偶然出逢った彼女は、視覚障害者で男性恐怖症だった。
こんな物騒なところで女がひとりで何をしている、と道に迷っていたらしい彼女に声を掛けたことが始まりだ。
また、道案内をする際に手をとって短い悲鳴を上げられたことは記憶に新しい。
手を掴まれるのが駄目ならと自分の服を掴ませ歩いた道すがら、男性恐怖症なのだと打ち明けられたことも。
今となっては少しずつこころを開いてくれているらしいが。
のどかな昼下がり、初めて出逢ったその公園のベンチで、ただ他愛ない話を交わす。
目が不自由な彼女はいつも白杖を所持しており、トントンと足元でそれを持て遊んでいた。
「それにしても、小十郎さんは随分と暇人なんですね。休日に予定のひとつも入ってないなんて」
「今こうして名前と逢ってるだろうが」
「だから、私なんかを誘うくらい暇なんですね、ってことです」
穏やかに笑う名前に気付かれないように、静かに溜め息を零した。
道案内のお礼がしたい、と云った彼女に、礼なんて要らないから連絡先を教えてくれと俺は答えた。
渋る彼女に無理なら良いと帰ろうとすれば、慌てて引き留められ付き出された携帯電話。
それからメールを交わすようになって、電話で話すまでになり、こうして逢えるようになったのはつい最近だ。
最初は男性恐怖症を克服する手助けになればいいと思っていたのだが、どういうわけか俺は名前に恋愛感情を抱いてしまった。
俺がなぜこうして休日に誘い出すのか、彼女はてんで理解していないらしい。
「……そうだな。名前はいい、話し相手だ」
ただ、露骨にこの想いを押し付けてしまえば、きっと名前はまたこころを閉ざしてしまうだろう。
不安にさせるようなことだけはするまいと、細心の注意を払ってことばを選ぶ。
「それは、私は暇つぶしに持ってこいってことですか?」
「そんなんじゃねえ。お前と話すのは楽しいってことだ」
「何が違うんですか?」
「違うだろう。暇だから話してるんじゃなくて、話すために暇を作ってんだ」
あはは、と小さく名前が笑う。
「相変わらず丸め込むのがお上手です」
「その憎まれ口もな」
楽しそうに笑ってくれるなら、今はそれだけで充分だ。
他の男にもそういう風に接していけるのが彼女のためにも一番良い。それと同時に沸き上がる独占欲。俺はまったく、浅はかな奴だ。
「名前」
「なんですか?」
明るい声色に安堵する。俺はときどき、目の見えない彼女には人の感情が見えてしまうのではないかと、臆病になるのだ。
「まだ、俺が怖いか」
「どうしたんですか、いきなり」
「他の男とも普通に話せるくらいにはなったんじゃねえか」
「……あんまり、そういう風に上手くはいかないです」
「そういうものか」
困ったように眉を少し下げて名前が頷く。
「小十郎さんは、特別ですから」
そう云われると、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか複雑に思う。
「まだ、触れられるのは怖いって思っちゃいますけど」
「……そうか」
「私が男性が駄目になった理由、話しましたっけ」
「いや」
「じゃあ、小十郎さんには知っていて貰いたいです」
聞いてくれますか、と名前が首を傾げる。健気な彼女に、無理はするなよと念を押せば、大丈夫ですとしっかりした声が返ってきた。
「小さい頃……男の人に、悪戯されたんです」
ぽつりぽつりと話し始めた静かな声を、ひとつも取り溢さないように俺は耳を傾ける。懸命に、男の俺にそれを打ち明けることの、どんなに勇気のいることか。
「すごく、怖くて。……気持ち悪くて」
「もう、いいぞ」
「……声も、出ないし、誰も助けて、くれなくて……」
「名前、」
「本当に、本当に怖かった……っ」
その震える肩を抱きしめられないことがもどかしい。何も出来ない自分がひどく無力だと思い知らされる。
「よく、頑張ったな」
視界さえ暗闇に沈む彼女には、声を掛けてやることくらいしか出来ないのだ。
「辛かっただろう」
ぎゅ、と唇を噛み締めている彼女が、俺には涙を堪えているように見えて痛々しい。
「俺にはその恐怖がどんなもんだったかとか、想像さえつかねえが、そんな汚らわしいものでなく、ちゃんと名前を愛してる奴もいるんだってことは、忘れるなよ」
ついにその瞳から涙が零れる。ぽろりぽろりと止めどなく流れる雫を拭ってやることも叶わず、固く握られた手にハンカチを触れさせた。ゆっくりとした動作で手が開き、ハンカチを掴む。
「……ありがとう、ございます。小十郎さん」
目元を拭う彼女から視線を前に移し、立ち上がる。
「小十郎さん?」
「頑張った褒美だ。何か食わせてやる。アイスでもケーキでも、何がいい」
「じゃ、じゃあ、クレープがいいです」
「なるほど、欲張りだな」
「いいじゃないですか」
むっとする彼女が、とても愛しいと思う。辛い過去を壊れそうなそのこころに抱えたまま、前に進もうとする生き方さえ美しいと。
「行くぞ。連れていってやる」
「あの、」
「ん、どうした?」
いつものように服を掴もうとしない名前。何か思うところでもあったのだろうかと考えるも俺には判らなかった。
「何かあるなら遠慮なく云ってくれ」
「その……手、を」
「手?」
「繋いでも、いいですか?」
それは、手を繋ぐのは、男の人と触れるのは怖いからと、それらを今まで拒んできた彼女の大きな一歩。
「繋ぎたいんです。小十郎さんと」
「無理は、するなよ」
名前の、白杖を持っていないほうの手をそっととる。ベンチから立ち上がった彼女は嬉しそうに笑った。
「美味しいクレープ屋さんに、連れて行って下さいね」
ああ、と短く答えて、ふたり並んで歩き出した。
その暗闇から
雑草さまリクエスト「盲目で男性恐怖症の主人公と片倉が互いに惹かれ合う切なくて甘いお話(要約)」から。
十万打感謝
20100911