凍るような寒さは身を潜め、ようやく奥州の空気も柔らかなものになってきた。ここ数日は特に暖かく、縮こまっていた桜の蕾も美しく花弁を広げている。
「春が来たな、小十郎」
「左様でございますな」
 こちらを振り返り、うれしそうに零す主の声に同意する。奥州の冬は長く、そして厳しい。
「片倉様ー!」
 ささやかな花見は、部下の己を呼ぶ声で終わりを迎える。まったく情緒のかけらもない。ひとつ溜め息をついて、どうした、と訊ねた。
「片倉様に文が届いてるんすよ」
「文?」
 懐から取り出されたそれを受け取って、差出人を確認する。見知った字体に眉を寄せた。
「『名前』って、女の名じゃねえか、恋文か?」
「政宗様……ひとの文を覗き見ないで頂きたい」
「いいだろ、オレはお前の主人だぜ」
 オレにはその権利があるとか何とか、横暴な理由を取り付けて政宗様は俺の手から文を奪う。政宗様、と諫める間もなくそれは開かれてしまった。
「『六花も溶け消え、奥羽でも春告げ鳥が唄い始めました。いかがお過ごしでしょうか。この折りには、ひさしくお逢いしていない貴方さまの、そのお顔を見たいものと思い、こうして柄にもなく筆を執りました次第にございます』……って、Oh, 本当に恋文じゃねえか」
 頭が痛い。にやにやといかがわしい笑みを浮かべる政宗様から文を取り返す。
「名前は故郷の馴染みの者です。妹のようなものであって、決して政宗様がお考えのような関係ではありません」
「Ah? 隠すことねえだろ。いいじゃねえか、逢いに行ってやれよ」
「なにを仰います。雪が溶け、これから戦にもなろうという時に」
「だからだろうが」
「しかし、」
「遠いわけでもねえんだ、行ってこい。しばらく暇をやる」
 政宗様はさも楽しげに目を細めると、これは命令だ、と云い放った。
「きょうから帰って来るまで、お前の仕事はひとつもねえぜ」

 そのようなわけで、単騎で米沢を出発し、生まれ故郷へと向かうこととなった。大した距離はなく数刻ほどで到着するが、だからこそ、いつでも行けるという気があったのも確かで、その地を踏むのは幾年振りだ。
「小十郎、来てくれたの」
 日も暮れよう頃。文を送りつけて来た彼女の住む家を訪ねれば、すこしばかり大人びた顔が出迎えた。
「お前が来いと云ったんだろう」
「だって、あんなふうに文でも送らなければ、帰ってこないと思ったから」
「そうは云ってもな……義姉も義兄も米沢に居るとなりゃあ、わざわざ帰る必要もないだろう。両親が居るわけでもねえんだ」
 妥当な理由を告げると、名前は微かに目を伏せて困ったように笑う。幼き時分に両親を亡くした俺を哀れんでいるのかもしれなかった。
「よかったら上がって行って。ちょうど夕餉もできる頃だから」
 小さな屋敷のなかを通される。こちらに背を向けた名前の髪に、見憶えのある簪が挿し込められていた。いかにも使い古された、桜の飾りの揺れるそれは、随分と昔に俺が彼女へなにかの土産に贈ったものだ。
「まだ持っていたのか」
 思わず零すと、名前は不思議そうに振り返った。
「なにを?」
「その簪だ」
「ええ……だって、ちょうど桜が咲いているでしょう」
 なに食わぬ顔でそう云って、名前はふたたび前を向く。淡い桜が小さく踊った。まるで答えになっていない。
「夕餉の準備をするから、そこで待っていて」
 促されるまま適当に腰を下ろし、彼女の見えぬところで息をつく。そこで、ふと違和感を覚えた。ほかに人の気配がしない。
「名前、母君はどうした」
 厨へ向かう後ろ姿に呼び掛ける。彼女の父親はたしか昨年の夏に戦死しているが、母親はまだ健在であったはずだ。
 そう思い問うたのだが、しかし名前の答えは意に反したものだった。
「昨年の暮れに亡くなったわ。父が死んだのがよほど応えたんでしょうね」
 ああ、そういうことか。彼女のその科白でようやく合点がいった。
 父が亡くなり、後を追うようにして母も亡くなり、名前は寂しかったのだろう。らしくもない言の葉で文を寄越したり、昔の簪をつけていたりするのもそのために違いない。
 理解した途端、なぜ、俺はもっと早く名前のもとへ来てやれなかったのだろうと思った。一番辛かったはずの寒々しい季節に、傍に居てやれなかったことを悔いる。
「小十郎が悲しむことはないわ。もう歳だったし、仕方がなかったの」
「……そうか」
「ええ」
 気丈に振る舞う彼女に、心臓のあたりが痛む。ほかに兄弟姉妹も居ない名前は、いま、たったひとりでここに住んでいるのか。
「なぜ、嫁に行かねえ」
 ついそんなことばが口をついて出た。名前の齢なら、もうどこかへ嫁いでいてもおかしくない頃だ。
「なぜと訊かれても、縁がないもの」
「少しは頓着しろ。早くしねえと行き遅れる」
「あら、小十郎だってひとのこと云えないくせに」
「……俺のことはいい」
「喜多さんが悲しむわ」
 炊けたのであろう飯を碗によそいながら名前が囀ずる。俺の嫁取りについて義姉が心配していることを知っているらしい。大きな世話だ。
 すると、なにを思ったか、彼女はゆっくりと一度瞬きをすると、いつになく真剣な目で俺を見た。
「小十郎、私、恋をしているの」
「……は、」
「だから、いいのよ。お嫁になんて行けなくても」
 ひどく消極的な科白のくせ、その表情は変に自信に溢れていた。
「良いはずがねえだろう。この先ひとりで、なにかあったらどうする」
「なら正直に云うわ。私は、迎えに来てくれるのをずっと待っているのよ」
「待っているって、お前、」
「ええ、叶わないでしょうね」
 そんなことはわかっていると一蹴しながら、手際よく皿を膳に並べ、座したまま呆けている俺の前へとそれを運ぶ。
「でも、いいのよ、それでも」
 柔らかく笑う、そこに偽りはないように見えた。それでも、俺はそんな彼女が心許なくなる。将来、どうしようとひとりでは困ることもあるだろう。
「怖い顔しないで、小十郎。冷めないうちに食べましょう」
「ああ、」
 苦笑ぎみに促され、汁物から手をつける。しばらく見ないうちに、料理も上達したらしい。

