からん、ころん。
 グラスのなかの氷が音を立てた。ストローでくるくるとかき混ぜて、わざと透明なそれ同士をぶつけさせる。からん、からん、ころん。
「俺、さっきスカウトされた」
 適当なカフェに入ってすぐ、政宗はそう云ったのだった。そんなの、珍しいことじゃない。むしろしょっちゅうじゃないか。
「顔とスタイルだけはいいからなあ」
「んだと、性格も文句無しだろうが」
「どうだか」
 グラスに目を向けたままあしらう。どうも私は政宗と目を合わせることが苦手である。こんなんでも一応は政宗の彼女なのだが、如何せん釣り合わなすぎる。頑張ってセットした髪も、ごまかしだらけのメイクも、悩んで選んだ服も、彼といると全部が陳腐なものに見えるのだ。
「それでだな、入ってみようと思うんだが」
「なにに?」
「芸能界に」
 ストローに口を付けて冷たいミルクティーを吸い上げる。思ったよりも甘ったるい。シロップを入れすぎたらしい。それから、ぼんやり考えてみる。政宗が芸能界に入ったらのこと。きっとすぐに人気が出て、女の子のファンもいっぱいつくのだろう。雑誌とかテレビに出まくって、どんどん遠いひとになるのだろう。
「そっかあ」
「それだけかよ」
「合ってると思うよ」
「……」
「なに?」
 私の回答がどうも気に入らなかったらしい。見るからに不機嫌なオーラを政宗は出してくる。しかし彼の望んでいた答えがわからない私は首を傾げるしかなかった。つくづく面倒なひとである。
「嫌じゃねえのかよ」
「え?」
「俺が、芸能界入ったら、嫌じゃねえのかって」
 声まで不機嫌に苛立たせて政宗が云った。そんなこと云われたって、入るって決めたのなら仕方ないじゃないか。
「名前さ、本当は俺のことそんな好きじゃねえんだろ」
 なにも云わない私に痺れを切らしたのか、政宗が吐き捨てる。ゆるりと初めて目線を上げると、彼は意外にも傷ついたような目をしていた。いつも自信たっぷりの政宗がどうしてそんな表情をするのかよくわからない。
「そんなことないよ」
「Ha! いいぜ、無理しなくて」
「好きだよ、政宗のこと」
「もういい」
 ひと言そう吐き捨てると、政宗は席を立って店を出ていってしまう。これは、あれか。振られたのだろうか。ていうかお勘定。霞みがかったような頭でぐるぐると思う。
 静かな店内はまるで私がこの世でひとりであるかのような錯覚を起こさせた。もともと、私に政宗なんて勿体無さすぎたのだ。まさに猫に小判。豚に真珠。政宗は芸能界とかそういう、きらびやかなところが似合う。綺麗な女優さんなんかと付き合って、スキャンダルになったりして。あり得そうだ。そんなくだらないことを苦し紛れに想像していた。

 しばらくして、店の扉が開いた。からんからん、とベルの音が鳴った。なんの気なしに目を向ければなんと政宗だった。あ、あれ?
「ふつう追いかけるだろド阿呆」
 つかつかと近づいてきたかと思うと、政宗は私を威圧感たっぷりに睨み下ろした。しかしその主張はいかがなものか。
「追いかけてほしかったの……? それならそうと」
「云えるか!」
 私がことばにする前に勢いよく突っ込む。それから舌打ちをするとイライラしたように髪を無造作に掻き乱して、どかりとまた私の目の前に腰を下ろした。私は政宗がよくわからない。でも、もしかしたら政宗も私がわかっていないのかもしれないと思った。振られたわけではないらしいのでその点はとても安心しているのだけど、きっと彼にはそれすらも伝わっていないのだ。
「振られたのかと思ったから」
 素直にことばにしてみる。それでもやっぱり政宗の顔を見ることはできなかった。
「振ると思うか、俺が名前を」
「絶対に振られないという自信はない」
「本当に俺のこと信じてねえんだなあ、アンタ」
「そんなことは、ないよ」
「俺の目すら見やしねえ」
 あ、と思った。気にしてたんだ。でも、普通に考えたらそうだよね。気にしないほうがおかしいのかもしれない。やるせなさそうに頬杖をつく政宗に、いまさらになって罪悪感みたいなのがじわりと沸いて出た。
「それは……その、恥ずかしくて」
「Ah?」
「政宗、かっこいいから」
 なんとなく直視できない。最後のほうはほとんど声にならなかった。こんなこと云ってる自分が一番恥ずかしくって、云い訳のように続ける。
「政宗が芸能界入っちゃうの、本当は嫌だよ。でも、好きだから応援したいというか……。さっき、政宗は私が政宗のこと信じてないって云ったけど、こんなことは信じてるからこそ、云えるわけで、えっと、」
 ふと、思いきって目線を上げれば、政宗はまっ赤になってこっちを見ていた。
「ま、政宗?」
「……っ、」
 ふいとそっぽを向かれる。初めて見る政宗のその様子に、私はどうしたらいいのかわからなくなる。なにがそんなに彼を照れさせたのかも理解できなかった。格好いいとか、いつも云っていることじゃないか。なんだがひどく気まずくなってしまう。
「そ、その、」
「あのなあ!」
 急に声を上げた政宗に情けなくもびくりと心臓が飛び跳ねた。
「なっ、なに」
「なんで普段からそういうこと云わねえんだよ!」
「そ、そういう……?」
「俺は、もっと名前に甘えて欲しいんだよ」
 未だ赤い顔のままで政宗が零す。知らなかった。政宗がそんな風に思っていたなんて。
「嫌なことは嫌だって云え。好きなら好きって云ってくれ。我慢とか要らねえから、」
「い、云ったよ、ちゃんと」
「目ぇ見て云え」
 わかったか、と念押しする彼に私はこくこくとうなずく。嬉しかった。政宗もちゃんと、私を好きでいてくれてたんだってわかったようで。……ん?
「まっ、政宗は?」
「あ?」
「いや、その、私は、政宗のこと好きだよ、ちゃんと。政宗は?」
「好きに決まってんだろ!」
「な、なんで怒るの」
「云わなくてもわかんだろうが!」
「自分は云えって云ったくせに」
「Shit! もういいだろ、行くぞ」
「えっ、あ、待って……!」
 ずいぶん氷の溶けてしまったミルクティーを慌てて飲み干して、すたすたと先を行ってしまう背中を追いかける。そういえば、政宗が勘定を私に押し付けて帰ってしまうだなんてことは有り得ないなあ、と今さらになって気がつく。そういうところだけはやけにプライドが高くて、とにかくこだわるのだ。割り勘もしたことないんじゃないだろうか。そんなところも好きだなあと思う。

 店を出て、町をぶらぶらと並んで歩く。それだけのことがなんだかすごく幸せなことに思えてしまって、私はちゃんと政宗が好きなのだから、ちゃんと背筋伸ばして彼女でいようって思った。
「政宗、その芸能界のことだけど」
「Ah? 嘘に決まってんだろ」
「え、嘘なの?」
「Yes, That's fool」
 なに食わぬ顔で隣を歩く政宗はさらりと私を莫迦呼ばわりする。意地が悪いけど、でもやっぱりそんなところも好きだなあと思うのだ。




溶けてしまうよ
20110401

四月莫迦企画にて
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