カリカリカリ、シャープペンシルが紙の上で立てるそれだけが教室にある音だった。目の前で問題をひたすら解く名前の眉間にはぐしゃっとしわが寄っている。

返却された英語の小テストがあまりに酷かった彼女は、俺に教えてほしいと泣きついてきたのだった。

それはいい。俺を頼ってくれたことは嬉しいとさえ思った。ふたりきりという状況も喜ぶべきことだ。

しかし、まったく友達に接するそれと変わらない態度に俺のheartは折れかけていた。折れかけながら、なおも早く脈打つものだから質が悪い。

「おわ、終わった……!」
「ん、見せてみな」

文法問題がひたすら並ぶプリントを受け取り、目を通す。ところどころ間違えているが最初よりは断然出来るようになっている。

ここ、と問題を指差してやれば名前は身を乗り出して真剣な目をそれに向けた。

「このwhichは関係代名詞だぜ。ここのwhatもだ」
「うわぁ、そっか……」
「語順整序はまあまあだな。あとは助動詞の使い方くらいか」
「used beみたいなやつ?」
「used toな」
「……お、覚える」

しゅん、と縮こまり恥ずかしそうに目を伏せる名前に頬が緩む。

「わ、笑わないでよ」
「sorry, あんまりcuteなんでな、つい」

俯いたせいで顔にかかってしまっている綺麗な髪を、すくって耳にかけてやる。ぴくりと跳ねる肩に俺の心臓までもが反応した。

「『馬鹿な子ほど可愛い』とでも云いたいの!」

無意識なのだろう、上目使いがちに睨まれる。そのあまりの破壊力に直視出来ず視線を外した。これ以上、俺の心拍数を上げないで欲しい。

それにしても名前は随分とひねくれた解釈をする。俺としては最大限ストレートな褒めことばのつもりだったわけなのだが。

けれども、そういったことは日常少なくないのでもう慣れてしまった。こっちの好意にまったく気付かず、想いを踏みにじるような返答もしばしばだ。

それよりも一番苛立つのは、簡潔に「好きだ」と伝えることの出来ない自分だ。

「伊達くん?」

何のアクションも起こさない俺を不審に思ったのか、名前が怪訝そうに覗き込んできた。

「Ah...何でもねぇ」

その目を縁取る睫毛も、桜色の唇も、シャープペンシルを握る手も、すべて俺が奪ってしまいたいと思うのに、あと一歩が踏み出せない。

大切に出来る自信はあるのに、拒絶を恐れる今の俺にはその権限すらないのだ。このもどかしさを、どうしたらいい。

そしてなぜか、それを切り抜けるタイミングは今だけのような気がしていた。

俺と名前の仲は良い。きっと、こうしてまたふたりきりになることは容易いだろう。しかし、今なにも云えないのなら、次があってもおそらくは。

「なにか悩みごとでもあるの?」
「……そうだな」
「私で良ければ相談にのるよ」
「好きな、やつがいるんだが、まったく脈ナシでな」

気がついたら、名前の厚意を逆手にとるような返答を返していた。意外だったのか、彼女は目を大きく見開く。

「伊達くん、好きな子いたの」
「いちゃあ可笑しいか」
「ううん。良いことだと思う」

柔らかく笑った名前に、ずきりと胸が痛み出す。やはり、こんなこと云うべきではなかった。

「どんな子?」
「so cute」
「ええっ、それだけじゃわからないよ」
「上げだしたらキリがねぇんだ」
「じゃあ、例えば?」
「例えば、授業中の寝顔とか」

飯食ってるときの幸せそうな笑顔も、苦手を克服しようって頑張る姿も、負けず嫌いなところも、柔らかい声も、ペンの持ち方さえ。

「わあ、愛されてるね」

好きなところいっぱいあるんだ、と自分のことを云われてるとも知らずに名前は笑う。

そうなんだ。たくさんありすぎて、潰れそうなくらいだ。可愛いから好きなんじゃない。好きだから、可愛いと思う。好きだから、すべてが愛しく思う。

「そういう、insensivieなところもな」
「え、イン……なに?」
「鈍感、ってこった」
「鈍感?」

首を傾げる名前に俺は苦笑を零す。

「名前、全部アンタのことだ」

ついに云った。やっと云えた。明日にはもう、こうして向かい合って座ることもないかもしれない。

「えっ、え? 好きな子って、私?」
「あぁ。名前が好きだ」

ばっとあからさまに視線を逸らされる。片方だけ出た耳が赤く染まっていて、それだけで俺は少し報われた気がした。今だけでもいいから、名前の頭の中全部を俺のことだけで埋めつくしたい。俺が、そうであるように。

「……ご、ごめっ、……私、今までずっと、伊達くんのこと、友達だと思ってた、から……」
「……だろうな」

予想通りのことばだった。きっと名前は一度だって俺を恋愛対象として見たことはないのだ。

「顔、上げてくれ。伝えたかっただけだから、別に返事とか、要らねえし」

しかし、彼女は一向に目線を膝の上で握った手から上げようとしない。代わりとばかりにふるふると首を左右に振った。

「あ、あの、伊達くん」
「どうした」
「すごく、顔が熱くて、どきどきしてて、伊達くんを見れそうもないのだけれど……どうしたらいい?」

それは思いもかけない問いだった。どうしたらいい、だなんて、それをこの俺に訊くのか。

「ほ、ほんとは……っ、伊達くんが、好きな子いるって云ったとき、ちょっと、悲しかった」
「……名前?」
「私、人を好きになったこと、ないから、よく、わからなくて」

消え入りそうに震えるその声が、しかし明瞭に頭の後ろの辺りで反響する。

こいつは、自分の気持ちにさえ気付けない不器用なやつなのか。

「恋、したらいいんじゃねえか」

雲をも突き抜けてしまいそうな嬉しさを必死に抑えつけて、俺はそう答えるので精一杯だった。





へたくそな恋の始め方
苺さまリクエスト「鈍感少女に片想いする純情少年な伊達」より


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20101004
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