誠、不可思議な女子に出逢った。奇妙な着物を身に纏う異質な彼女は、他には何を持っているわけでもなくひどく孤独で。
しかし、未来から来たと云い張るのも頷けるほどの博識に、俺には何でも知っているように思えた。
そんな女子を保護して、もう半月が経とうとしている。
「名前殿」
「あ、幸村さん」
「こんな夜更けに、如何したのだ」
「ちょっと、考え事です」
「考え事?」
「置いてきちゃった家族のこととか」
「家族……で御座るか」
「はい。あと、幸村さんのことも」
なんてね、と茶化すような無邪気な笑みにどきりと心臓が跳ねる。彼女はこの時代の女子にはない笑い方をするのだ。具体的にどこがと問われると答えられぬのだが。
縁側に座る彼女の隣に腰を降ろし、夏の生温い夜風にあたった。虫たちが草むらに隠れてころころと鳴いている。
「こんな時間まで起きられていては、身体を壊しまするぞ」
「平気ですよ。ここに来る前はこれが普通だったんですから」
「そうなので御座るか」
「はい。私には幸村さんたちが規則正し過ぎて、正直付いていけません」
困ったように笑う彼女の目は、現世ではなく何処か遠くに向いていた。確かに隣に居るはずなのに、手の届かないような気さえする。
「この世界はホントに不思議ですね」
「某には、名前殿のほうが不思議に思いまする」
「……未来から来ただなんて、馬鹿げてるって思いますか?」
「いえ、某は名前殿を信じております故」
たとえ誰も信じずとも、この幸村が。こころの中でそう続けて、少しの危機を感じる。しかし、どうしても彼女を疑うことなど俺には出来ぬのだ。
「名前殿の住む未来は、誰もが平等な世だと仰いましたな」
「上辺だけですけどね。実際は学力や貧富の差が激しいです」
「それでも、全ての民が勉学に励むことの出来る環境が整っているとは、素晴らしいことに御座る」
文字を読めぬ者のほうが多い今の世では、それは考えられぬことだ。彼女の云う未来に思いを馳せれば馳せるほど、理想の天下がどういったものなのかが見えてくる気がした。
誰もが平等な泰平の世。そんな世でこうして隣に座る彼女とともに過ごせたら。
「もうすぐ、戦が始まるかもしれぬのだ」
「戦……ですか」
「うむ。不安かもしれぬが、名前殿には此処で待っていて貰いたい」
「私が行っても、何も出来ることなんてないから、大人しくそうしてます」
高揚の無い、静かな声だった。名前殿の生きる日ノ本は戦などはとうに放棄したそうで、忌々しい過去としてその悲惨さが語り継がれているのだとか。
彼女が戦を嫌うのはもっともなのだ。
閉じたばかりの桜色の唇が再び開かれる。やはり静かな声で問われた。
「ちなみに、何処との戦なんですか?」
「大阪にて徳川方とに御座る」
「大阪……?」
名前殿の目がようやく俺を映した。不安に駆られたその表情に、こころが痛む。
「そのような顔、しないで下され」
「あ、の。……行かないでって云ったら、幸村さんは此処に居てくれますか」
「その願いは聞けませぬな」
云えば、苦しそうに眉根を寄せ、そうですよね、とまるで独り言のようにことばを零す。
もしかしたら、彼女はこの戦の行く先を知っているのかもしれない。しかし、その運命がどうであれ俺は出陣せねばならぬのだ。例えそれが彼女の願いであったとしても。
「……幸村さんなら大丈夫ですよね」
「名前殿……」
「私、待ってますから、ちゃんと。だから、絶対に帰ってきて下さい」
「約束致そう」
この手をまた、こうして握れるように。そう彼女の膝の上で震える小さな手をとって、両の手で包んだ。
この気温だというのに、その手のなんと冷たいことか。
「幸村さんって、たまにすごく思わせ振りですよね」
「お、思わせ振り……?」
「だって、まるで愛の告白みたい」
恥ずかしそうに頬を染めて笑む姿に、自分の体温も上がっていくのを感じる。なんと、破廉恥な。それも、こんな夜更けに。
だが、目の前の彼女に恋心を寄せていることもまた事実なのだ。
「違わぬ」
「へ?」
「違わぬと申したのだ」
きゅ、と握る手に力を込める。この上がりすぎた体温を冷えた手に分け与えるように。
「某は、名前殿をお慕いしておりますれば」
「ゆ、幸村さ……」
「その解釈、寸分違わぬ」
片方では彼女の手を包んだまま、もう一方の手のひらを柔い頬に添える。
そっと、ただ触れるだけの口付けを落とした。
「わ、私だって、幸村さんのこと、大好きなんですよ」
「嬉しゅう御座る」
「残してきた家族と同じくらい……ううん、たぶんそれよりも」
「名前殿、」
「なのにどうして、同じ世界に生きられなかったのかな……」
また遠くを見つめる瞳に、訳もなく心の臓が苦しくなる。それもこれも、名前殿が愛しい故なのか。
「待っていて下され、名前殿」
先ほどと同じことばを繰り返す。名前殿が俺を案じてくれるように、俺とて彼女がいつ元の世に帰ってはしまわないかと気が気でないのだ。
「某が必ず、必ずや名前殿に泰平の世をご覧に入れまする」
「泰平の、世」
「名前殿が身を置いていた未来にも負けぬくらいの、誰もが平等な世に御座る」
こくり、と名前殿が小さく頷く。
「そうしたら、ずっと某と共にあれば良い」
「強引ですね」
「こうでも云わねば、そなたは帰ってしまうであろう」
「待ってるって、云ったじゃないですか」
だから、未来を変えてみせて下さい。いつものようにからりと笑った名前殿の、そのことばの真意は掴めぬが、俺もただ笑って、お見せ致そう、と答えたのだ。
夏空に誓う
月さまからのリクエスト「トリップ設定の主人公と真田で甘いお話」より。
十万打感謝
20100910