大学の講義は、彼には少しばかり退屈なのではと思っていたのだけれど、そんな心配は必要なかったらしい。

教授の話を聞いている幸村は、すこぶる楽しそうだった。と云っても、にこにこしているというわけではなく、至って真剣な目をしていた。その目の内に好奇心とか冒険心みたいなものをいっぱいに詰めて。私まで何だか嬉しくなる。



「楽しかった?」
「うむ、……某には解らぬことばも多かったが」
「訊いてくれたら良かったのに」

彼は生前、何事にも熱心に取り組む真面目な人だったのだろう。勉強でも、剣術でも(真田幸村は剣ではなく槍だったか)。とにかく、それは今この瞬間も全く変わらなくて、とても不思議に思えた。

「し、しかし……」
「うん?」
「名前殿の邪魔はしないと約束をしたであろう」
「ああ。それは、叫ばれたりしたらあれだけど、そのくらいは大丈夫」
「そ、そうであったか!」

ぱああ、と幸村の顔が明るくなる。本当、わかりやすい。

「では早速、訊いてみたいことが山程有るのだか」
「なんなりと」
「そっそれでは、あのお話をしていた御仁はどなたであろうか! あんなにも物、知り、な……」

そこからか、と苦笑しつつも尻すぼみに消えていく幸村のことばに不自然さを覚えた。歩みを止めて振り向くと、やはり幸村は付いてきていない。それどころか彼の視線は私を通り越し、何かをじっと見つめている。どうしたというのか。

「ゆき、っ」
「名前ちゃんじゃん」

急いで手で口を抑えた。この状況は他人から見たら空を見つめて、独り言を喋っている変な子にしか見えない。危ない危ないと今だ固まったままの幸村から、仕方なく視線を外し、前を向く。

「さ、さるとびくん……」
「あれ、誰かと話してた?」
「な、なんでもない、ちょっと虫が……」

きょろきょろと視線を動かし、いるわけもない(正確に云うと見えるはずもない)私の話相手を探している猿飛くんに、云い訳をする。ちょっと無理があっただろうか。

「へー、そう」

にっこり笑った顔はどこか胡散臭い。私は内心ぎくりと心臓を鳴らした。私がときどき猿飛くんは人のこころが読めるんじゃないか、と思う理由のひとつがこれだ。人のことを見透かしたような笑顔。でも、どこか掴めない飄々とした彼の雰囲気はちょっと好きだったりする。

「猿飛く、」
「さ、すけ……」

あまりに小さく、それこそ虫が鳴くような声で幸村が呟いた。予期せぬことに、その後に続くはずだったことばを飲み込んでしまった。何て云おうとしたんだっけ。それより、さすけ? 猿飛佐助。……まさか。

「さっ、佐助!!」

叫んで、文字通り飛びついた。そんな幸村に私はただ唖然とするのみで。

「へ? なに、どうしたの名前ちゃん」
「あ、え、……と」

いけない、不審がられている。でも、ことばが出なかった。幸村の叫んだその声があまりに切なくて。痛くて、哀しくて。まるで幸村の、猿飛くんへの想いがそのまま私に流れ込んでくるみたいに。

「佐助、佐助……っ」

その声は猿飛くんには届かない。それでも幸村は猿飛くんに、すがりつくのだ。泣きながら、云うのだ。

「お前は、今までどこにおったのだ……! 俺はっ、俺は……!」


──最期まで佐助と居たかったというのに。


気付いた時には私の視界はもうぼやけ始めていて、ひとつ瞬きしたら涙がぽろりと、頬を伝って零れた。

「ちょ、え!? 名前ちゃん!?」
「う、あ……ごめ」
「え、なになに! 俺様なんかした?」

口元を押さえて、ふるふると首を横に振る。意味を成さない声だけが漏れる。このままでは猿飛くんを困らせてしまう。幸村も私が泣いていることに気付いたのか、猿飛くんから離れて戸惑いの色を含んだ目で私を見た。

「名前殿、も、申し訳御座らん…」

どうして謝るの。謝らないで、幸村。一番辛いのは、きみでしょう?

