イヤホンから流れる曲は、静かな恋の歌。大学の帰り道、手中にある1枚のCDを眺めた。ふと浮かんだのは持ち主の佐助くんではなくて、何故かその同居人の男の子。

数日前、彼が駅まで送り届けてくれた時のことを思い出す。何を話したか、正直あまり憶えていない。ただ私も彼も緊張していた。

変わったことと云えば携帯のアドレス帳のサ行にひとり、真田幸村と名前が追加されたことくらいだ。

メールは最初の2通目で返信が来なくなってしまったけれど。


駅に到着して、改札を通ったところで立ち止まった。帰る方向とは逆側のホームに目を移す。こっちの電車に乗れば、その6つ目が幸村くんの家の最寄駅だ。

「どうした、名前?」

聴き慣れた声にイヤホンを外して振り向けば、金髪の美少女が立っていた。彼女は嫌がるけど、佐助くんがちょっかい出したくなるのも判る気がする。

「かすが」
「大丈夫か? ぼうっとして」
「うん、平気」

何でもないのと笑えば、かすがの心配そうな表情も和らいだ。本当、どんな表情も様になる。

「じゃあな、気を付けて帰れよ」
「あ、待ってかすが!」
「なんだ?」

迷っていたけれど、やっぱりCDを返しに行こう。かすがが来てくれたから近くまで一緒に行ける。

呼び止めたかすがにその主旨を伝えると、綺麗な形の眉が歪んで、眉間に皺を作った。

「構わないが……、また行くのか?」
「うん。もう1枚CD貸してくれたから。佐助くん暫く講義ないから、暇な時にまた返しに来てって」
「あいつ……下心が丸見えだぞ!」
「何云ってるの、かすが」

怒りを露にするかすがに、私は首を傾げる。私に対しての佐助くんに、そんなものがあるはずが無い。だって、佐助くんは。

「佐助くんが好きなのは、かすがだよ?」
「は?」
「え?」

かすがの動きが止まる。私の動きもそれに伴い止まってしまった。あれ、云ったらまずかったかな。一瞬考えるも、当たり前じゃないかと数秒前の自分を呪った。

云われるなら本人から聞きたかっただろうし、佐助くんだって自分で云いたかっただろう。

私は何てことを口走ってしまったのか。

「……今、何て云った?」
「ななな何でもない! 行こうかすが日が暮れちゃうよ!」
「いや、まだ昼時だが……」

これ以上追求されてしまわないよう、無理やりかすがの腕をひっぱり、ホームへと降りた。丁度良く停車した電車に乗り込み、掴んでいた腕を離す。

かすがの表情は不服そうではあったけれど、あまり深く考えてもいないようだった。


彼女の地元は、佐助くんの地元でもある。同じ駅で降りれば淡く散り逝く桜並木が広がった。この前来た時よりもだいぶ散ってしまったらしく、枝に咲く花は半分くらいに減っていた。

桜色が敷き詰められたアスファルトを歩く。

「じゃあ、私はこっちだから」
「あ、うん。バイバイ」
「また明日な。気を付けろよ」

何に、と訊くよりも先にかすがは背を向けて歩き出してしまった。遠ざかる金色は桜色によく映える。

さて、私も急ごう。そう思い、止めていた足を進行方向に向けた。

刹那、鮮烈な紅が風を切って私のすぐ横を通り過ぎた。はっとして、顔を上げる。桜の花弁が視界の端で舞い上がった。

紅い自転車は、数メートル行ったところでキッと高い音を鳴らして停止した。

「名前殿!」

焦げ茶色の髪を靡かせて振り向いたのは、一度会ったことがあるだけの男の子。何故だかそれはとても、非現実的なもののように思えた。この数日間、事在るごとに私の脳裏に浮かんでは、微笑みかけてくるものだから。

「幸村くん」
「如何なされたのだ、こんなところで」
「丁度、幸村くんの家に向かっていたところだよ」
「なんと……! 某も今帰るところに御座りますれば」

偶然に御座りますな! と嬉しそうに笑う幸村くんは、確かに部活か何かの帰りなのだろう。学校指定と思われるジャージ姿は新鮮に感じられた。

「しかし、もうCDを返しに来られたので?」
「うん。あまり長く借りていても、迷惑だろうから」

好きな音楽を、聴きたい時に聴けないなんて苦痛だ。もの凄く煙草を吸いたい時に、手にした箱が空だった時の喫煙者の気持ちが判る。少なくとも、私には耐え難い。

その人が好きならば音楽だって麻薬に成りうる、と私は思う。

「幸村くんは部活?」
「如何にも。サッカー部に所属している故」
「サッカー部かあ」

青春、って感じ。何の気なしに溢したことばに、幸村くんはそうでも御座らぬ、と笑った。その笑顔にほんの数秒、私はこころを奪われた。

「して、名前殿はどのような音楽を聴きかれるのでしょうか」
「佐助くんと似たようなのだよ。気が合うんだ」
「左様で、」

一転して幸村くんの表情は苦々しげなものに変わる。その横顔に、きっと彼はあまり音楽をたしなまないか、もしくは佐助くんの聴く音楽が好みじゃないかの、どちらかなのだろうと思った。

「聴く?」

私はmp3プレイヤーをポケットから取り出した。イヤホンを片方だけ差し出す。もう片方は私の耳に。幸村くんは驚いたのか大きな目をぱちくりさせながら、私の手からイヤホンを受け取った。

幸村くんが耳にイヤホンを入れたのを確認してから、再生ボタンを押した。流れたのは、私の大好きな春の恋の歌。


隣を見上げる。自転車を手で押しながら歩くその目は、少し伏せられていて、長い睫毛が影を作っていた。それがどこか切なげで、とても綺麗だと思う。イヤホンのせいか自然と近くなる距離に自分の体温が上がるのを感じた。

「……素敵な曲に御座りますな」
「うん、大好きなんだ」

幸村くんは伏せていた、髪と同じ色の瞳を私に向けて優しく微笑む。自分の好きなものを好きだと云って貰えるのは凄く嬉しい。

ふいにトン、と私の手が幸村くんの手に、僅かに触れた。一瞬だけ感じたその熱さに驚いて、飛び上がる。彼の広い肩もまた、大袈裟なくらいに大きく跳ねた。

「もっもも申し訳御座らん!」
「う、ううんっ」

耳まで真っ赤にして謝る幸村くんは本当に初心だ。私はもっともっと色んな幸村くんが知りたい、見たい。そう思った。

「う……あ、あの、名前殿っ」
「なに?」

名前を呼ぶその視線はゆらゆらと定まらないが、やがて意を決したのか私を真っ直ぐと見据える。

「手を、繋いでも宜しいでしょうか」

その瞳は真剣そのもので。断れるはずもなく、断る理由もなく。ただ、今、声を出したら絶対に震えてしまうから、頷くだけに留まった。

きゅ、と遠慮がちに、しかし確かに繋がれた手はやっぱり熱くて。

恋の歌は未だ片耳で流れ続けている。5分にも満たないその時間が、永遠にも感じられた。





四分三十秒



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