ベッドに潜りこんで、幸村の入るスペースを手のひらでポンポンと叩く。
「おいで」
「し、失礼致す」
遠慮がちに布団に入り込むと、幸村は向かい合わせに寝転んだ。重力に従って焦げ茶色の長い髪がはらりと広がる。それにしても、実体の無いモノがこんもりと布団を押し上げているのはひどく不思議な光景だ。
「どうなってるの、これ」
「浮かせているだけに御座る」
「……そう」
理解の範疇を超えている。今に始まったことではないけれど、やっぱりそういうところで距離を感じてしまう。どう足掻いたって彼はもう、人間ではないのだ。
「幸村」
「なんで御座ろう」
「幸村は、死んだあと『その先』があるって云ってたよね」
「うむ」
暗く静かな部屋にふたりだけの声が広がる。カーテンの僅かな隙間から差し込む月明かりが幸村を映し出していた。まるで世界に私たちしかいないんじゃないかと、そんな感覚に陥る。
この空間だけが永遠であればいいのに。
「幸村、猿飛くん好き?」
「は? いや……うむ」
「どっち」
「好きで御座るよ」
「そっか」
ぱちぱち。急な質問に幸村が疑問を含んだ瞬きを数度繰り返す。大きな瞳はどこまでも透き通っていて、綺麗だ。
「じゃあ、私と猿飛くんの子どもに生まれてきなよ」
「は……」
「だめ?」
「いや……な、なぜ佐助なのだ」
首を傾げれば、幸村は複雑そうな表情をこちらに向けた。なぜ、よりにもよって佐助なのだ。細い眉が眉間に浅くしわを刻む。
「名前殿は佐助を好いておったのか?」
「そんなことあるわけないじゃない。昼間も云ったのに、もう忘れちゃったの」
「忘れるわけなかろう。某の耳が確かならば、名前殿も某のことを慕って下さっていると……」
「そうだよ」
怪訝そうに問いかける幸村に私は即答を返す。
「だって、もう幸村以外の誰かを、好きになれそうにないから」
「名前殿……」
「それなら、知らない人よりも幸村が好きな人とのほうがいいと思って」
どんなカタチでもいいから、私は幸村といっしょに居たい。そんな無理なわがままに幸村は柔らかく笑う。諭すようなそれがひどく淋しく感じた。私は何か、間違ったことを云っているのだろうか。
「それでは佐助に失礼であろう?」
「そう、かな」
「安心なされよ。某のことなどすぐに忘れる」
「なんで、そんなこと云うの」
「そういうものなのだ。居なくなれば、声を聴かなくなれば、記憶はどんどん薄れていく」
「私は、忘れないよ。忘れたくない」
ふわりと身体を優しく包まれる。お日様のようなぬくもりにそのまま身を委ねた。
「実のところ、約束できぬのだ」
「え……?」
「某のこの魂が何物に生まれ変わるのか、某には判らぬ。もしかしたら生まれ変わることさえ叶わぬかもしれない」
「そっか、そう……だよね」
判らないから、知らないから。だから「死ぬ」ことは恐怖なのだ。幸村は、怖くないのだろうか。「死」のさらに向こう側、未知の世界。私は、怖い。
「幸村の、居ない世界が怖いよ」
「もともとここに在るべき存在ではなかったのだ、致し方ない」
「でも、私は絶対、忘れたりしない」
「ならばこの幸村、名前殿のために何かこの世に残していこう」
己が「ここにいた」という証を。云いながら、幸村の指が私の瞼をそっと降ろす。
「何が良いか、少し考える時間を下され。その間、しばしお休みになられよ」
まっ暗な視界の中でこくりとひとつだけ頷けば、閉じた瞼に柔らかな温かい空気が一度だけ触れた。そうして優しく、促されるままに意識を下へ下へと落として。
どのくらい眠っていただろうか。薄っすらと目を開けば、明るくなりだした空に夜明けが近づいていることが伺えた。なんだか少し、寒気がする。そういえば、幸村は。
勢い、身体を起こす。部屋を見回せば、見慣れた紅が視界の隅に入った。それだけで私はひどく安心する。彼はカーテンを開いて窓の外を眺めているようだった。
「ゆきむら」
寝起きの掠れた声で名前を呼ぶ。けれど返事は返ってこなくて、代わりに儚げな笑みだけをその端正な顔に浮かべた。ああ。
「もう、いっちゃうの」
四角く切り取られた空が白みだし、きらきらと朝日が彼を散らしていく。まるで淡い泡沫のようなそれはとても、とても美しくて。優しい紅に涙が出そうになった。
でも、泣かないって決めたのだ。自分が消えるその時は笑顔でと、幸村が最後に望んだことなのだから。
「また、逢えるかな」
だんだんと輪郭がぼやけていく中で、幸村の薄い唇が小さく動いた。声はもう、こちらへ届かないらしい。
名前殿が待っていてくれるのなら、きっと。
その綺麗な笑顔にやっぱり泣きそうになってしまう。私は上手く、笑えているだろうか。
「いってらっしゃい。ずっと、待ってるよ」
いつかまた出逢えたその時は今度こそ、おかえり、って云ってもいいかな。
きらり、煌めいて。
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