最近、小十郎の眉間の皺が目に見えて増えていく。仕事が忙しいのかなとか、上手くいってないのかなとか、私としても心配が絶えない。
 張りつめてばかりの彼の気を、どうにかしてほぐしてあげたいと思うのだが、なかなかいい案は浮かばなかった。
 頭を悩ませながらテレビをつける。
 可愛い顔の女子アナウンサーが「今日は4月1日、エイプリルフールです」と笑顔で画面越しから私に向かって云った。
 これだ、と思う。
 小十郎に嘘をつこう。大慌てするくらいの。それでいて、嘘だよってネタばらししたときには盛大に気の抜けるものがいい。
 もう慣れてしまっていたはずなのに、急に彼の帰りが待ち遠しくなった。

 鍵の回る音がした。
 私は嬉々として立ち上がり、いつものように玄関へと向かう。
「おかえり、小十郎」
 鞄を受け取って、いつものようにそう云った。
「ああ、ただいま」
 相変わらず小十郎は難しい顔をしている。
 私たちは同棲生活を送っているだけで、まだ籍を入れていない。とは云え、もう結構な期間をいっしょに暮らしていた。私としてはそろそろそういうことを考えてもいいと思っているのだが、小十郎がどう思っているのかはよくわからない。
「ご飯、食べるでしょう?」
「ああ、頼む」
 靴を脱ぎながら小十郎は答える。どことなくうわの空なのが気になった。

 いただきます、と云ってからは無言で箸を進める小十郎に、私はできる限り真剣な風を装って話しかけた。
「ねえ、小十郎」
 彼の目線がそろりと上がる。意外と、敏感なのだ。人の声のトーンとか、表情の変化とか。
「聞いてほしいことがあるのだけど」
「……なんだ」
 ぴたりと手を止めたまま、小十郎が訊く。私はと云えば笑い出してしまわないよう、必死だった。
 嘘はすでに用意していた。あとはそれをことばに乗せるだけだった。
 小十郎の目をまっ直ぐ見つめながら、少しはにかんで私は云う。
「赤ちゃんができたみたいなの」
 からん、かららん。大きな手から箸が滑り落ちた。
「……本当なのか」
「うん」
「……そうか」
 どこか困ったようなその様子に、ちょっとだけ不安になる。小十郎にとってこれが事実だったら、まずいことでもあるのだろうか。
「嬉しくない?」
「いや、そんなことは、ないんだが」
 小十郎は落ちた箸を拾うと箸置きへ綺麗に落ち着けながら、気まずそうに私から目をそらした。
「お前のご両親に会わす顔がねえ」
 あんまり深刻そうな口調だったので、ついに堪えきれず、私は吹き出してしまう。
「なっ、なに笑ってる」
「だって、そんなこと」
「そんなことで済ませられる話じゃねえ」
 くつくつと笑う私とは裏腹に、小十郎はひどく動揺しているようだった。それが尚更におかしくて、笑いは一向に止まりそうにない。
「くっ、俺としたことが……」
 絞り出すような声だった。本気で後悔し始めた彼をこれ以上騙すのはさすがに気が引けて、悪戯だったことをバラすことに決めた。笑いすぎて涙が浮かんだ目じりを指先で拭う。
「嘘だよ、小十郎」
「……あ?」
 普段、滅多に聞けないような気の抜けた声だった。
「ごめん、嘘。赤ちゃん、できてないよ」
 今日はエイプリルフールだから、ともつけ加えた。小十郎は一瞬ぽかんとした表情になるも、すぐに引き締める。あ、これは怒ってるな、と思った。
「名前」
「はい」
「俺はいろいろ考えていたんだが、」
「はい?」
 てっきり、そんな嘘つくんじゃねえ、みたいなお叱りが飛ぶものだと思っていたのだけれど、小十郎は妙に深刻な顔で切り出すものだから、思わず語尾が上がる。小十郎はそれを気にする様子もなく、さらりと続けた。
「結婚、するか」
 確かめるような口調だった。私の大好きな低音で、小十郎はたしかにそう云ったのだ。
「……エイプリルフール?」
「莫迦か。本気だ」
「……うそ」
 思わず、反射的に顔を背けた。どうしよう、涙が出そうだ。
「ずっとどうするべきか考えていた。ただ、時期が掴めなくてな」
 悪かった、と謝る彼に私は首を横に振ることしかできない。そんな風に思ってくれているだなんて、ぜんぜん知らなかった。
「結婚しよう」
 小十郎が、再度そう口にした。さっきよりも意志のこもった調子だった。顔を上げられないまま、私はうなずく。
「そうしたら、本当に子どもだってつくれる」
 小十郎は立ち上がると、テーブルを挟んで反対側から私の傍へと移動した。それから、そっと手を握ってくれる。
「そんな嘘をつく必要もねえ」
 やさしい声音だった。
「それは、私、小十郎の緊張を少しでもほぐしてあげたくて」
「緊張?」
「最近、いつも難しい顔ばかりしていたから。仕事が大変なのだと思って」
「云っただろう。いろいろ考えていたと」
 気恥ずかしそうに小十郎が目を伏せる。
「エイプリルフールに気がつけないくらい?」
「そうだ」
「仕事は?」
「順調だ」
「なんだあ」
 おかしかった。同時に、嬉しかった。小十郎は私のことなんかでは動じたりしないものだと思っていたから。どう見ても恋愛に振り回されるような性格じゃない彼が、ずっと私のことで悩んでくれていただなんて。
「でも、よかった。これでも、それなりに心配していたんだから」
「よくはない、な。ある意味、緊張していたのかもしれねえが」
 小十郎もおかしそうに眉を下げる。ぎゅっと寄っていた眉間の皺は、いまはどこかに息をひそめているようだった。

 繋いだ手は温かい。まずはご両親に挨拶だな、とつぶやいた小十郎に、また緊張の種が増えてしまったのではないかと思ったが、意外にも彼はその日を待ち遠しく感じているようだった。
「疚しいことはねえんだ。堂々と名前が欲しいことを伝えられる」
 大きな手のひらが髪を撫でる。後頭部にあてがわれたかと思うと、そのまま引き寄せられた。こつん、額がぶつかり合う。
「幸せにできる自信はあるからな」
 そのことばだけで充分なほど幸せだった。世界がなにもかも、輝いて見えるほどに。




この手を引いて連れていって
20110401

四月莫迦企画にて
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