開け放った窓から流れ込んでくる蝉時雨に、瞑っていた瞼を持ち上げた。暗闇のなか、手探りで目覚まし時計を探す。ボタンを押し込んで内蔵されているライトをつければデジタルの数字が浮かび上がった。まだ、ベッドに入ってから2時間も経っていない。
 ふと、隣のベッドに目をやる。名前もまた眠れないのか、それとも眠る気がないのか、そこには枕と丁寧に畳まれた薄いタオルケットのみが佇んでいた。
 起き上がり、リビングへと足を向ける。わずかな音と光が曇りガラスの扉から零れている。そっと扉を開けてなかを覗けば、名前はひとり、ソファに座ってテレビを見ているようだった。
「名前」
 なかへ入って後ろ手に扉を閉める。冷房を入れているのか、涼しい空気が火照った身体をさらりと撫でた。
「あれ、幸村」
 名前の目線がテレビから俺へと移る。その瞳はどことなく眠そうだ。
「どうしたのだ、かような時間に」
「あ、もしかして、起こしちゃった?」
 ごめんね、うるさかったよね、と申し訳なさそうに謝ると、名前はリモコンを取ってテレビの電源を落とした。テレビから溢れる光が途絶え、照明のついていないリビングにはかすかな月明かりが差し込むのみだ。
「明日も仕事なのにね」
「いや、俺は暑くて起きたのだ」
 うるさかったのは、蝉の声だけだ。
 そう云うと、名前はほっとしたように笑みを浮かべた。
「あ、そうなの。なんだ、よかった」
「して、名前は」
「私も眠れなくて」
 笑顔はそのままに、少しだけ眉を下げる。しかし、やはりその瞳は眠気をこらえているような潤みを湛えていた。
「寝苦しいのか? ならば、寝室も冷房を入れるか」
「タイマー壊れているのに?」
「むう……高めの温度なら朝までつけていても差し支えなかろう」
「じゃあ、私が眠るときにちゃんと消してあげるから、幸村はつけて寝ていてもいいよ」
「……名前」
「なに?」
「ともに寝るぞ」
「え? わっ、なに!」
 ソファから投げ出された足を膝裏から掬って、薄いがおなご特有の柔らかさをもった肩に腕を回して、名前を抱き上げた。冷房を消して、そのまま寝室へと向かう。
 俺にはどうも、彼女が無理をしているように見えてならなかったのだ。

「名前の身体は、睡眠を欲しているように見えるぞ」
 ベッドへ名前を下ろす。彼女のベッドではなく、俺のベッドだ。まっすぐに見上げてくる名前の瞳は、どこか不安に揺れていた。
「なにゆえ、眠ろうとせぬのだ」
 安心させるように、頬をそっと撫でてやる。心地よさそうに目を細めると、名前は俺の手を弱く握った。俺よりもひと回りもふた回りも小さな手は、ずっと冷房の効いた部屋にいたというのにふわふわとあたたかい。
「子どもみたい、って、笑うかもしれない」
「笑わぬゆえ、話してはくれぬか」
「……怖い夢、見るから」
 気恥ずかしそうに目を逸らす彼女が、心底愛しいと思う。同時に、ずっとひとりで抱え込んでいたのかと考えて、胸が痛んだ。
「どのような夢なのだ」
「よくわからないのだけど、たぶん、幸村がいなくなる夢」
「俺が?」
「おかしいよね。結婚してもう3年になるのに」
 3年。振り返ればそれは俺にとってあっという間だった。仕事は忙しいが、名前と過ごす毎日は穏やかで、幸福であった。1日1日は長く、充実していたと思えるのに、気づけば1年が経ち、3年などこんなにも早く過ぎ去っていく。
 それならば、一生はどんなに短いことか。
 長きを経て咲いた花が風に散るように、簡単であっけないことだろう。それでも、これだけは云えるのだ。自信をもって、口にできるのだ。
「俺は、名前が死ぬそのときまで傍におるゆえ」
 窓を閉め、冷房を弱めに入れてから俺もベッドへ、名前の隣へと入る。タオルケットを胸のあたりまで引き寄せて、茫然と、不思議そうに俺を見つめる名前を抱きしめた。
「私が、死ぬまで?」
「うむ。名前を残して先に俺が死んだら、名前は淋しがって泣くでござろう」
「……そうだね、きっと」
「なれば、俺は名前よりも少しだけ、多く生きる」
 そうしたらすぐに、名前は俺を迎えに来てくれ。それならば、名前があちら側で泣くこともあるまい。
 柔らかな髪を撫でて、耳元で静かにそんな科白を落とす。一生、云わずともよいと思っていたのだが、やはり先に伝えておくべきだったのだ。
「そっか。じゃあ、私はずっと幸村といっしょなんだ」
「うむ。かような夢など、気にせずともよいのだ」
「幸村」
「どうした?」
「ありがとう」
 照れたように笑って、名前は何度かありがとうを繰り返した。
「最近、幸村忙しいし、少し不安だったのかもしれない」
「そうか。なれば、明日は早めに帰れるよう努めよう」
「もう、眠くなってきた」
「ずっと傍におるゆえ、安心して眠ってくれ」
 大丈夫だ、と宥めるように呟く。俺も、そろそろ眠い。いつだって名前の隣はあたたかくて、やさしくて、安心できる。彼女にとって、俺もそんな存在であればいい。
「幸村」
 ぼんやりと微睡んだ声で、名前が俺の名を紡ぐ。少し高い音が耳に心地好い。
「私がおばあちゃんになっても、こうして抱きしめてくれる?」
「ああ」
「よぼよぼでボケちゃっていても?」
「ああ、もちろんだ」
「そっか、おやすみ」
「おやすみ」
 至極幸せそうに笑った名前に同じように返して、瞼を閉じる。
 俺は名前を愛しているから、年を取っても、もし名前が俺のことを認識できなくなったとしても、それは変わらないのだ。

 明日も、朝は早い。目覚ましが鳴るまで、あと3時間もないだろう。
 このまま陽が昇らなくてもよいかもしれぬ、と腕のなかの深い息づかいを聴きながら思った。




おやすみ、よい夢を

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20110816
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