ひらりひらり、淡い花弁が青空に舞う。佐助くんに借りていたCDを返しに、彼の住む街にいくつか電車を乗り継いでやって来た。改札をくぐると出迎えてくれたのは長い桜並木。満開に咲いたそれは、私の心をいとも簡単に虜にする。

佐助くんのお気に入りだというアルバムは、もう2週間も私の手にある。講義が重ならなかったり、元より休日が多かったりで、全く顔を合わせることがなかったのだ。わざわざ彼の自宅までこうして訪ねる理由は、流石に半月以上もお気に入りのそれを借りたままなのは申し訳ないからに他ならない。

好きな時に好きな音楽を聴けないのは、それはもうきっと膨大なストレスに違いないのだから。


佐助くん家の住所は、彼の幼馴染みだという友達のかすがから訊いたのだけれど。私は彼女の書いてくれたメモと、現在地を見比べて首を傾げざるを得なかった。てっきり佐助くんはひとり暮らしなのだと思っていたのだ。眼前の表札に彫られた文字は「猿飛」では無く「武田」だった。

本当にここで合ってるのかな? もし、万が一この扉から見ず知らずの人間が出て来たら私は頭を下げて謝るなり此処から逃げ出してしまいそうだ。その時はかすがに、文句のひとつでも云ってあげよう。

インターホンのボタンに指を添える。深呼吸してから軽く押し込んだ。ピンポーン、という機会音が、弱く私の鼓膜を震わせる。なんだか緊張してきた。どくどくと平常より少し早く心臓が脈打つ。

鍵を開ける音に次いで、ノブを回す音が扉越しに聴こえた。ちょ、ちょっと待って。普通、最初はインターホン越しに「どちら様ですか?」みたいな会話があると思うのだけれど……。

「佐助! 随分早かっ、た……な?」

全く準備の出来ていなかった私の心臓は、文字通り大きく飛び跳ねた。ばくばくと鳴り続けるそれは、たぶん今までの倍くらい。

出てきたのはなんと、上半身裸の男の子。シャワーでも浴びていたのか、焦げ茶色の髪は濡れたままで、首にはタオルが掛かっている。少し大きめのジーンズからは赤いトランクスがちらりと覗いていて、引き締まった腹筋と相成って、それはもう目のやり場に困ってしまう。

「……えっ、と」
「しっ、ししし失礼致した……!!」

視線を彷徨わせながら、どうしようかとしどろもどろにことばを発せば、今まで固まっていた男の子は我に返ったのか、顔を真っ赤にしてそのまま扉を閉めて引っ込んでしまった。どうしよう。またインターホン押せば出てきてくれるかな、と再びボタンに指を添えたところで、また勢い良く扉が開いた。視界に赤が飛び込む。どうやらTシャツを着て来たらしい。

「も、申し訳御座らんっ! その……もしや佐助のご友人であろうか?」
「まあ、多分そんな感じです……」
「佐助はまだ帰って来ていない故、上がって待っていて下され」
「あ、ありがとうございます。お邪魔します」

どうぞ、と扉を開けたまま私を促すその顔はまだほんのりと赤い。Tシャツもトランクスも顔も真っ赤っか。わりと落ち着いた色を好む佐助くんとは、正反対だ。

「あの、」
「な、何で御座ろう」
「きみは、佐助くんの弟さん……ですか?」

奥の部屋へと進む後姿に問いかけた。ぴくりと小さく跳ねた肩といっしょに、濡れたままの長い髪がはらりと揺れる。自信はなかったけれど、私や佐助くんよりは確実に年下だと思った。

「あぁ……いや、違うのだ。某と佐助はただの同居人に御座る」
「あ、そうなんですか」
「申し遅れました。某、真田幸村と申しまする」
「えっ、あ、苗字名前です」

突然名を告げられて慌てて私もぺこり、と頭を下げる。

「今お茶をお持ちします故、その辺に掛けて楽にして下され」
「いえ、お気遣いなく……!」

通されたのは広いリビング。彼のそのことばに甘えて4、5人掛けの大きなソファに、腰を下ろした。ふかふかと弾力のあるそれに、私の身体が少し沈む。ここから見ることの出来る綺麗なキッチンから、真田くんがグラスを両手に持って戻って来た。どうぞ、とテーブルにグラスを置いたその手が、少し震えていたように見えたのは気のせいじゃないと思う。

「佐助は多分、あと2時間もせぬ内に帰ってくると思いまする」
「そうですか」
「苗字殿が佐助と同じ歳ならば某は年下故、敬語でなくとも構いませぬ」
「真田くん、何歳?」
「じゅっ……17に御座ります」
「……若いねえ」

グラスを傾けて緑茶を流し込む。それにしても不思議な家庭だ。表札は「武田」、同居人は「真田」、だけど佐助くんは「猿飛」だ。一体どうなっているのだろう。訊いても失礼じゃないかな。

「ひとつ質問してもいい?」
「は……どうぞ」
「佐助くんと一緒に住んでるんだよね?」
「はい」

何故そんなことを訊くのだろうか、とでも云うように、真田くんは首を傾げた。

「血が繋がっているわけではないの?」
「そういうわけでは……」
「じゃあ、『武田』さん……って方は?」
「お館様は某と佐助を養って下さっているお方に御座ります」

へえ、ちょっと複雑な家庭なのかな。「お館様」というのは多分、「武田」さんのことなのだろう。向かいのソファに座る真田くんはさっきからずっと下を向いている。ぎゅ、と握った拳を膝の上に乗っけて。

「あともうひとついい?」
「ど、どうぞ……」
「どこか気分でも、悪いの?」
「っ!? い、いや……!」
「でも、」
「その……っ、某、女子を家に上げるのは初めてでっ、き、緊張しているのだ……」

かっ、可愛い……! 俯き気味の顔は耳まで真っ赤で、泳ぐ大きな瞳は心なしか潤んで見える。こんなに綺麗な顔をしているのに女の子慣れしていないとは、なんて純粋なのだろう。そんなところも佐助くんとは正反対だ。

「私も、男の子の家上がったの初めてだよ」

へらりと笑って云えば、彼の顔は更に赤みを増した。





桜の降る街

- 1 -

×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -