苦しい苦しいと悲鳴を上げる心臓のある辺りを、己の手のひらで痛いくらいに抑えつけてみた。

かような気持ちは、初めてだ。



昼休みに部活の者とサッカーをしていた際、突如襲った衝撃に受身も取れず地面に転がった。一瞬わけがわからず放心した後、慌てて上半身を起こせば同じようにジャージを土まみれにした女子が既に起き上がり俺を覗き込んでいた。おそらく彼女とぶつかったのだろう。

「大丈夫?」
「だ、大事、ござらぬ」
「そう。良かった」
「そなたこそ、怪我等、ありませぬか」
「ぜんぜん平気」

ボールを追うことに夢中になるあまり全く周りが見えていなかった俺は依然と目を白黒させていた。数人でバレーボールをしていた彼女もまた、ボールが回ってきたところで周りに注意がいかなかったのだろう。

あまり女子と面識のない俺は、ましてや他クラスの者の顔や名前などはてんで知らない。しかし、彼女のほうは俺のことを知っているらしかった。

「あの、真田くん」
「っ、な、何でござろう」
「部活、頑張ってね」

にこりと笑ってバレーの輪に戻っていく彼女に、俺はありがとうも何も云えぬままその後ろ姿を見送る。彼女の姓が苗字ということだけは、唯一ジャージの刺繍から読み取れた。



その日からわけもなく俺の目は自然と苗字殿を追っているのだ。移動教室の折に廊下ですれ違うときも、あの日のように昼休みに外で見かけたときも。

彼女が憂鬱そうな顔をしていた時は自然と俺もどうしたのかと憂鬱になるし、また彼女が嬉しそうに笑っているときは良いことがあったのだろうと俺までも嬉しくなるのだ。

目が合った日には息が止まるような思いをし、その日1日が幸福なものになる気さえする。

「恋だね」
「loveだな」

と、佐助と政宗殿が口を揃えて云った。

「こ、恋……でござるか」
「まあ、初恋は叶わねえって云うけどな」
「ちょっと、せっかく旦那が良い人見つけたんだからそういうこと云わないでよ」
「俺は本当のことを云ってやっただけだ」
「旦那、真に受けないでよね。迷信だから、迷信」

続く佐助いわく恋のノウハウを俺は適当に聴き流しながら、ぼんやりと苗字殿のことを考えた。たったそれだけで胸が疼く。

佐助や政宗殿が云うように、やはりこれは恋なのかもしれない。

そう認めたら、苗字殿の行動ひとつひとつに一喜一憂する俺自身を、もう見て見ぬ振りなどは出来なくなる。

ただ、政宗殿のことば通り、苗字殿には別の想い人がいるようだった。

彼女と同じクラスの長曾我部殿。彼と時折、楽しそうに廊下で話している姿を見かける。なにかからかわれたりすれば、その柔い頬を薄く染めるのだ。その度に俺の胸はちりりと焼かれるように痛む。

苗字殿を好きにならなければこのような想いも知ることが出来なかったのだから、それだけでも。そう自分に云い聴かせてどうにかこの気持ちを沈めようと足掻いた。



放課後、あろうことか部活で使うスパイクを教室に忘れた俺は急いで階段を駆け上がっていた。校舎は存外静かで、残っている数名の生徒の話し声が時折遠くから聞こえてくるくらいだ。たんたんたん、とひとつ飛ばしに階段を踏む音だけがいやに響く。

それを上りきり右に折れてすぐの教室。俺のクラスからみっつ離れたその教室の、開けっ放しになったドアから窓の桟に寄りかかる苗字殿が伺えた。

思わず急いでいた足を止めて教室の近くまで歩みよる。開いたドアから覗き込めば、精巧にできた人形のごとく佇んでいた苗字殿がこちらを向いた。

「……真田くん?」
「な、何を、しておるのだ」
「これと云って何も」
「おひとりで、ござるか」
「そうだよ」

そんなところにいないで、こっちにおいでよ、とあの時と変わらない笑顔で苗字殿に云われ、拒む理由もなく教室に踏み込む。

「部活はどうしたの?」
「わ、忘れものをしてしまって」
「えっ、早く戻ったほうがいいんじゃ……」
「少しくらいは、平気でござる」

本当のところ、苗字殿が云うとおり早く戻らねば叱られるのは必須なのだが、彼女と話せるこの機会を見過ごすことができなかった。

恋にうつつを抜かしている暇などないと散々云っていたのに、いざ自分がその状況に陥るとこんなにも容易くそちらを優先してしまうものなのか。

「苗字殿はまだ帰られないのか?」
「あぁ、えっと……部活が終わるまで友達を待ってるの」
「ならば、良いのだが……。ち、近頃は日が暮れるのが早くなってきたゆえ、おひとりでは危のうござる」
「そういえばそうだね。もう日が傾き始めてる」

