季節の変わり目というのはどうしてか体調を崩しやすい。いつもは風邪なんかに無縁な幸村もそれは例外ではなかったようで、めずらしく熱を出して寝込んでいた。
 今日は一日中、幸村につきっきりになってあげられる。両親とも仕事で家を空けていたのだけれど、幸いなことに私は学校が休みだったのだ。
「でも、莫迦は風邪引かない、っていうのにね」
 消化にいいだろうと作った、できたてのたまご粥を傍のサイドボードに落ち着けて、私はベッドの淵に腰を下ろす。
「……姉上は俺が莫迦だと云いたいのでござるか」
「冗談だよ」
 きっと新学期の疲れが出たんだね、と拗ねてそっぽを向いてしまった頭を撫でた。やわらかい髪の感触とともに手のひらに伝わる熱はやはり平時よりも少し高い。
「少しでも食べたほうがいいと思って卵粥、つくったんだ。身体、起こせる?」
「うむ、」
 掠れた声で短く答えて、幸村が布団を押し上げ身体を起こす。私は湯気のたつ小さな土鍋を鍋敷きごとサイドボードから自分の膝上に移した。レンゲで軽くかき混ぜればカチャカチャと陶器のぶつかる音といっしょに柔らかな匂いが舞う。
「……旨そうにござる」
 幸村の熱に浮かされて朧気な瞳が土鍋のなかを除き込んだ。
「食欲はあるみたいだね、よかった」
 ひと口分を掬って少し冷ましてから、その口もとへとレンゲを運んであげる。そこで、ぴたりと幸村の動きが止まった。俯き、なかなかその口を開こうとしない幸村に、私はわけがわからず首を傾げる。
「どうしたの、幸村」
「じっ、自分で食べられまする!」
 かあっと頬を赤くしてそう云い放った幸村は次の瞬間には私の手からレンゲを奪い取っていた。
「……あまり、子ども扱いしないで下され」
 眉をよせてそう呟く。唖然としてしまった私はごめんね、と謝ると同時に一種の淋しさを感じた。
 ついこの間までは身長も私より小さくて、なにかとすぐ泣く甘えっ子だったのに。もう大人なのだなあ、と親さながらにしみじみとしてしまう。
 それでも、熱いお粥をふうふうと冷ましながら頬張る姿はまだまだあどけない少年のそれだった。

 お粥をいつもよりもスローペースで平らげた幸村はお腹がいっぱいになったからか次第にウトウトしはじめた。夢のなかへと片足を入れて、なおもまだ意識を保とうとしているのが微笑ましい。私に気を使っているのだろう。
「眠いなら、寝ていいんだよ」
「いや……」
「うん?」
「近ごろ、姉上も俺も忙しくて、あまり話をできずにいたゆえ」
 しきりに目をしばたたかせながらも、そんなことを云う幸村が愛しくてたまらなくなる。
「可愛いこと云うなあ、まったく」
 えへへ、と零れる笑みを隠しもせずに私はベッドに乗り上げた。突然のことにびっくりしたのか飛び上がった幸村が、やめて下され! なんて叫ぶ。
「あ、姉上!」
「幸村大好きー!」
 やさしすぎるほどやさしく育ってくれた幸村は、こんな鬱陶しい姉も邪険にせず、口ではそう云いつつもいつだって傍にいようとしてくれる。それは物理的な距離ではなくて、離れていても傍にいるというような心理的な類。
 もぞもぞと狭い布団に無理やり潜って、上半身を起こしていた幸村もいっしょにひっぱり込んだ。破廉恥だなんだと暴れる幸村もぎゅっと抱きしめれば途端に静かになる。
「なにが破廉恥なの、莫迦」
「だだだ男女が同じ布団に寝るなど、はっ、破廉恥でござろう……」
「姉弟なのに?」
 柔らかな栗色の髪を撫でながら問う。しばらく考え込んだあと、幸村は戸惑いがちにうなずいた。
「……破廉恥でござる」
 いかにも羞恥のこもった声に、思わずくすくすと笑いが漏れた。
「昔はいっつも同じベッドで寝てたのにね」
「昔と今とでは勝手が違いまする」
「そうかなあ」
 すっかり目の覚めてしまったらしい幸村を、なおもぎゅうぎゅうと締めつける。身体が大きくなったって、少し大人になったって、やっぱり幸村は幸村のままで、私の可愛い弟だ。
「名前、」
 ふいに幸村が呟いた。幸村はたまに、思い出したかのように私の名前を呼ぶ。
「お姉ちゃん、でしょ」
「……姉上、風邪が移りまするぞ」
「いいよ、移して」
 幸村の風邪ならよろこんで貰ってあげる。冗談でなく、そう云った。
 幸村の身体は相変わらず熱のせいで熱いし、顔も赤ければ目も潤んでしまっている。辛そうなその呼気に、私が代わってあげられたらいいのに、と本当に思う。いますぐ神様にでもお願いしたいくらいだ。
 もぞりと幸村がみじろぎしたかと思うと、ほどよく筋肉のついたしなやかな腕が背中に回った。風邪になると人肌が恋しくなるなんて云うけれど、ぎゅう、とぬくもりを求めるようなそれがひどく可愛らしい。
「姉上に風邪をひかれては俺が困る」
「困ることなんてなにもないよ」
「無理をせぬかと心配でたまらぬのだ」
 額を私の肩あたりに押しつけながら小さな声で告げる。無理をするのはどちらかと云うと幸村のような気がするのだけれど、そんな風に心配してくれるのが嬉しくて、なんだかくすぐったかった。
「こんなに可愛くてやさしい弟、なかなかいないよ」
「う、姉上、苦しゅうござる」
「そのうちすぐ彼女とかできちゃったりして」
「名前、」
「淋しくなるね」
 こうやってぎゅっとできるのも、きっといまのうち。そうことばにしてみると、それはますます現実味を帯びるのだった。
 いつまでも子どものままではいられない。いつまでも、抱きしめ合っていては。
「好きだ、姉上」
「私も幸村が大好きだよ」
 それでもずっと、仲のいい姉弟でいよう。私がおばあちゃんになっても、幸村がおじいちゃんになっても、血の繋がりだけはずっとずっと変わらないのだから。
 私たちは、死ぬまで姉弟だ。
「眠い、」
 幸村がぼんやりと零した。つい私もこのまま寝てしまおうか、なんて考えてしまう。幸村の熱すぎる体温がとても心地いいのだ。
「じゃあ、お昼寝にしよう」
「……うむ」
「おやすみ」
 いい夢を。静かに囁いて、背中をトントンと規則的に叩いてあげる。まだ小さかった頃、泣きじゃくってなかなか寝付けない幸村に、お母さんの見よう見まねでよくやったのだ。いまではその背も随分と広くなってしまった。
 すう、としばらくして聴こえてきた透明な息づかいに、眠ったことを確認してベッドを抜け出す。せっかく潜り込んだのにとこころ惜しくも思うけれど、やらなければならないことがあるのだ。
 すこやかな寝顔に自然と頬を緩ませながら、空になった土鍋を持って部屋を出る。
 夕飯のための買い物に行こう。デザートに喉越しのいいゼリーでも買ってきてあげよう。頭で今夜の献立を考えながら、まずは土鍋を洗うためキッチンへと向かった。




ピーターパンの魔法はとけた

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20110530
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