凛と張りつめた空気の中で、人知れず深く息を吸う。柄にもなく緊張しているのだ。

目の前に対峙する女子は長年想っていた相手だ、無理もないか。

ただ、彼女は空気よりも冷たく静かに俺のことばを待っていた。

「単刀直入に云わせて貰う」
「どうぞ」
「名前、俺と夫婦になってくれ」

それはもう真剣に、この胸の奥からの気持ちだった。一度たりとも逸らさない、逸らさせないと決めた彼女の目だけがスッと細くなる。

「海賊風情が何の用かと思えば……。ふざけるのも大概にして下さい」
「なっ、」
「いくら四国を治める長曾我部殿と云えど、あなたのような方とは例え政が絡んでいたとしても夫婦になどなれませぬ」
「……はっ、酷い云い様だな」
「お帰り下さいませ」

氷柱のようなことばが容赦なく突き刺さる。これ以上なにか云っても恐らく逆効果だろうと、俺は仕方なく重い腰を上げた。

「少しでいい、考えておいてくれ」
「考えるまでもありませぬ」
「つれねえな……。まぁ、そんなところにも惚れたんだけどよ」
「……戯言を」
「俺は海賊だが、卑怯な真似はしねえ。アンタが考え直すまで俺はいつまでも待ってる」
「…………」

名前はそれきりもうことばを紡ごうとはしなかった。



波打ち際に出て、潮風を浴びる。夜は俺からなけなしの体温を否応無しにさらっていった。

波が岩に打ち付け、砕け散る。まるで彼女に冷たくあしらわれ、正に当たって砕けた俺のこころのようだと自嘲を零した。

しかし、海賊の性分なのか荒波を見ているとどこか落ち着くのも確かで、このまま名前を想う気持ちごと流してくれないかと女々しいことを考える。

女は海を操るように容易くはいかないのだとさめざめ思う。難しいことこの上ない。

幾度目かの大きい波がほんの少し岩を削った時だった。

「長曾我部殿」

胸の内で待ち焦がれていた声が俺の名を呼んだ。振り向くと夜風に靡く髪を片手で抑えて俺を見下ろす彼女。伏し目がちの瞳を縁取る睫毛が月明かりで濡れているように見える。

「海の夜風にあたって風邪でも召されたら話にならないので客間へお戻り下さい」

相変わらず刺々しい物云いに苦笑が零れる。

「そんなに柔じゃねえよ」
「迷惑なんです」
「なら、放っておいたら良い」
「……それが出来ぬから、こうして貴方を追ってきたのではないですか」

心地好い声に思わず聴き逃すところだった。どういう意味だ。

「後生ですから、戻って」
「まったく、俺に気が有るのか無いのか、どっちなんだよ」

わざとらしくため息を吐けば、名前は今日初めてその綺麗な笑顔を見せた。

「鬼がどれほど一途に愛してくれるのか、気になっただけのことです」
「つくづく可愛くねえやつだな、アンタは」
「余計なお世話です」
「そんなこたぁねえだろ、俺の嫁さんになるんだからな」
「誰が夫婦になるなどと云いましたか」
「……ならねえのか?」

俺の問いに、彼女は当たり前じゃないかとでも云うような口調で答えた。

「夫婦になるには、互いのことを知らなすぎると思うのですけれど」
「俺のことなんかこれから知っていけばいい」
「……私が云いたいのは、長曾我部殿が私の何を知っているのだということです」
「知ってるさ、ずっと見てきたんだ」

自分でも驚くほどに優しい声が出た。彼女は何かことばを紡ごうと口を開く。

また憎まれ口を叩く前にと、その艶やかな唇を自分のもので塞いだ。

離れれば、大きく見開かれた瞳が俺を凝視していた。

「な、にを……」
「これでひとつ、俺との接吻を知っただろう?」

真っ赤に染まった顔は、今まで見てきたどんな彼女よりも愛しく思えた。





風をいたみ
岩うつ波の
おのれのみ
くだけてものを
思ふころかな

(源重之 詞花集・恋上)


20100811 五万打感謝
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