キッチン、お風呂、トイレ、リビング。私ひとりで住んでいるこの部屋はそう広くない。一体、彼はどこへ行ったのやら。押入れや箪笥の中も見てみるが、さすがに居るわけがない。なにこれ、かくれんぼ?

「真田くーん」

その名前を呼びながら、最後にもう一度自分の部屋を確認するも、やはりその姿はない。仕方なくリビングへ戻り、シャッと閉じられていたカーテンを開けた。朝の陽のひかりが一気に部屋へと差し込む。

「あ、」
「名前殿!」

居た。

「どこに行ったのかと」
「外の空気を吸っていたのだ」

ベランダに出ていた真田くんは窓を開けることもせず、そのままリビングへと上がりこんで来た。それが当然だとでも云うように堂々と。

「幽霊、息吸えるの?」
「そう云われるとよく判らぬな」
「空気おいしかった?」
「どうだろうか」

某は呼吸をしていないのかも知れぬ。云って、自分でその事実に驚いているようだ。どこまでも可笑しな幽霊である。

「朝ご飯、トーストで良いよね」
「とーすと……? いや、それ以前に某、食事は不要なのだが」

食パンを2枚、オーブンに放り込んだ私を慌てて真田くんが制した。

「いいの。私がそうしたいだけだから」
「し、しかし……」
「適当に座って、待ってて」

諦めたように真田くんはテーブルのそばに腰かけた。リビングからキッチンは丸見えだ。パンが焼けるのを待つ間も、焼けたパンにジャムを塗る間も、ずっと背後から射抜くような視線が感じられた。なんだか、緊張してしまう。

チーン、と可愛らしい音とともに焼き上がったトーストは見るからに焼けすぎている。普段ふたり分なんて焼かないから、焼き時間の加減が判らなかったのだ。

「ごめん、焦げた」

こんがりとした焦げ茶色のパンを差し出す。苦し紛れに塗った真っ赤な苺ジャムがよく映えていた。真田くんと同じ色だ。

がりり、自分のトーストを口に入れれば、甘酸っぱい赤が口内で弾けると同時に、焦げたせいでほろ苦くもあった。目の前に座る青年は、手の付けられないトーストをどうしたものかと、悩んでいるようだった。

「別に、食べられないなら良いんだよ」

焦げてるし。と、声をかけると、ばっと悩ましげな顔が上がる。

「しかし……勿体無いで御座ろう」
こんなにも美味そうなのに。ポツリと零れたそれは彼の本音らしかった。焦げてるのに。でも食べられなくて一番辛いのは彼だということを今更になり思う。少し、意地が悪かっただろうか。

「それに、せっかく作ってくれた名前殿にも悪い」
「でも、どうすることもできないでしょう」
「……う」
「いいの。ひとりで食べるよりも、形だけでもいっしょに食べてくれるほうが気が楽だから」
「そういうものなので御座ろうか」
「そういうものなのでござるよ」

わざとふざけて真田くんの口調を真似てみた。本人は特に気にした風でもなく、妙に納得したような表情をしていた。さっきから思っていることだが、彼は表情が多彩だ。見ていて飽きない。

「真田くん」
「何で御座ろう、名前殿」

ここでふと違和感を覚えた。真田くん。いかがした、名前殿? ……さなだ、くん。ど、どうしたというのだ、名前殿。

ああ、わかった。

「名前で呼んでも、いいかな」

真田くんが私を名前呼びにしているのに対して、私は彼のことを「真田くん」なんて苗字で呼んでいるから、なんとなく違和感があったのだ。名前のほうが親しい感じもする。彼もそう思っていたのか、期待を込めた目で私を見た。

「ぜ、是非幸村と呼んで下され……!」

トーストの最後のひとかけらを飲み下す。

「幸村」

口の中には苦味だけが残っていて、やっぱり焼き直すべきだったと今になって後悔する。

「はい」

その名を持つ彼は嬉しそうに笑った。

「……なんか、苗字も名前も、あんまり変わらないね」
「なっ……!」
「幸村って、名前らしくないから」
「し、しかし、某にとっては大きな変化になりますぞ!」
「そっか」

そうだね。

「じゃあ、良い子でお留守番しててね」
「え?」
「これから大学行くから」

歯を磨いて、顔を洗って、髪の毛を梳かして。鞄を持ったら準備完了だ。きょとん、と私を見上げる彼に、行ってきますとひと言残して家を出た。今日の講義は午前中のみだ。




がりり、ほろ苦い。

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