ、納得なんてしなくても」
 なに食わぬ顔で、竹中くんは口ずさんだ。
「最後なんて、ないからね」
 脈絡のないことばの意味を、私は掴めない。首を傾げてみても、竹中くんはやさしく微笑むだけだった。
「帰ったら、本のつづきを読むよ」
「そう、じゃあ、明日にでもぜひ感想を聴かせてほしいな」
 家はもうすぐ。大切なひとときは、いつだってあっという間だ。




花影に映る色
御題:凛さま
桜、帰り道、身長差

2012.06.01
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