 帰郷したのに生家に寄らないのもどうかと思い、翌日、己が生まれた神社に寄ってから米沢へと戻った。一晩で帰ってきた俺を見て、開口一番、政宗様は盛大な溜め息をついてみせた。
「おい。オレは『しばらく』暇をやると云ったはずだが」
「この通り、十二分にいただきました」
「……まあいい。で、どうだった」
「はあ、まあ、久方ぶりの帰郷もよいものにございますな」
「そうじゃねえだろ! 文を寄越した女はどうしたかって訊いてんだ!」
 急に声を大きくした政宗様に、俺は内心で首を捻った。どうやら相当機嫌が悪いと見えるが、それはともかく、なにゆえ政宗様が名前を気にすることがあるのだろうか。
 疑問に思えど、しかしこれ以上臍を曲げられても敵わないので簡単に話すことにした。
「母君を亡くして少々落ち込んだ様子でした。なれども、想い人が迎えに来るのを待っているなどと云って、一向にいずこへも嫁に入る気がないくらいには息災でありましたな」
「……おい、小十郎」
「なにか」
「まさか、そんな空言にクソ真面目に頷いて、女ひとり残してさっさと帰ってきたわけじゃあねえだろうな」
「残すもなにも、待ち人が居るなら仕方ありますまい」
「Unbelievable! 信じらんねえ!」
 政宗様が左目をこれでもかと見開いて俺を見る。
「他でもねえ待ち人自身がのこのこ戻ってきてどうすんだ! もう一度行ってその名前とやらを連れて帰ってこい!」
 それまで城の敷居は跨がせないだの祝言の準備はしておいてやるだの云々と、常ならぬ勢いで捲し立てられてようやく理解する。名前は、他の誰でもなくこの俺を待っていたというのだろうか。
「わかったならさっさと行ってこい、小十郎!」
「……はっ」
 文も、簪も、戯れのような科白も、すべて彼女の、ともすれば臆病とさえ云える意思表示だったのだ。素直でないそれらに気づくと同時に、俺のなかにある彼女を心許なく思う気持ちが幼馴染みだからというだけではないことを知る。
 行き遅れた者同士、夫婦になるのも悪くはないのかもしれない。その暁には新しい簪でも贈ってやろうと決めて、俺はふたたび馬に飛び乗った。




待チ人、参ル。
御題:音和さま
桜、簪、故郷

2013.05.12
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