いつからだったか、畑を見る俺の傍、名前は当たり前のようにそこにいた。なぜ彼女がこんなところに来たのか、どういった経緯で親しくなったのか、あまりにも自然すぎて覚えていない。

 名前は伊達軍のとある足軽兵の娘らしい。歳は政宗様とあまり変わらず、野菜が好きだと云うので、俺はよく収穫したものを彼女にも分けていた。嬉しそうに受け取ってありがとうと零すそのあどけない笑顔に、俺ははっきりと惹かれていた。
 今日、葱を収穫することは名前にも伝えてあった。しかしどういうわけか、珍しく彼女は姿を現さない。なにか用でもあったのだろうか。思ったよりも落ち込んでいる自分に気づかないふりをして、黙々と葱を穫っていった。
 しかし、裾分するのは前々からの約束だ。名前の家に届けに行こうと決めた。彼女の父親であり足軽兵である苗字の所在を調べ、城下の外れまで降りる。
 彼女の家は一般的などこにでもある小さな民家であった。農民のそれよりはマシだと思うが、お世辞にも裕福とは云えないだろう。当然だが彼女の父親は城まで働きに出ているのでここにはいない。それでも変に緊張するもので、深く息を吐いてから戸を軽く叩いた。
「はい」
 顔を出したのは、名前によく似た母親だった。一瞬驚いたような顔をしたものの、すぐに用を訪ねられる。
「何のご用ですか?」
「ああ、いや。野菜を、裾分に来たのですが」
「あら、もしかして、あなたが『片倉さん』?」
「そうですが……」
「まあ! いつもありがとうございます」
 名前と同じように笑う母親に、葱を篭ごと手渡す。悪い気はしなかった。
「名前ったら、野菜嫌いなくせに片倉さんのお野菜だけは嬉しそうに持って返って来るんですよ」
「そう、なんですか」
 一瞬、耳を疑った。いや、たしかに名前は野菜が好きだと云っていたはずだ。奇妙なすれ違いに疑念が浮かぶ。
「あれ……? 片倉さん?」
「名前、」
 聴き覚えのある声に振り向くと、たったいま話題に出ていた名前が不思議そうにこちらを見上げていた。
「どうしたんですか? こんなところまで」
「いや、」
「片倉さんが葱を持ってきて下さったのよ」
「あ、そうだったんですか! ありがとうございます」
 いつも通りの屈託のない笑顔だった。しかしその裏で名前がどう思っているのか、俺は気になって仕方がない。本当に野菜が嫌いならば迷惑に思っているはずだ。
「名前、少し、いいか」
「えっ、でも……」
「いいわよ、いきなさい」
 日が暮れるまでには帰れというようなことを告げて、名前の母親は彼女の手から使いの目的と思われる風呂敷を受けとると、俺に向かってひとつ会釈して戸を閉めた。

 宛もなく城下を歩く。
 しばらく経っても俺は本題を云い出せずにいた。どこか気まずい空気を不思議に思ったのか、名前がぽつりと零した。
「あの、どうかしましたか」
 そろそろ逃げてばかりもいられない。名前も暇なわけではないのだろう。意を決して、俺は口を開く。
「正直に云ってくれ」
「はい?」
「お前、野菜嫌いなのか」
 ふい、と彼女の目線が逸れた。それだけで答えは明白だ。
「母親に聞いた。なぜ、好きだなどと嘘をついたんだ」
 伏せられた目は悪いことをしてしまった子どものように不安定に揺らいでいる。少しして、ごめんなさい、と小さな謝罪が聴こえた。
「わっ、私が好きなのはっ、お野菜じゃなくて片倉さんなんです!」
「……は、」
 思わず訊き返すところだった。噛みしめた唇は震えているし、俯いてしまったその顔は赤い。これは嘘ではないらしいと、どこか他人事のように繰り返す。嘘ではないらしい。
「片倉さん、お野菜のことになると楽しそうにお話になるから、つい……。で、でも、私、片倉さんの好きなものも好きになりたかったんです」
 幻滅しましたか? と不安げに覗きこんでくる瞳に俺は軽く溜め息をついた。
「莫迦だな」
「う……」
「それに、嘘をついて野菜をダシに使うなんてのは最低だ」
 名前の表情はみるみるうちに曇っていく。すっかり項垂れてしまった頭に、ぽんと手を乗せた。びくりと怯えたように彼女の肩が跳ねる。
「それで、野菜は好きになったか」
「……片倉さんの、つくるお野菜は美味しい、です」
「そうか」
 未だ地面を見つめたままの名前はこころもとなげに頷いた。愛いやつだ、と思う。いじらしいとさえ。
「帰るか」
「え、あっあの、」
「どうした?」
 彼女がなにを云いたいかなど、大体わかっていた。わかっていながら知らぬふりをして訊いた。我ながら意地が悪い。そう自覚はしている。
「……わ、私は、どうしたらいいんですか」
「なにがだ」
「っ、これからも、片倉さんに逢いに行っていいんですか?」
 好きだと告白したことについて、遠回しにそう訊ねた名前は苦しそうに眉をひそめる。反対に、俺の頬は自然と緩みそうになった。
「いつでも来ればいい。待っててやる」
「……また、お野菜くれますか」
「ちゃんと食うならな」
 行くぞ、と小さな手を取って、来た道を戻る。彼女を家まで送ったら俺も早く城へ帰らなければならない。ずいぶんと寄り道をしてしまったものだと、呆れながらもその歩調は緩かった。





逢瀬畑にて
20110401

四月莫迦企画にて
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