苗字名前殿

名前殿が眠っておられる間、某になにがそなたに残せるかと色々考えた結果、こうして筆ならぬぼーるぺんを執らせて頂いた次第に御座る。折角、この時代の文字を名前殿に伝授して頂いたのだ、使わなければ勿体無いというもの。しかし、片仮名はどうも苦手ゆえ、間違えていたり可笑しなところがあったりするやもしれぬ。稚拙で読みづらいとは思うが、そこはどうか目を瞑ってやって下され。また、勝手に机の引き出しかられたーせっとなるものを拝借したことを許して欲しい。

この手紙には名前殿に伝えたかったこと、伝えられなかったことを、某の気持ちそのままに書き綴ろうと思う。

そなたがこの手紙を読んでいるということは、もう某はそなたの傍にはおらぬのだろうな。それを思うと、酷く胸が痛む。いつかのように某を探し回って、ひとり泣いたりはしていないだろうかと、心配でならぬのだ。零れる涙をぬぐってやることも出来なければ、震える身体を抱きしめてやることも出来ぬが、どうか、泣かないで下され。


大阪にて果て、命を落とした某だが、こうして今一度この人の世に降りてこられたことは誠に嬉しく思う。変わり果てた日ノ本を彷徨い歩いていたところに、大阪城をひとり見上げる名前殿が目に入ったのだ。その時もそなたは泣いていて、涙に濡れた瞳があまりに美しく、今思えばそこに惹かれたのかもしれぬ。なぜこの女子は泣いているのだろうかと、気になって仕方がなかった。涙の理由を知りたいと思った。それを知ることが出来れば、もしかしたら前へ進めるのではないかという気さえしたのだ。結局、訊きそびれてしまったが、しかし今なら何となく判る気がしている。

名前殿は、そんな勝手な理由で憑いてきた某を初めこそ怖がっていたものの、すぐに受け入れて下さった。人間にそうするのと変わらず接して下さった。それが何より、嬉しかったので御座る。自分でもいきなりこのような姿に成り下がったことに恐怖を覚えていたのだ。本来ならこの世に在るべきではない、存在が不確かだった某を認めてくれたのだ、名前殿は。


それに加えて、様々なことを教えて頂いた。この時代の文字、南蛮語、からくりの使い方、形あるものはいつか壊れるということ、それから嫉妬という気持ちに、恋をするということ。まだまだ、数えきれぬ。毎日が新しい発見に御座った。名前殿と過ごした時は退屈ということばを知らぬのだ。

ずっといっしょにいられるなどとは初めから思っていなかったが、いざこうして別れの時を迎えると離れ難くなってしまうものなのだな。

あの日、名前殿が大阪へ赴いてくれたことは偶然にも似た必然だと思うのだ。そなたに出逢わなければ、きっと某はいつまで経っても恋すら知ることの出来ぬ臆病な幽霊のままであったに違いない。また、名前殿でなければ、かような気持ちを知ることも叶わずこの魂も消滅してしまっていたことで御座ろう。

感謝してもし足りぬとは、まさにこのことを云うのであろうな。

しかし、もしも名前殿に新たな想い人が出来たら、記憶の中の某の存在を疎ましく思う時が来るかもしれぬ。某とて、名前殿を縛ることは望んでおらぬゆえ、その時は某のことは忘れてくれて構わぬ。悔しいが、名前殿とずっとこの先も共に生きていけるのは某ではなく、他の誰かなのだ。それは認めなくてはならぬ。

もうすぐ陽が昇る頃合いに御座る。まだ、名前殿は夢の中のご様子。いつも思っていたのだが、眠っている時のそなたはとても幸せそうに微笑んでいるのだ。何か良い夢でも見ているのだろうか。名前殿のことはなんでも気になってしまうゆえ、そなたの知らぬところでかような物思いに耽っていることを許して下され。

名前殿が目を覚まされて、某の名を呼んでしまえばきっと決心が鈍ってしまう。それでも、もう行かねばならぬことを某はなぜか知っているのだ。この手紙を書き終えたら、もう行こうと思う。ただひとつ、心残りがあるとすれば、それはもうそなたをここにひとり、置いて行くことに他ならぬ。

今はまことに平和な世だ。某はもう亡き者であるが、名前殿は違う。どうかこれからの日々をそなたらしく生きて下され。名前殿が幸せであるようにと、遠くから願っておりますゆえ。

それでは、しばしの別れに御座る。またいつか、何処かで出逢うようなことがあれば、その時は笑って、また某の名を呼んで欲しい。離れていてもずっと、お慕いしております。

真田幸村




さらり、あなたへ。

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