ヴー、ヴー、と低い音が鞄の中から聞こえてきた。手にしていたジュースを置いて、音の根源である携帯端末を取り出す。ちょっとごめんね、と前に座る元就くんに断ってから通話ボタンを押せば、バイブレーションが停止する。
「もしもし」
 常套句を口にすると、よお、と気さくな声が返ってきた。電話の相手は元親くんだ。
 どうやら大した用事はないらしく、家康くんと三成くんが喧嘩をしているだとか、それに慶次くんが巻き込まれただとか、他愛のないことを楽しそうに話す。常ならばわたしも喜んで聴き役になるのだけれど、あいにくと、いまはそうもいかない。
「ごめんね、いま人といっしょなんだ」
 謝るわたしに、元親くんが気を悪くすることはない。そうか、邪魔して悪かったな、なんて悪戯っぽく笑う彼に、またあとでね、と告げて通話を切った。
「貴様、男でもできたか」
 わたしが端末を鞄に仕舞い終えるのを見てから、元就くんが口を開いた。思いもよらない問いかけに元就くんの顔を見ると、冷めた目としっかり視線が合った。
「できてない、けど」
「ならばよい」
 答えを聴くとすぐ、彼は手元のアップルパイに手をつける。わたしもジュースのストローに口をつけようとして、けれど沸き出した疑問に、ふたたびそれをテーブルの上に落ち着けた。
「どうして、そんなこと訊いたの?」
 元就くんはアップルパイを飲み込むと、さして興味も無さそうに目線を窓の外へやった。
「男ができれば、こうも常々、我の傍には居られまい」
 どきりとする。それは、つまり。
「……常々、傍に居てほしい、って、こと?」
「左様。貴様が我の傍に居ると、都合がよい」
「都合が」
「ほかの女どもに云い寄られなくて済む」
「ああ、なるほど……」
 そういうことね、と納得して、ちょっとでも喜んでしまった自分に恥ずかしくなる。そうだった、こういうひとだった、元就くんは。
 幼い頃から家が近所で、いまでもこんなふうにいっしょに帰ったり、寄り道をしたりするけれど、いつだってわたしの気持ちだけが一方通行。元就くんはきっとこんな帰り道だって、なんとも思ってはいないのだ。ただ、ほかの女の子たちが勝手に勘違いをしてくれるから、手軽な女避けとして傍に置いているに過ぎないのだろう。
 けれども、それでもいいかな、と思ってしまうわたしが居た。恋人になりたい、彼女にして欲しい、なんて云ったら、元就くんはわたしを鬱陶しがるに違いないけれど、幼馴染みとしてなら隣に居ることを許してくれる。だったら、このままで構わない。元就くんがほかの誰の者にもならないなら、それでいい。
 でも、それはつまり、こういうことだ。
「それなら、元就くんがいつか、ずっといっしょに居たいって思えるひとに出逢ったら、わたしはもう、要らなくなっちゃうね」
 ことばにすると、それはひどく寂しい響きをしていた。わたしは俯いてしまって、もう元就くんの顔を見ることができない。
「阿呆め」
 溜め息が零された。
「ついてくるなと云ってもついてくるのが貴様であろう」
「元就くん、」
「忘れたとは云わせぬぞ」
 恐る恐るながらも顔を上げれば、元就くんはほとんど睨むようにわたしを見ていた。瞬間、脳裏につたない声が再生される。
 元就くんがだめって云ったって、わたしずっと離れないからね!
 それは、まだ身もこころも幼かった頃のわたしが云い放ったことば。いまと変わらず冷たかった元就くんに、我に構うな、つきまとうな、と邪険にされてムキになったのだ。
 それからというもの、元就くんは半ば諦めたのか、わたしがつき纏ってもなにも云わなくなった。その代わり、話しかけてもまるで無視。むしろその場にわたしなど居ないかのように振る舞った。
 それがいつからだろう、こんなふうに話してくれるようになったのは。いつの間にか、それが当たり前になっていて、以前はそうではなかったことをすっかり忘れてしまっていた。
「なにを呆けておる」
「う、ううん……そういえば、そんなこともあったな、と思って」
 曖昧に誤魔化す声は、小さくなってしまった。そんなわたしに呆れてか、元就くんは切れ長の目をすいと流すと席を立ってしまう。
「行くぞ、名前」
「えっ、」
「いつまでも間抜け面を晒すでないわ。それとも、あれだけ息巻いておきながら、貴様の布告など虚言に過ぎなかったのか」
 どこか落胆を滲ませて、彼の背中は店の出口へと向かっていく。
 そんなはずはない。虚言だなんて、それこそ戯れ言だ。あの頃のわたしのことばは、未だこの胸に息づいている。行かないで、この手を振り払わないで。いや、振り払われたとしても。
「は、離れないよ!」
 席を立って、その後ろ姿を追いかける。
「たとえ元就くんに好きな子ができたって、わたし、ぜったい離れない」
「それでよい」
 立ち止まったうえ、振り返ってくれた元就くんに、わたしは無性にうれしくなって、いつもなら一歩後ろを歩くところを、いまだけは隣に並んでみた。
 いつか、それが許されなくなる日が来ても、わたしは元就くんの傍に居ることを諦めない。きっと、どうしたって諦められないだろう。




正しい隣人の使い方
御題:未黎さま
現代設定、幼馴染み、甘い、もしくは切ない

2013.04.18
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