窓の外を見れ遣れば空の裾が薄く橙色に染まりゆくところだった。その下では校庭で運動部が活動している。もちろんサッカー部も例外ではない。

「部活、いいの」
「……構わぬ」
「意外だね。サボったりするの、赦せない人だと思ってた」
「普段ならば、そのはずなのだが」
「どういう意味?」
「いや……」

苗字殿といたいからだ、などとは口が裂けても云えず曖昧にことばを濁す。何か話題をと頭の中の少ない引き出しを必死で漁るも、彼女の興味をそそってくれそうなものは出てこない。

そんなものだから、思わず考えてもいないことを口走ってしまった。

「それにしても苗字殿は、長曾我部殿と仲が良いのだな」
「元親? どうして?」
「よく、廊下でお見かけするゆえ」
「案外見られてるもんだね」

困ったように笑って、その頬をやはり薄赤く色付けた。やり場のない想いは、一体どうすれば良いのだ。勢いに任せて自らのこころを抉るようなことを云った自分を呪う。

「名前も、苗字だけでも真田くんが知っていてくれてるなんて思わなかった。ちょっとぶつかって、たった1回話しただけなのに」

目線は窓の外に落としながら、苗字殿がはにかむ。その瞳はさっきから誰を探しているのか。

「……初恋とは叶わぬものなのだそうだ」
「真田くん?」
「苗字殿が長曾我部殿を慕っておるのは重々承知のこと、」
「え? な、なんて?」
「しかし、どうか云わせて下され」

いきなりのことに戸惑っているらしい苗字殿の小さくて俺よりも少しだけ冷たい手をとる。深く息を吸って、ことばとともに吐き出した。

「どうしようもなく、好きなのだ。苗字殿が」

耳の裏あたりでかああと血液の流れる音がした。急激に顔が熱くなって、そのあまりの恥ずかしさに手を離し、顔を背けた。

「しっ、失礼致す……!」
「ま、待って!」
「うお、うっ」

教室を出ていこうとした俺の手を、今度は苗字殿が掴まえた。予測できなかったそれに驚き、よろめきながらも振り向く。

「云い逃げは、ずるい、よ」
「苗字、殿……?」
「私にも、云わせてよ」
「な、にを」

顔を上げた苗字殿はおそらく俺と変わらないくらい顔をまっ赤にして、こころなしか涙の溜まった目で俺を見た。

「私も、真田くんが好きです」

抱きしめたくなる衝動をかろうじて堪え、何か続けて云いたそうな苗字殿を待つ。

「も、元親には、その……、真田くんのことで、相談に乗って貰ったり、してて」

勢いをなくした不安げな瞳がゆらゆらと俺の足元あたりを迷い始めた。俺はもう驚きや嬉しさ、愛しさなどといったさまざまな感情のせいで声を出すこともできない。

「い、今だって、友達を待ってるだなんて云ったけど、本当は嘘で……、いつもここから、部活中の真田くん、眺めてるんだ、よ。私、そんなのばっかりで、っ」

ひゅっ、と息を呑み込む音がした。我慢の限界に、俺の腕は彼女へと自分でも知らぬうちに伸びていた。なんと、愛いのだ。懸命に話す涙声も、この腕に収まる細い身体も。

「……苗字殿、今のおことばに、偽りはござらぬな」

こくりと苗字殿が頷くのがわかる。そして小さく、こんなにも近くにいる俺でさえ聴き逃してしまいそうな声で呟く。

「名前って、呼んで。……幸村くん」

彼女から先に名前を呼ばれ、震えそうになる声でそれに応える。名前、と初めて口にしたそれは思いのほか甘く響いた。

薄暗い教室は夕暮れで赤く燃えていて、もう今日は部活に出ずにこのままふたりで帰ってしまおうかと、らしくもなく顧問への云い訳を考えた。




まっ赤な恋をした
雛苺さまリクエスト「真田と淡い初恋で最後は両想い」・梅田さまリクエスト「切なくて少し甘いお話で真田」より。


十万打感謝
20100921
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