今日は嘘をついてもよい日なのだと、佐助がそんなことを云っていた。「名前ちゃんになにか嘘でもついて驚かせてみたら?」と。そう告げた佐助もなにか企んでいるようだったが、俺は自分自身のことでいっぱいいっばいだった。

 嘘。
 好いている者に思ってもいないことを話すのは少し気が引けた。しかし、名前殿の驚いたり慌てたりする顔は見てみたい、と思う。
 楽天的な彼女はいつも笑顔で、普段からあまり焦りを見せることがない。へらりと笑って、大丈夫大丈夫とそのことば通り難なく避わしてしまうのだ。
 そのため、彼女がひどく驚く姿を俺はほとんど見たことがなかった。

 しかし、結局いい嘘(嘘にいいも悪いもないが)を思いつくこともなく、学校についてしまった。むう、どうしたものか。いつになく頭を抱え考え込んだ。
 俺は名前殿のことが嫌いなのだ、とかか。……いや、だめだ。彼女を傷つけるようなことだけはしたくない。それなら、俺と佐助は夫婦なのだ……は却下だ。自分で考えて鳥肌がたった。うう、思い浮かばぬ。俺には嘘をつくというせんすがないのだろうか。しかし諦めては駄目だ。
「うおおっ! 果たしてみせますぞお館様ああああ!」
「ちょ、旦那うるさい!」
「佐助えい! お主も協力せぬか!」
「なに騒いでるの?」
「ぬおう、っ」
 聴き覚えのありすぎる声。からからと笑いながら教室に入ってきたのは、当の本人である名前殿であった。
「おはよう幸村、佐助くん」
「おはよう名前ちゃん」
「おっ、おは、おはようございまする!」
「あはは、どもりすぎ」
 おかしそうに云って、名前殿は自分の席につく。かっ、考えろ幸村! 彼女が驚く嘘を考えるのだ……!
「なんか、幸村変だよ」
「旦那が変なのはいつものことじゃない」
「なっ、失礼であるぞ佐助!」
「なにか悩んでるみたいだし、そんな幸村にはこれをあげよう」
 じゃじゃーん、と無邪気な効果音を発する名前殿。そんなところも可愛らしゅうござる、が、鞄から取り出したそれは、
「季節限定、木苺ポッキーです!」
 幸村が好きそうだと思って買ってきたんだー、と屈託ない笑顔を名前殿はもったいないほどに振り撒く。瞬間、これだ! と思った。
「半分こしよ、ね」
 楽しそうに名前殿が開けるパッケージには赤くみずみずしい苺が印刷されていて、俺をぐいと惹き付けてくる。たしかに魅力的だ。欲しい。しかし、今しかないのだ。
「そっ、それがし! 甘味は嫌いにござれば……!」
 じわりと溢れてくる唾液を呑み込んで勢い云いきった。よし、やった。やりましたぞ、お館様!
 しかし、無意識にきつく閉じていた目を開いて名前殿を見やるも、彼女は平然と、しかしどこか嬉しそうに云うのだった。
「なに云ってるの? かわいいなあ幸村は」
 はい、となんの悪気もなくにこにこしながらポッキーを差し出す。視界の端では佐助があからさまに笑いをこらえていた。
「い、いや……そ、某、甘味は……」
「大好きだよね?」
「きっ、嫌いにござる!」
「本当に?」
「嫌いだ!」
 今度は名前殿の目を見てまっすぐに云いきる。なにゆえ信じてもらえぬのだ……いや、たしかに嘘なのだが。しかし見破られてしまう道理がてんでわからぬ。
 名前殿は少し考えると、そっか、と今度はあっけらかんと云い放った。なんだか気が抜けてしまう。
「それは残念だなあ。じゃあ全部ひとりで食べちゃお」
 俺に差し出していたポッキーをパキリと唇で折る。ふわりと漂った甘酸っぱい匂いにごくりと喉が鳴った。
「わあ美味しい! 幸村は食べられなくて可哀想だなあ」
「う……」
「佐助くん食べる?」
「あ、いいの? いただきまーす」
「さっ、佐助……!」
「どうしたのさ、旦那」
 うぐ、とことばに詰まる。もう嘘だと素直に云ってしまおうか。いやしかし……。だが名前殿がせっかく買ってきてくれたものを佐助に奪われるのは癪だ。
「す、すまぬ名前殿! 嘘なのだ!」
「いや知ってるけど、折れるの早いね」
「ほんとだよ旦那、最初の意気込みはどうしちゃったのさ」
「……目の前で食されては我慢できなんだ」
 この幸村、不覚でござった……。嘘を見破られるばかりか菓子の誘惑に負けるなどとっ、叱ってくだされお館様……!
「可愛いなあ、幸村は」
「そ、某は男児にござるぞ!」
「それも知ってる。まあでも、お菓子はおあずけね」
 ぴたりと思考が止まった。おあずけ、と申したか。
「なっ、なにゆえにござるか」
「嘘ついて私のこと騙そうとしたから」
「そんな殺生な……!」
 期間限定などいましか食べられないではないか。部活で忙しいゆえ買いに行く時間はないし、それを考えて名前殿も買ってきて下さったというのに。
「しっしかし、佐助が今日は嘘をついてもよい日だも云っておったゆえ!」
 そうだった。これを忘れていた。今日は嘘をついても赦される日なのだ。自信をもって云い返すと名前殿はきょとんと首を傾げた。そのような仕草も可愛らしゅうござる。
「エイプリルフールは昨日だよね?」
 しかし見惚れている場合ではなかった。
「な、なに……? 佐助、お主……」
「さあて、俺様はちょっと便所に」
「待て佐助!」
「わっ、ちょっと幸村!」
 教室から脱兎のごとく飛び出した佐助を追いかける。どうやら騙されたのは俺のほうだったらしい。

 一体どうしてこうなったのか、まさに狐につままれた気分だ。
「なにゆえ騙したりしたのだ!」
「いやあ、名前ちゃんが昨日、旦那が嘘つくの楽しみにしてたからさ!」
 生徒たちで賑わう廊下を走り抜けながら、佐助が悪戯を成功させた子どものように笑う。
「嘘ついてくれなかったって、名前ちゃん落ち込んでたんだぜ」
 名前殿がやたら嬉しそうだったのはそのせいか。やはりあとでポッキーは頂こう。そう決めて、とにもかくにもまずは目の前の狐を取っ捕まえることにした。




木苺の罠
20110401

四月莫迦企画にて
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