真昼の空は煩わしいほどに青々と晴れやかだった。その青のなかを悠々と羽ばたく小鳥は歌うように囀ずる。

 愛刀を手入れする私の傍らでは、名前が大福を頬張っていた。彼女が来る時間帯は大体決まっているため、下女に用意させたものだった。
「三成は食べないの?」
「いらん」
「美味しいのに」
「ならば貴様が食せばよいだろう」
 愛刀を陽光に翳す。鋭い刃が煌めきを反射した。少し角度を変えれば名前の不服そうな表情が色褪せて映る。
 彼女は何かと私に構った。最初は鬱陶しくも思っていたのだが、今ではもう慣れてしまっていた。彼女については秀吉様の残した娘のひとりであると聞いたほか、詳しいことはほとんど知らない。

 静かな時が続いていた。
 名前は私の邪魔になるようなことはしない。ただいつもそこに居て、まるでひとりの時間を過ごすかのように平然と寛いでいるのだ。時折、前触れもなく話しかけてくることはあるが、差し支えのない程度だった。
「三成」
「なんだ」
「呼んでみただけ」
「……」
 中身のない、なんてことのない会話。彼女は冗談や戯言といった類のものを好き好んだが、特別気になるようなこともない。むしろ、この妙な雰囲気は不思議と私を落ち着かせた。
「三成」
 再度、名前が呼んだ。どうせまたふざけているのだ。無視を決め込む。
「ねえ、」
「……」
「私、実は家康さんの妹なの」
 ぴたり、動かしていた手が止まった。時さえも止まったように思えた。空を飛ぶ小鳥の鳴き声ももう耳には入ってこない。
「なに……?」
 自分でも驚くほど低く掠れた声が出た。
「隠していてごめんなさい」
 信じられなかった。信じたくもなかった。知らずにいられたらどんなによかったか。
「私は、あなたが憎んで憎んでやまない、徳川家康の妹なんだよ」
 視界がぐらりと揺らぐ。名前が、家康の妹……? 耳を塞いでしまいたかった。なぜこんなにも動揺しているのか、自分でもわからない。
 不安定な足を叱咤して立ち上がる。やり場のない怒りや憎しみが胸を取り巻いた。なぜ、なぜ、なぜ? そればかりが頭を占める。
「なぜだ……! 知っていてなぜ私に近付いた!」
 衝動に任せて目に入ったものを片っ端から刀で凪ぎ払った。壺が割れる。机の上の硯や筆が音を立てて畳に転がる。墨が黒い染みを作ったが、もはや気にしている余裕もなかった。名前に目を向けると彼女はひどく怯えた表情で私を見上げていて、理由もわからず胸が痛んだ。
「みつ、なり……お、おちついて」
「気安く私の名を呼ぶな……!」
 名前の顔が歪む。苦しい。苦しい苦しい苦しい。
 名前は敵だ!
 憎き家康の妹だ!
 斬り捨ててしまえ!
 もうひとりの自分が頭のなかで強く叫んだ。後退りする名前の髪を力任せに引っ掴み、壁まで追い詰める。
「貴様も同罪だ、残滅してやる……!」
「いっ、あ……!」
 したたかに背を打ち付けたらしい名前が苦痛に声を漏らした。彼女を押さえ付ける力を弱めてしまいそうになる。なぜだ。こいつは、こいつは秀吉様を殺した男の妹だというのに……! 殺せ、殺せ殺せ殺せ!
「……ッ」
 細い喉もとに研いだばかりの刀を突きつける。しかし、あと一寸のところで決意が揺らぐ。彼女の楽しげな笑顔や声が考えたくもないのに脳裏をよぎった。
「三成様! 名前様!」
 襖が開いた。騒ぎを聞きつけたのか、誰かも知らない者が次から次へと部屋へ転がり込んでくる。
「三成様! ご乱心召されたか!」
「お気を確かに……!」
 顔をまっ青に染めて、しかし手の出せない兵や下女たち。黙れ。貴様らになにがわかる。裏切られた私のなにがわかるというのだ。
「三成……」
 震える声が私の名を紡いだ。動いた喉に刀の切っ先がわずかに食い込む。名前の顔からは血の気が引いていて、唇の色もいつもの桜色ではなくなっていた。名前、名前。

 力が抜ける。刀が手から零れ落ちた。刃が畳に刺さる。
「なぜだ……」
「三成、」
「なぜ、私は貴様を殺せないッ……!」
 膝から崩れ落ちた。気付いてしまったのだ。私は、私はこの女を好いていたのだと。家康の妹である憎むべき相手を愛していたのだと。
 殺せなかった。名前の苦痛に歪む顔も、見開いた目も、鮮血も、私は見たくないのだ。秀吉様、どうか、どうかお許し下さい。私は、私は……!
「ごめんなさい、三成。家康さんの妹だなんて嘘」
 名前が云った。私は瞬間、その意味を理解できなかった。
「嘘、と云ったか……? いま……」
 熱く煮え滾っていたこころがすっと冷えていくのがわかる。半信半疑で訊いた質問にも、彼女はうなずいた。
「私は生まれたときからずっと、父上の娘だよ」
「名前……」
「私は、あなたが尊敬し崇拝してやまない、豊臣秀吉の娘です」
「本当、だな」
「本当」
 そのことばに、心底ほっとしている自分がいた。それは駆けつけた者たちも同じらしい。安堵の溜め息や声がそこかしこから聴こえてきた。
「下がれ」
 いつまでも突っ立っているその者らに告げてから、私は刀を拾い上げて鞘へと戻す。安心したように兵や下女たちは部屋から出ていった。

 襖が閉じられたのを確認してから、名前に向き直った。
「なぜあのような嘘をついた」
「三成が、あまりにもつれないから」
 決まり悪そうに名前は俯く。そんな理由で、と思った。呆れてものも云えない。
「怒ってる?」
「……当たり前だ。殺してしまうところだった」
「でも私、三成は私を殺さないって自信があった」
「ふざけたことを」
 私が掴んだせいで、ひどく乱れてしまった名前の髪を手で整えてやる。さらさらと指をすり抜けていく柔らかな一本一本は、とても儚く映った。
「だって、三成はやさしいから」
「煩い。莫迦は莫迦らしく、黙って私の傍にいろ」
 面映ゆげにはにかむ名前が愛しいと思う。大切な者をこれ以上、失ってたまるものか。名前を奪うものが、たとえこの自分であったとしても、私はそれを赦さないだろう。




やさしさだけがきみを守る
20110401

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テーマ「人外ファンタジー」
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