「政宗様」
「なんだ、小十郎」
「お言葉ですが、もう床に入られたほうがよろしいのでは」
「うるせえな。お前こそもう寝たらどうだ」
「しかし、」
「OK, OK, いいから出てけ」
「……では失礼致します」

静かに襖が閉まる。ひとりになると同時に、らしくもなくため息を零した。もう空は薄明るくなってきていて、有り明けの透明な月が冷たく佇んでいる。

昼間、名前に仕事が片付いたら部屋に来いとすれ違いざまに伝えると、「今すぐにでも」と彼女は嬉しそうに答えた。


しかし、こうして待っているも、一向に襖は開かない。最初こそ仕事が忙しいんだなと思っていたものの、ここまでくるとだんだんと苛立ちも募るというものだ。

「……まったく、夜が明けちまうぜ」

酒を仰げば幾分か気持ちが落ち着いた。俺は彼女に逢いたくて仕方がないわけなのだが、あいつはそうではないのだろうか。

俺だけがこんなに想っているのかと思うと、だんだん虚しささえ感じるようになってくる。

好きだからこそ長月のこんな長い夜も明けるくらいに待っていられるのだが。


さすがにうつらうつらと瞼が重くなり始めたころ、誰かが音を殺してゆっくりと部屋に入って来る気配を感じた。

「誰だ」
「私です、政宗様」
「お前……!」

驚いて声を上げると、俺が待ち焦がれていた彼女は人差し指を唇に当てて、お静かにと笑った。

「まだ、皆寝ているのだから」
「……もうそろそろ起きる頃だ」
「もうそんな時間?」

わざとなのかそれとも素なのか、白々しく驚く名前にもはや怒るどころか呆れてしまう。

「ああ。随分遅かったじゃねぇか。忘れてるのかと思ったぜ」
「相変わらず不機嫌なんですね」
「誰のせいだと思ってんだ」

くすくすと至極楽しそうに彼女が笑う。キツく咎めることが出来ないのは、惚れた弱みというやつだろう。

「なんでこんなに遅せぇんだよ。お前の『今すぐ』は月が半周するころなのか」
「そういえば、今宵の月は政宗様の兜の前立てのように細い三日月ですね」
「話を逸らすな」

睨みを利かせれば、名前は困ったように笑った。

「ごめんなさい、なかなか抜け出せなかったんです」

そういう名前はまだ若い女中だ。いろいろ仕事もあるだろうし、周りの奴らに知られないようにするのも容易なことではないのも判る。

「まあ、赦してやる」
「良かったです」
「それより、考えてくれたか」

彼女は黒い瞳を数回瞬かせた後、あぁ、と小さく呟いて俺の手にそっと触れた。静かに、切実に、ぽつりぽつりとことばを落としていく。

「政宗様は、格好良いです。少し横暴だけど、私たちのために戦って下さるし、とてもお強いし。それに、なにより優しい」

けれど、と彼女は続ける。俺は無言で少し荒れている細い手を握り返した。

「あまりにも身分が、違い過ぎるもの」

僅かに震える声が、伏せた睫毛が、遠慮がちに握る手が、どうしようもなく愛しいのにまだそんなことを気にするのか、こいつは。

「一国の主が妾るって云ってんだ、誰も逆らわねえよ」
「……だからこそ、気に入らない人もきっといらっしゃるでしょう」
「そりゃあそうだろうよ。だがな、んなもん関係ねぇんだよ」

そう云っても納得いかないらしい名前は、俯いたまま弱々しく首を横に振る。

壊してしまわないように、涙に沈む身体をそっと抱き寄せれば、びくりと細い肩が腕の中で跳ねたのを感じた。

「あのな、俺はお前を愛してる、それだけで充分だろ。You see?」

俺の胸から泣き顔がゆっくり上がる。涙の痕も判るくらい外はもうすっかり明るくなっているらしい。

濡れる目尻に口付ければ、本当にどうしようもないお人ですね、と嬉しそうに小さく笑った。

「月が薄くなるほど俺を待たせといて、やっぱり無理だとか云うなよ、頼むから」
「……私には勿体無いほどに綺麗すぎる月なんですもの」
「見惚れたか」
「ええ、とっくのとうから」

城の中がにぎやかになるまであと少し。せめてそれまで、静かにふたりで。





今来むと
いひしばかりに
長月の
有り明けの月を
待ち出でつるかな

(素性法師 古今・恋四)


20100808 五万打感謝
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