さくり、さくり。
 学校までの道を、白い雪を踏みしめながら歩く。ひらひらと舞う結晶は存外に大きく、校舎が見えてきた頃には傘が重たくなっていた。しかし、それ以上に鞄が重く感じるのだった。大して重量のあるものは入っていないはずなのに、やけにずっしりとわたしの肩を圧迫する。
 雪を落として傘を畳み、昇降口をくぐった。濡れた靴下を不快に思いながら、自分の教室へと向かう。その際に通りかかる、ふたつ前の教室。ほとんど無意識に彼の姿を探した。
「真田くん」
 どきりとした。どこか緊張した甘い声は、しかしわたしのものではない。見たくなんてないはずなのに、その声をもつ可愛らしい女の子を目で追ってしまう。彼女の視線の先に、彼はいた。
「よかったら、もらって」
 廊下も、教室だって騒がしいはずなのに、どこかはにかむような柔らかい音だけが耳に流れ込む。真田くんは受け取るのだろうか。あのやさしい笑みを浮かべて、ありがとうと云うのだろうか。
 しかし、聴こえてきたのはわたしが想像していたようなことばではなかった。
「すまぬ。受け取ることはできぬのだ」
 本当に申し訳なさそうに真田くんは云った。ここから彼の表情を窺うことはできないけれど、眉を下げて目線を伏せているに違いない。わたしはひとり首を傾げた。あの、お菓子好きな真田くんが、チョコレートを断っている。
「気持ちだけ、ありがたく頂きまする」
 真田くんの困ったようなその声に女の子はなにか小さく呟くと教室の出口へと向かってきた。わたしは慌てて止めていた足を前へ出す。そんなつもりはなかったのに、いつの間にかその場に立ちつくしていたのだ。

 自分の教室へ滑り込んで、がらりとドアを閉め、ほっと息をつく。それから、今度は別の不安が胸に迫ってくるのを感じた。
 わたしだって、断られるのではないだろうか。
 そう思ったのだ。もしかしたら本命は貰わないだとか、好きな子以外からのチョコは受け取らないだとか、そう真田くんは決めているのかもしれない。勉強に部活にと勤しむ真田くんは恋愛などにかまけている暇はないと云わんばかりに色恋沙汰を遠ざけている。
 わたしも、きっとあの子と変わらない。真田くんが好きで、好きで仕方なくて、気持ちを抑えることができなくて。けれど、やはり彼を困らせることしかできないのだろう。
 それでも、鞄だけは大事に抱えて、わたしは自分の席へと着いた。窓の外では雪がとめどなく降りつづいている。灰色のアスファルトはもう見えない。わたしのこの気持ちもいっしょに埋めてくれたらいいのに、と思った。

 結局、そのまま放課後を迎えてしまった。
 雪は熄まない。寄り道せずにまっ直ぐ帰ろう。そう決めて、生徒が廊下を駆ける音を後ろに聴きながら昇降口に向かう。ふと、何気なく視線をめぐらした先に彼の名前を見つけた。「真田」と名札が刺してある下駄箱。
 不埒で卑怯な考えが過ぎる。
 直接渡しても受け取ってもらえないのなら、受け取らざるを得ないような状況にしてしまえばいい。それで、仮に食べてもらえなくても、家に帰ってから捨てられてしまうことになったとしても、わたしはそれを目にしないで済む。
 周りに誰もいないことを確認して、鞄から包みを取り出した。きのう、時間を掛けてつくったチョコレート。友だちにあげたものにはない、中身もラッピングもすこし特別なそれ。
「苗字殿?」
 突然降ってきた声に、慌てて手を引っ込めた。危なく声の持ち主である彼の下駄箱を開けてしまうところだったのだ。目と目が合う。気付いたときにはわたしは駆け出していた。
「苗字殿! お待ちくだされ!」
 けれど、サッカー部のキャプテンである真田くんに足で敵うはずもない。校舎を出てすぐのところで捕まってしまった。わたしの肩を引いた真田くんの力はあまり強くはなかったものの、振りきることはできなかった。
「さっ真田くん、違うの、これは、その……」
 不審に思われても仕方ない状況だ。左手にはチョコを抱えて、真田くんの下駄箱前で立ち尽くしているかと思えば逃げ出して、口から漏れたのはいかにも云い訳じみた科白。
「ごめんなさい」
 素直に謝ってしまったほうがまだ潔い。雪に埋まる爪先に目線を落としたまま、わたしは真田くんのことばを待った。恥ずかしさや緊張、罪悪感がない交ぜになって、どくどくと心臓が忙しなく脈打つ。泣きそうだった。
「つかぬことをお訊ねするが、」
「……はい」
「これは、それがしに?」
 そろそろと視線を上げると、真田くんはひどく真剣な表情でわたしを見ていた。その茶色の髪に銀の結晶が舞い降りる。なにも誤魔化すことはできないと知って、わたしはうなずいた。
「あ、あのね、今朝、真田くんが女の子からのチョコ断ってるの見ちゃって、それで、直接じゃ受け取ってもらえないかもって、思って……」
 云っているうちに顔に熱が昇ってくる。どうしよう、どうしよう、とそればかりが頭のなかでぐるぐると渦を巻いて、わからなくなる。わからなくなって、勢いで云ってしまった。
「もらって、くれますか……?」
 包みを差し出す。白い息に視界が霞む。
 真田くんは不意を突かれたように一瞬だけ瞼を大きく開くと、すぐに手で口元を隠した。とても大きな手だけれど、それでも頬の赤みは隠しきれていない。あの女の子にもこんな表情を見せたのだろうか。
「そ、そのような、泣きそうな顔、しないでくだされ」
 包みはわたしの手から離れていった。その代わりに、真田くんのあたたかい手が収まる。
「このようなことをせずとも、苗字殿からのものは受け取るつもりで……いや、苗字殿からしか受け取らぬと、そう決めていたのだ」
 まっ直ぐな瞳に射抜かれる。真田くんの大きな瞳に映るわたしは、たしかに、いまにも泣き出しそうな顔をしていた。わたしの手を握る真田くんの、もう片方の手のなかでは、男の子には可愛すぎたラッピングのリボンが雪を乗せてきらきら光っている。
 それを見た瞬間、雪の降るクリスマスがホワイトクリスマスならば、きょうはホワイトバレンタインデーだな、となんともくだらない、そしてすこし紛らわしいことをわたしは考えたのだった。




ましろに溶ける
御題:こんけんさま
バレンタインデー、雪、学校

2012.03.20
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