穏やかな陽気の中、微かだが淑やかに廊下を歩く音が聴こえる。名前が来てくれたのだと思うと自然と頬が緩んだ。

「半兵衛様」

自身を呼ぶ優しげな声に瞑っていた目を開けば、澄んだ空を背景にやはり優しく僕を窺う彼女がいた。

「わざわざ来てくれたんだね、名前」
「お帰りになられたと聞いたので、こうして直ぐにでも半兵衛様のお姿を拝見したく参った次第です」
「そんなにかしこまらなくていいのに。でも、嬉しいよ」
「滅相もございません」
「僕と君はもう、夫婦なんだ」

隣に座るといい。そう彼女にも促すと失礼致します、と丁寧な返事が帰ってきた。静かな縁側に今だけはふたりだけの時間が流れる。

「夫婦と云えど、無礼ははたらけませぬ」
「僕が良いと云っているんだ。それこそ無礼だと思うけどね」
「相変わらず意地悪なのですね」
「僕は君と主従のような関係になりたいわけじゃないんだよ」
「……ならば、」
「親しいひとりの人として、それこそ友人のように接して欲しいんだ」

予想外だったのだろう、彼女の黒い瞳が僅かに見開かれた。しかし次の瞬間にはふわりと嬉しそうに細められたのだけれど。

「てっきり、半兵衛様のことだから私さえ手駒なのかと」
「まさか」
「それでも良いと思っておりましたのに、私めは幸せ者にございます」
「僕もだよ」

云ってすぐ、こほこほと嫌な咳が出た。半兵衛様、と心配そうに名前が僕の名前を呼びながら薄い手のひらで背中を擦ってくれる。

本当に、忌々しい病だ。いつだって僕を急がせる。じわりじわりと身体が蝕まれているようでとても心地が悪い。

「半兵衛様」
「……大丈夫だよ」
「けれど、もうお部屋に戻られたほうが」
「こんなに良い天気なんだ。勿体無いよ」
「……そうでございますか」
「ああ。心配しなくていい」

落ち着いてから、滑らかな絹髪に指を通す。恥ずかしそうに俯く彼女が自分でも驚くほどに愛しいと思う。その小さな頭をとん、と自分の肩へもたれかけさせれば、はらりと落ちる髪が首筋をくすぐった。

「君といっしょになれるなら、死んだって構わないと思っていたんだ」
「そんな、」
「けれどね、こうして夫婦になれた今は一日でも長く生きていたいと思うよ」
「半兵衛様……」

ふっと目を伏せた彼女はひどく切ない。そんな表情をさせたいわけではないのだ、先程のように綺麗に笑ってくれたら、それで。

「顔を上げてくれないか」

僕の肩からそろそろと離れ、不安げな視線が交わる。柔らかい頬を撫でてやれば猫のようにその目を細めた。

「日が落ちるまでに、僕は発たなければならない」
「もう、行かれるのですか?」
「あまりゆっくりしている時間は無いんだ」
「どうして、そんなに」

震える桜色の唇に人差し指を押し当てた。その先のことばは、今は聴けない。

「待っていてくれるかい」
「……もちろんです」

こくりと首が縦に振られる。その意思表示に安堵して、僕は立ち上がる。

「ありがとう。君が待っていてくれるなら、僕はまた必ずここに帰ってこられる」
「待ってます、ずっと」
「じゃあ、行ってくるね、名前」

先程のような不安はもう何処にもなく、名前は再度強く頷いた。こんな緩やかな時が流れる、強く美しい日の本が早く訪れるように、僕はこれから軍を進めるのだ。




君がため
惜しからざりし
命さへ
長くもがなと
思ひけるかな

(藤原義孝 後拾遺・恋二)


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