半兵衛様はいつだって忙しい。常に時間に追われているようなお方だ。ひたすら目的に向かって一心に豊臣のため尽くす。それは叶えるべき夢があってのことだし、私もその実現を強く望んでいた。ただ、近頃はあまりにも休息という字が欠けているように思う。

 軍議が終わった頃を見計らって彼を呼び留めた。半兵衛様は迷惑そうな顔をすることもなく、快くその足を留めてくれる。たったそれだけのことだけれど、私はとても嬉しくなった。
「半兵衛様にご相談があるのです」
 自然と頬が緩みそうになるのを抑えながら、そう切り出した。
「僕でよければ話を聞くよ」
 半兵衛様は穏やかな笑みをたたえたまま、やさしい声でそう云ってくれた。そのことばに甘えて、ほっとしながらも私は続ける。
「ずっと隠しておりましたのだけど、実は私、満月の夜になると獣に変化してしまうのです」
 莫迦莫迦しい、我ながらひどい戯れ言だと思った。相手にされるほうがおかしいし、嘲笑されても仕方のないことだ。しかし半兵衛様のように頭のよくない私には、このくらいしか思いつかなかった。半兵衛様は一瞬驚いたように瞠目したが、呆れるでも一蹴するでもなく、すぐにもとのように微笑んだ。
「それは興味深い。満月の夜は今日じゃないか」
 あえて嘘に乗るような彼の科白に驚きつつも、私はうなずく。
「そうなのです。この醜い姿を半兵衛様にも見ていただきたく思います。今宵、私の部屋へいらしては下さいませんか」
「遅くなるかもしれないよ」
「構いません。半兵衛様にはもう隠し事をしたくないのです」
「そう。じゃあ、待っていて」
 やさしく目を細める半兵衛様。はい、と答えれば彼は楽しみだとひと言残してこの場を去っていった。
 胸が高鳴る。半兵衛様が今夜、私のもとへ来てくださると云った。一体、何日ぶりだろう。もう随分とふたりきりでの時間を過ごしていないように思える。なにをしようか。なにを話そうか。そればかりを考えていた。

 夜も更け、丸い月も高い頃。
 約束どおり半兵衛様はその足を運んでくださった。忍ぶようにそっと襖を開くと一番に私を見て、ふふと小さく笑う。
「やはり、嘘だったんだね」
「最初からわかっておいでだったのでは?」
「もちろん、わかっていたさ」
 静かに襖が閉まる。暗闇のなか、トントンとゆったりした足音が近づいてくるのがわかった。
「けれど、こういうのは乗らないと面白くないだろう?」
「半兵衛、さま」
「悪い子だね。僕を騙そうとするなんて」
 足音がとまり、半兵衛様が私の目の前に膝をついた。彼の透き通るような髪が月明かりに反射して美しく煌めく。妖しい笑みに、これはいけない、ととっさに思った。頭のなかで警告が鳴り響く。
「悪い子には、お仕置きをしなければ、ね」
 するりと頬を撫でられる。反射的に跳ねてしまった肩が恥ずかしさを煽り立てた。半兵衛様がくつくつとその喉を鳴らす。
「わ、笑わないで下さいまし」
「いや、失礼」
「私は、その……半兵衛様とふたりでお話ができれば、それでよかったのです。ただ誘っても、来ては下さらないかと思いましたゆえ」
「そうかい。普通に誘ってくれても、僕は逢いに来たと思うよ」
「そうでしょうか。けれど……」
「名前」
 咎めるように短く名前を呼ばれた。途中まで出かけていたことばを呑み込んで、彼を見上げる。
「は、半兵衛様、」
「静かにしていないと、その口を塞いでしまうよ」
 さらりとそんなことを紡いで、半兵衛様はゆっくりと私の身を押し倒した。羞恥に顔を背けるも、難なく顎をとらえられてしまった。嫌でも視線が絡み合う。その眼差しに吸い込まれそうだと思った。
「これが、仕置きなのですか」
「君が望むのなら非道いことをしたっていいけれどね」
「……痛いのは、嫌にございます」
 あらぬ想像までして、自ら目を逸らす。しかし、彼はそれが気にくわなかったらしい。
「名前。君の目は僕を映していればいい。そうでないなら、目隠しをしてしまうと云う手もある」
 なれた手つきで腰帯を解かれたと思えば、すっと視界が闇に閉ざされる。急に彼の顔が見えなくなったことが不安で、その存在を確かめるように手を伸ばした。これは恐らく首もとのあたり。するすると頬までを辿っていくと、布越しに感じる淡い月明かりに影が落ちた。距離が近い。
「満月の夜は明るいね」
 耳元でささやくような声に、思わず首をすくめる。
「……意地が、悪うございます」
「今さら知ったのかい?」
 白々しくも驚いたふりをする半兵衛様に、しかし私は成すすべもない。視界が遮られたまま、額や頬や鼻先に彼の唇が落とされた。
「これでは、どちらが獣かわかりませぬ」
 慈しむような手つきで髪を撫でる半兵衛様に、不服そうに云えば、彼は心底楽しそうに笑った。




月影に酔う
20110401

四月莫迦企画にて
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