政宗の部屋は久しぶりだった。無駄なものを一切とり除いた、彼らしいこの空間はどこよりも私を落ち着かせてくれる。同時に心地好い緊張感もどこかにあった。
 羽織っていた上着を政宗に渡せば、丁寧にハンガーにかけてくれる。お邪魔します、と小さくつぶやきながら玄関を上がった。
「なんか飲むか」
「温かいお茶がいい」
「OK, 座って待ってな」
 彼はキッチンに、私はリビングのソファに向かう。初めてここへ来たときには、意外と気遣いができるものなのだな、と驚いたものだ。
 案外、政宗は綺麗好きであるし、何事も丁寧にそつなくこなす。
「ほら、」
 しばらくして、湯気のたつカップを目の前に差し出された。
「ありがとう」
 受けとると、政宗も隣に腰をおろす。ずん、と柔らかいソファが沈んだ。
 カップを傾ける。熱い緑茶が喉を暖めた。ふと視線を感じて政宗のほうに目を向けると、彼はどこか一点をまじまじと凝視していた。コーヒーのカップが中途半端に傾けられている。
「どうかした?」
 不思議に思って訪ねてみると、政宗の綺麗な眉がよって、眉間に皺をつくった。なにかしてしまっただろうか、と慌てて思考をめぐらすも、思い当たる節はない。
「政宗」
「それ、どうした」
 薄い唇から零れたのはそのひと言だけだった。ますます意味がわからず、私は首を傾げてみせる。
「『それ』って、どれ?」
「ここだ、ここ」
 険しい顔つきのまま、政宗がトントンと自分の鎖骨あたりを指で示した。カップを置いて、自ら触れて確かめてみる。なにか変な虫にでも刺されたのか、少し腫れているようだった。
「ああ……これ、ね」
 わざと濁すような云い方をして、目をそらした。どうして政宗がこんなにも虫刺されと思われるこれを気にしているのか、わかってしまったのだ。どうしようもない愛しさが胸のうちに沸き上がる。なんというか、つくづく可愛いひとである。そんなものだから、つい、
「これ、キスマーク」
 なんて云ってしまった。もちろん冗談だ。けれど、政宗のひとつしかない瞳はこれでもかというくらい見開かれる。最初からそう感じていたのだろう、思った通りの反応に思わず笑みが零れた。
 怒らせたりしたいわけではなかったから、なんてね、とすぐ撤回するつもりでいた。しかし、嘘だと明かすその前に、彼の声で遮られてしまった。
「誰にやられた」
 滅多に聴かない、低い声。突然の豹変ぶりに、喉もとまで出かけていたことばはひっこんでしまった。
「それ、誰がつけたんだって訊いてんだ」
「知って、どうするの」
「決まってんだろ。潰す」
 あまりの気迫に圧倒してしまって、私はなにも云えなくなる。これはいけない、と理解すると同時に、カップの割れる音が響いた。上質なカーペットにコーヒーの染みが広がった。

 政宗の冷めた瞳が私を見下ろす。
「名前に触れていいのは俺だけだ」
 ソファの上、乱暴に押し倒された。のしかかるように上から押さえつけられて、身動きがとれない。
「や、やだ」
「うるせえ」
 慌てて政宗の身体を押し返すも、片手でひとまとめに頭上で拘束されてしまった。
「ごっ、ごめ」
「俺が謝ってほしいのは名前じゃねえ」
「ちがくて、」
「違わない」
 目の前にあった政宗の顔が消えたかと思うと、鎖骨に鮮烈な痛みが走った。ほとんど噛みつくように歯をたてられる。
「い、たい、まさ、むね」
 容赦なく食い込む歯。あまりの痛さに涙が滲んだ。
「こうでもしねえと気が収まらねえ」
「冗談だよ、政宗。嘘だから、もう、」
「Ah...?」
「ただの、虫刺されだって」
 ぴたり、と政宗の動きが止まる。首もとからあげられたその顔は、見たこともないくらい拍子抜けした表情だった。ただ、唇に滲む赤が自分のだと思うと、ちょっと怖い。
「ごめん。からかってみたかっただけ」
「洒落にならねえぞ……」
「ごめんなさい」
 手首の拘束が解かれる。痺れた腕を持ち上げて、政宗の艶やかな髪に触れた。彼が自分の唇についた血を舌で舐めとるのをぼんやりと見上げる。
「痛かっただろ」
「痛いって云ったの、聴こえなかった?」
「I heard it」
 今度は歯をたてたりせず、傷口にやさしく唇を這わせてくれる。それがどうにも痛痒くて、我慢できず身をよじった。
「う……やだ」
「色気もクソもねえな」
「もう、退いてよ」
「嫌だ」
 云って、今度は唇を塞がれる。政宗がそんなにも独占欲とか執着心みたいなものを持っているとは思わなかった。もちろん、大事にされているなというのは感じていたけれど。見えない相手に嫉妬してくれたことが嬉しくて、好きだなあ、と頭のなかでひとりのろけた。
「なに笑ってんだ」
「なんでもないよ」
 不服そうに端正な顔を歪める彼は、綺麗好きであるし、何事も丁寧にそつなくこなすが、案外子どもだ。けれどそれは、こんな莫迦みたいなことで満たされる私だって同じなのだ。




傷つけ合うこども
20110401

四月莫迦企画にて
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