カタカタとパソコンのキーボードを叩いてひたすら文字を数字を並べていく。私のなけなしの意志を嘲笑うかのようにふわりとあくびが零れ出た。もう駄目だ、眠い。
「おい、大口開けてあくびなんかしてんじゃねえ」
「いたっ」
 こつんと頭を叩かれる。振り返り見上げれば相変わらず眉間に皺を寄せた片倉先輩。大人の魅力をこれでもかと纏う彼は今日も今日とて格好いい。
「なにするんですか」
「仕事しろ仕事」
「片倉先輩こそ私の頭叩くくらいならキーボード叩いて下さいよ」
「なにくだらねえこと云ってやがる」
 お前こそさっさとその手を動かせ、と一蹴すると片倉先輩は私と背中合わせのデスクに戻っていってしまう。はあ、と溜め息をついて目の前の箱と再び対峙した。もう目疲れが尋常じゃない。ふと周りを見回すと同僚たちが仕事をさくさくと終わらせて定時に帰っていく。
「ず、ずるい」
「残業コースだな」
「そうですか、そうですよね……」
 なんでこんなにも毎回毎回残らされるのか。謎である。そもそもこの量がおかしい。あきらかに他の同僚たちより多い。あれ、パワハラじゃないのかこれ。
「そんなわけねえだろ」
「聞こえてましたか」
「俺の組む仕事に文句があるみてえだな」
「滅相もない」
 慌ててかぶりを振って話題を変えた。
「片倉先輩こそ今日も残りですか」
「俺はお前が終わるまで帰れない」
「そ、そうでしたっけ」
 それはすみません、と続かなかった話を終わらせてパソコンに向かう。申し訳ないとは思うのだけと、眠気ばかりはどうにもできない。はああ、とさっきよりも深い溜め息を吐き出した。

 気がつくとこっくりこっくり船を漕いでいる。はっと慌てて目を見開いて、でもまたすぐに瞼が降りてくる。これの繰り返し。
「苗字」
「ふあい、」
「ひでえ面だな」
「仮にも女の子になんてこと云うんですか」
「お前を女として見たことなんざ一度もねえ」
 これにはちょっと傷付いた。ちょっとどころかグッサリいった。
「いま、なんて云いました?」
「聞こえなかったか。お前を女として見たことなんざ一度もねえ、と云ったんだが」
「それ……本心ですか」
「少なくとも好きな女には云わねえな」
「……」
 告白する前に振られるとは思ってもみなかった。もう駄目だ、と頭のなかで項垂れる。辛い残業だって片倉先輩といっしょなら嬉しいかもしれない、だなんて考えていた自分に虫酸が走った。迷惑かけて、なにやってるんだろう、私。
「苗字」
「す、すみません、さっと終わらせます……」
「……っ、冗談だ」
 くつくつと喉を鳴らして笑う片倉先輩に唖然とする。彼がこんな風に笑うことを私は知らなかったのだ。ぽかんと口を開けたままでいると、片倉先輩はまた笑った。
「悪かった。まさかそんなに落ち込むとは思っていなかったんでな」
「う、え……?」
「しかしお前は本当にわかりやすいな」
 涙まで浮かんだのか、指で目じりを拭いながら片倉先輩が云う。彼がなにを云ったのか理解した瞬間、ふつふつと例えようもない恥ずかしさが込み上げてきた。気をまぎらわすようにパソコンに向かって、背中越しに云った。
「……ひ、非道いです」
「なにが非道い?」
「だって、その……私がっ、私が片倉先輩のこと好きなの、気付いてて、あんなこと云ったんでしょう」
「確信したのはさっきだがな」
「じゃあ試したってことですか……」
「そんなところだ」
 ちらりと一度振り返ると、椅子の背もたれに寄り掛かって私を伺う片倉先輩の表情には意地の悪い笑みが浮かんでいた。なんてことだ。もう合わせる顔もない。あからさまに落ち込んだ態度をとったさっきの自分をぶん殴ってやりたくなった。
「もう帰りたいです……」
「それ終わらせればすぐに帰れる」
「終わらないから帰りたいんですよ」
「ならずっと残っていればいい」
「さっきからなんなんですかもう……。意地が悪いです」
「なんだろうな。好きなひとほど虐めたいってやつか」
 カタカタカタ、自分でキーボードを叩く音がやけに大きく聴こえた。なんですかそれ、まるで子どもじゃないですか。……好きなひとって、誰のことですか。そう訊いた声が自分のものではないみたいだった。
「少なくとも、好きじゃねえやつには云わねえんじゃねえか」
 もうキーボードなんて叩いていられなくなった。パソコンになんて集中できない。それは、そういうことなのだろうか。自惚れても、いいのだろうか。
「かっ、片倉先輩……!」
「どうした」
「もう一回、もう一回ちゃんと云って下さい!」
 お願いします! 椅子をくるりと回転させてまっ直ぐに片倉先輩を見れば、彼は呆れたように笑って云った。
「苗字が好きだ」
 天にも昇る気持ちってきっとこういうことを云うのだ。殺風景なオフィスだって今ならあたり一面のお花畑に見える気がした。
「にやけてねえで仕事終わらせろ。飯連れていってやるから」
「もう今ならなんでもできます頑張ります」
「なら明日からもっと仕事増やすか」
「本当に私のこと好きなんですね。だから私を残業にさせたがるんでしょう」
「あながち間違いじゃねえな」
「……いや、冗談なんですけど」
「というより今まで気が付かなかったのが不思議なくらいだ」
 さらりとなに食わぬ顔で片倉先輩が云った。結構な問題発言だと思うのだけれど、本人は至って真面目な様子。なんというか、大胆というか、今日1日で彼の印象はずいぶんと変わってしまった。
「先輩、それ一歩間違えれば本当にパワハラですからね」
「本人が苦痛じゃねえなら平気なんだろ」
「苦痛です」
「ほう。俺との仕事が嫌か」
「そ、そうきますか」
 そんなことはないんですけどね。云って、ぐぐと伸びをした。
「残業より、早く仕事終わらせていっしょにどっか遊び行くほうがいいじゃないですか」
 さて、早々に目の前の仕事を片付けて、少しばかり遅い夕飯としようか。片倉先輩が奢ってくれるらしいので。




オフィスラヴは真夜中に
20110401

四月莫迦企画にて
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テーマ「人外ファンタジー」
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