法螺貝の音色が空を裂く。兵士たちの怒号に、馬の響みに、大地が震える。
「幸村様の、お役に立つのだ」
 土の混じった血を吐き出した。犬死になどするものか。こんなところで、真田を終わらせてなるものか。徳川になど、屈しない。
「私が、幸村様を、」
 守るのだ。そのために死ぬ必要があるというのなら、それこそが本望だ。けれども、いまはまだ、その時ではない。
「そなた、酷い怪我ではないか!」
 神社のなか、木陰を求めて這う私を、紅い腕が抱き起こした。視界が霞んで表情は定かではなかったが、心配そうな声は他ならぬ幸村様のものだった。
 幸村様は、額当てをほどくと、私の、特に出血の酷い右上腿をきつく縛る。もうほとんど感覚がないというのに、そこだけが異様に熱かった。
「なにを、しているので……」
「止血だ」
「そんな、おやめください、幸村様」
「そなたも、休むためにここまで来たのであろう。安心してよい。いまは真田の者しかおらぬ」
 松の木の、青々とした葉から陽のひかりが零れていた。幸村様の微笑みが眩しくて、私は目を細める。
「そなた、名はなんと申す」
「名前……と」
「名前、そなたの勇姿、この幸村、決して忘れはせぬぞ」
 なんて、しあわせなことだろう。幸村様が、私などに手を差し伸べてくださった。笑みを浮かべ、名を訊いてくださった。
「……幸村、様」
「もう、なにも云わずともよい」
「私は、果報者で……ございました」
「生きて還らねばならぬぞ。されば、褒美をとらすゆえ」
 ふいに、視界に影が差した。太陽が隠れたのだろうか。そう思い、目を閉じる。つん、と濃い血のにおいが鼻を突いた。
 いや、違う。これは。
「幸村様……っ!」
 目を見開く。悲鳴は声にならなかった。後ろを振り向く幸村様へ、抗う間もなく、一閃。鋭い刃が走る。
 世界が紅く染まった。
 真田幸村、討ち取ったり。高らかに宣言する声が、ひどく遠くで響いたような気がした。

 幼い頃からよくみる夢だ。これはきっと、罰なのだろう。幸村様を守れなかった、それどころか、敵へ背を向けさせてしまった、私への。幾つ魂が廻ろうとも決して赦されることのない、咎めなのだ。
 アンタは生きろよ。
 幸村様が誰よりも誇った懐刀は、最期、私にそう云った。
 旦那が、自分を捨ててまで救った命なんだ。莫迦なことは考えるなよ。
 そう、強く釘を刺したのだ。
 
 重い身体を起こす。きょうは高校の入学式だ。遠い高校を選んだから、知っているひとは誰もいない。私はそこで、ただただ静かに、これからの三年間を終えるつもりでいた。
 新しい制服に袖を通して、家を出て、駅へ向かう。まだ使い慣れない線の電車に揺られる。数回の乗り換えを経て、最後の電車。小さなローカル線は人影が疎らで、その車両にはちょうど誰も乗っていなかった。
 途中。そんな、がらんどうの車両に、見憶えのある少年が乗り込んできた。
 目と目が合う。思わず、叫び出しそうになった。
 私は、まだ赦されていない。
「そなた、」
 もう何度も夢のなかで、前の世で、聴いた声だ。そのたびに私は逃げてきた。何度も何度も廻り合って、そのたびに、恐ろしくて苦しくて、逃げ出してきたのだ。
「名前、だな」
 名を呼ばれた瞬間に感じたのは、夢のときのような喜びではなく、たしかな絶望だった。彼は、記憶しつづけている。いくつ魂が廻ろうと、自分を死に追いやった私を、決して忘れてはくれない。
 電車の扉が閉まる。反射的に立ち上がり、後退るも逃げ場はない。目の前の彼が同じ高校の制服を着ていることにも、眩暈がした。
「ごっ、ごめん、なさい……」
 情けなく震える声が謝罪を紡いだ。彼は苦々しげに眉を寄せながら、こちらへ近づいてくる。
「ごめんなさい、幸村様、」
「名前」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ」
「もうよい、名前」
 腕を掴まれ、引き寄せられる。そのまま背中に回された手が、あまりにもやさしくて、これは嘘だと、なにかの間違いだと、混乱した頭のなかで叫んでいた。
「もう、よいのだ」
 喉の奥から絞り出したような声が降ってくる。
「な、なにも、いいはずが、ありません」
「なれば、誰がそなたを責めたというのだ」
「……けれど、幸村様は、憶えています」
 魂が幾たび廻って生まれ変わろうと、私の罪が消えないように。幸村様もまた、あの瞬間の景色を失うことなど、ないではないか。
「なにを、当たり前のことを」
 幸村様は小さく笑って、私をその腕で包み込むように、けれども強く抱き締める。
「云うたではないか。そなたの勇姿、この幸村、決して忘れはせぬ、と」
「それは……」
「ほかの世にて出逢うたび、苦しんでいるそなたに伝えたかった。俺は、名前を赦す以前に、最初から憎んでなど、おらぬのだと」
 それを聞いた刹那、自分のなかで長いあいだ閉じ込めていた様々なものが音を立てて決壊していくのがわかった。意思とは無関係に涙がとめどなく溢れてくる。
「た、たとえ、幸村様が赦しても、私が、私を赦せないのです」
「自分を責める必要などないのだ。それでは、名前も、俺も、このままいつまでも同じことを繰り返す」
「しかし、」
「不条理な輪廻は、ここで終わりにせぬか」
 あやすように背中を擦ってくれる手が、あの頃となにひとつ変わらずに強くて、痛々しくて、私は大切なひととはぐれてしまった子どもみたいに、わあわあと泣いた。
 このひとは、生まれ変わって、なおも私に手を差し伸べてくれたのだ。終わりのない環状線をともに辿って、そこから救い出してくれると、そう云うのだ。
「ゆくぞ、名前。終点だ」
 甲高い摩擦音を上げて列車が停止する。扉が左右にゆっくりと開く。私はうなずいて、手を引かれるがまま、彼とともに終着駅へと降り立った。




遠い夏が還るまで
御題:まーこさま
大阪夏の陣、シリアス、転生

2013.03.27
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テーマ「人外ファンタジー」
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