「降りるよ」

新幹線と電車を乗り継いで、天王寺という駅で猿飛くんが静かに云った。空気の抜けるような音を立てながら背後でドアが閉まる。まだまだ続くのであろう線路の上をゆっくりと走りだす電車を見送りつつ、彼の後に続きホームを上がった。

駅を出て、信号を渡ってしばらく歩くと天王寺公園という大きな公園に入る。大きな池に、緑色の木々。なんて涼しげなのか。

「今から行くのは、最期の場所だよ」
「最期の場所?」
「そ。俺様が間に合わなかった」

小さな橋を渡り、少し行ったところで茶臼山という看板が目に入る。後方には赤地に銭型の丸が六つ。幸村の紅い背中と同じ模様、六文銭。隣の看板には大阪夏の陣という文字と、当時の布陣を示した図が大きく描かれていた。旗を挟んでその隣には「茶臼山古戦場跡」とその当時のことが細かく記してある立て札。

──真田幸村も激戦を戦い抜いて疲弊し茶臼山の北にある安居天神で休息しているところを越前兵により討ち取られる。

最後まで読んで、胸がきゅうと締め付けられるように切なくなった。徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めた彼。悔しかっただろう、やるせなかっただろう。しかし、当時の幸村の気持ちなんて私ごときにはきっと計り知れない。

「名前ちゃん、こっち」
「え、あ……うん」

茶臼山に入り、浅い階段を上っていく。風と共にざわつく木漏れ日が心地良い。頂上まで上ったところで、公園を出て北へ進んだ。

「その、旦那が討ち取られた安居神社に行くんだ」

しばらくすると見えてきた「安居天満宮 真田幸村戦死の地」という看板を猿飛くんが指差す。安居天満宮は安居神社のことで良いのだろう。ついこの前までいっしょに過ごしていた彼が、そんな文字で残されていることが不思議でならない。神聖なその敷地内へ、こころの中でお邪魔しますと呟きながら踏み込んだ。

猿飛くんに付いて奥へと進む。真田幸村戦死跡碑。「眞田幸村陣 歿の旧跡」とやはり立札があって、当時の状況が記されてあった。それによると「境内一本松の下で」亡くなった、と。しかしその当時の一本松は既に枯死してしまっており、記念碑の後ろに植わっているものがそれを記念して植樹されたものらしい。

眞田幸村戦死跡之碑。ちょっと右斜めに傾いたようなその岩にはそう彫られていた。長く激しい戦いで疲れきった彼が、この辺りで腰を下ろして休んでいた様が目に浮かぶ。切なくて仕方がなかった。今はこんなにも平和で穏やかだというのに。

「──俺様は忍で、真田幸村に従える真田忍隊の長だったんだよね」
「幸村から聞いたよ。……もう、全部思い出したの?」
「ううん。ところどころだけ。でも、最期はよく、憶えてる。その時の悔しさが込み上がってくるくらい、鮮明にね」

どこか遠い眼をして話す彼の意識は、すでに「過去」にある。私なんかよりもずっと、幸村と長い時間を過ごしてきた猿飛佐助を見ているのだ。私はそんな彼が羨ましいと思ってしまう。

「俺様もさ、もう満身創痍だったんだよね」
「うん」
「敵に気付かれないようにするのが精一杯で、もうほとんど戦う力は残って無かったと思う」
「うん」
「それでも旦那のもとに早く行かなきゃって、思って」
「……うん」
「遠目から見た時、旦那はここに座って傷ついた兵の手当てをしてたんだ」

旦那だって怪我してただろうにさ、呆れたように猿飛くんが笑う。いつだって自分のことより先に他人のことを気に掛ける彼が容易に想像出来た。苦しんでいる兵を見捨てるなんてこと、出来なかったのだろう。自分もその痛みを知っているから。優しすぎるのだ、幸村は。

「ひとつのものに集中すると周りが見えなくなる人だったからさ、後ろから近づく敵兵に気付かなかったんだろうね」
「……」
「俺は声を出すことさえ出来なかった」
「仕方……なかったと思う、よ」
「それじゃあ済まされないんだ。忍は、自分の命に代えても主を守るのが仕事だ」

その痛みを解ってあげられないことがもどかしい。なんて声を掛けたらいいのかも判らない。とてつもなく、無力だ。ただ静かに、聴いてあげることしか出来ない。

「もう、怒りとか悔しさとかそんなもん通り越してさ、痛みも忘れてただ感情のままに相手に向かってったんだ」
「うん」
「状況は不利なんてものじゃなかったよ。でも、相打ちだと思った」
「……でも、」
「うん、旦那の首が持ってかれたってことはそういうことなんだろうね」

項垂れる橙色の髪に、そっと触れた。そのまま彼の額が私の肩あたりに埋められて、頭を抱きしめるようなかたちになる。辺りの景色も彼を慰めるかのように、だんだんと夕日で紅く染まっていく。あぁ、幸村の色だ。

「──頑張ったね、」
「……」
「苦しかったでしょう、ずっと」

こくりと頷くその様はさながら子どものようで、いつもの飄々とした猿飛くんはどこにも居なかった。今の猿飛くんが彼の本当の姿なのだとしたら、いつからそうなってしまったのだろう。或いは、最初からか。

「猿飛くんさ、本当はずっと昔から前世のことをなんとなく、憶えていたんでしょう」
「なん、で」
「幸村が、佐助は今も昔も嘘つきだ、って云ってたよ」

初めてこの時代の猿飛くんに会った時に、彼がぽつりと呟いたことを私は忘れられないでいた。今、やっとその真意が判った。流石の猿飛くんも幸村には見破られてしまったのだ。きっと猿飛くんは見えない影のようなその記憶に、ずっと悩まされていたのだ。ただ幸村の声が全てとはいかずとも、明瞭にするきっかけになってくれただけに過ぎない。曖昧なそれを、糸をほどくかのごとく。

それが良いことだったのか、悪いことだったのかは、これから猿飛くんが決めることだ。

「でも、幸村は自分を守れなかった猿飛くんを恨んだりなんてしてなかった」
「……そう」
「ただ、最期まできみと居たかったんだ、って泣いてたけど」
「旦那らしいや」

くすくすと紅い陽を纏う髪が視界の端で揺れる。幸村を守れなかったことや嘘を吐いたこと、それらを咎めることもせず、ただ彼は最期まできみといっしょに居たかったのだと。私にはよく解らないが、忍からすればそれは可笑しいことらしい。幸村が、自分の優秀な忍を嬉しそうに自慢していたことは内緒にしておくことにした。きっと猿飛くんはそれを聞いたら今度こそ大粒の涙を流しながら大笑いしてしまうだろうから。





くすり、笑って。

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