「おい猿飛、女泣かせてんなよ」
「ばっ……! 違うって!」

呆れたような、冷やかすかのようなその声は猿飛くんの友達のものだろうか。自分のすすり泣く音が頭の中で反響して、猿飛くんの慌てる声が遠くに聞こえた。

「取り敢えずどっか行こう名前ちゃん」

猿飛くんに腕を捕まれる。恥ずかしい。それほど親しいわけでもない男の子の前で、いきなり泣き出してしまうなんて。

「名前殿、泣かないで下され……」

幸村はさっきよりか幾分落ち着いているようだった。私を案じてくれているらしい。幸村が嬉しいと、私も嬉しくなる。幸村が哀しいと、私も哀しくなる。同じように穏やかになってきたこころで思った。

私たちは繋がってるんだから。憑依されてるんだから、考えてみれば当たり前のことだったのかもしれない。



座って、と白い椅子に促された。手を引いて連れてこられたのは大学の食堂。もう夕方ということもあって、人は少ない。

「で、何でいきなり泣いたりしたの」
「……」

私の隣でそわそわと落ち着かない紅を尻目に、これをどう説明しようかと考える。

「あのねえ、いくら俺様だって云ってくれなきゃ判んないでしょ」

猿飛くんは溜め息を吐いた。良かった、と私は内心ほっとする。別に猿飛くん、人の心が読めるわけじゃなかったんだ。安心した。……じゃなくて、

「ごめんね」
「へ?」
「いきなり、泣いたりして」

迷惑だったでしょう? そう苦笑気味に問えば、猿飛くんは少し気まずそうに視線を逸らす。

「でも、なんて説明したら良いのかな」
「……佐助は」

幸村が何か云おうとしたけれど、私はそれを遮って、変わりに伝えてあげることにした。

「猿飛くんは、前世を覚えてる?」
「は?」

続きを遮られた幸村も、視線を逸らしたままだった猿飛くんも、豆鉄砲でも食らったかのような表情で私を見た。でも理由はそれぞれ。幸村は、何故自分の云おうとしたことが判ったのか、って顔。猿飛くんは、いきなり何云ってんの、って顔。

「もしくは、前世を信じる?」
「……忝い、名前殿」

幸村が静かに零した。

「はは、どうしたの急に」
「はぐらかさないで」

対して、誤魔化すように軽く笑ってあしらう猿飛くんに、私は少し口調を強める。幸村が切なそうに眉を顰めた。そんな顔しないで。私まで苦しくなる。

「覚えてるわけないでしょ」

それはごく当たり前の返答だった。この世に前世の記憶を持ったまま生み落とされる者がどれだけいるのかなんて判らないけれど、少なくとも私の周りの人間には居ない。そして彼も、自分自身も。

「佐助はもう、前へ進んでいるのだな」

小さく呟かれた声は、しかし私にしか聞こえない。

「俺は、嬉しいぞ佐助。忍だった佐助が戦国の世に囚われることなく、誰に縛られることもなく、ひとりの人間として幸せに生きている。それが何より、嬉しい」

気を抜くとまた涙が零れてしまいそうで、私は天井を仰いだ。

「そうだよね。覚えてるわけ、ないよね」
「でも、」
「……うん?」
「覚えてなくてもさ、前世はあると思うよ。俺様は」
「そっか」
「うん」

少し嬉しくなった。猿飛くんが前世を信じていてくれるなら、幸村の中の猿飛くんは存在していられる。きっと、それだけで充分だ。

「で、それがいきなり泣き出したことと何か関係あるわけ?」

呆れたような猿飛くんの口調に、そうだった、と先程の失態を思い出してこころの中で赤面した。

「猿飛くんの前世に、想いを馳せていたのです」

ロマンチックでしょう? と微笑を零す。あながち嘘ではないと思うのだ。幸村は隣でろまんちっく? と疑問符を頭に浮かべているし、猿飛くんはもはや呆れを通り越して、諦めたような目で私を見ている。

「なんか今日1日で名前ちゃんの印象変わったなー……」
「私は元からこんなんだよ」
「あのさ、明後日の講義は確か午後からだったよね」
「そうだね」
「一緒にランチしない?」
「……」

この流れでどうしてこうなるのか、私はたいそう怪訝な顔をしていることだろう。やっぱり、猿飛くんは掴めない。

「いいでしょ。是非聞かせて欲しいな、名前ちゃんの『前世論』」
「……いいでしょう」

憎たらしく笑う顔をめいっぱい睨みつけた。隣でひとり、くすくすと笑う声はやはり私にしか聞こえないようだ。




ぽろり、零れ落つ。

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